第85話 頼むぞ。



「遅くなって悪かったな、なずな。これからのことで、お前……いや。お前たちに、話さなければならんことがある。故に小娘たち、なずなから手を離せ」


 そんな言葉とともに、姉さんが姿を現した。その姿は昔となにも変わらず、神々しい。吸い込まれるそうな真っ白な肌に、澄んだ瞳。そしてなにより目を惹く、長く綺麗な灰色の髪。


 見るだけで膝をつきたくなる異様な雰囲気を放ちながら、姉さんは真っ直ぐにみんなを見る。


「……誰だよ、あんた。言っとくけど、師匠は渡さないからな」


「そうです。というより貴女、なに勝手に人の家に上がり込んでいるんですか。なずなの知り合いだとしても、こんな時間に……しかもチャイムも鳴らさないのは非常識です」


 黄葉と緑姉さんの2人が、姉さんを睨む。けれどその程度で、姉さんは動じない。


「人の常識なぞ、妾は知らん。そもそも妾はお前たちの母親に頼まれて、ここに来たのだ。ゆえ、お前たちに非難される謂れはない」


「……!」


 みんなが驚きに目を見開く。……いや、青波さんだけは楽しそうに笑う。


「……へー、母さんがね。あの人が神さまに頼るなんて、よっぽど追い詰められてるのかな。……或いはそれとも、その逆か」


「か、神って本気なの? 青波お姉ちゃん」


「……そうよ。神なんてこのタイミングで言われたら、どうしても……」


 橙華さんと柊 赤音の視線を受けて、青波さんは先を促すように姉さんを見る。姉さんはそれに、『似ているな』と小さく溢して、高らかに続く言葉を口にする。


「妾はなずなの姉だ。そして、お前たちが打ち壊した天底災禍という悪夢を見続けていた神でもある。ゆえ、平伏しろ……とは言わんが、あまり妾の前でなずなを困らせるでない」


「────」


 ピリッと空気にヒビが入る。……当たり前だ。みんなにとって天底災禍は、黄葉を飲み込んだ敵でしかない。そんな天底災禍の本体である神が来たなら、警戒するのは当然だ。


「みんな、大丈夫。姉さんは信用できる。……黄葉は夢で見てたんだから、なんとなく知ってるんだろ? 俺の姉さんについて」


「……そうか。夢ではおぼろげだったから気がつかなかったけど、この人が師匠のお姉さんなのか。確かになんか、師匠と雰囲気が似てるな」


 黄葉はそう言って、納得したように小さく頷く。


「いや、ちょっと待ってください! なずなは、神さまの弟なんですか? ならもしかして、なずなも神なんですか⁈」


「いや、俺はただの人間だよ。姉さんは……姉さんは昔いろいろあって、俺の面倒を見てくれてたんだよ。だからこのヒトは、俺の姉さんなんだ」


「そう、なんですか……」


 緑姉さんは動揺を吐き出すように息を吐いて、俺を守るように姉さんの前に立つ。そして真っ直ぐに、姉さんを見る。


「緑姉さん。そんなに警戒しなくても、姉さんは──」


「なずなは黙っていてください。なずながなんと言おうと、私はこの人を信用できません」


「そうだよ。そもそもなずくんのお姉ちゃんは、ボクたちなんだよ? 神だかなんだか知らないけど、今さらなずくんは渡せないよ」


 みんなが、姉さんを睨む。


「ふはっ、よいな」


 そんな視線を受けて、姉さんは笑う。


「……1人ではない、か。なずな、お前のその言葉を疑っていたわけではないが、随分と……愛されているようだな?」


「……ああ。今の俺には、みんながいてくれる。いつも1人だった俺に、こんなに優しい姉さんが6人もできた。だから俺は、もう大丈夫」


「…………そうか」


「うん。……でも、姉さんが来てくれてよかった」


「ふふっ。であろう? なんたって妾は、お前の1番最初の姉だからな。……というわけだ、小娘ども。そんな目で妾を睨むのは辞めろ。そして、妾の話を聞け。早いうちに貴様らに伝えなければならないことが、3つほどあるのだ」


 姉さんはまるで慣れ親しんだ家でくつろぐように、ソファに座って脚を組む。みんなはそんな姉さんになにか言いたげな視線を向けるが、姉さんはやはりそれを無視して言葉を告げる。


「まずはお前たちの母親からの伝言だ。『みんな、お疲れ様。今は理由があってみんなと話すことはできないけど、ちゃんと戦いは見てたよ。頑張ったね。私はまだ戻れないけど、しばらくは好きに遊んでていいよ。……でも、腕輪はまだ外しちゃダメだからね』だ、そうだ」


「……なによそれ。もう役目は終わったのに、どうして腕輪をつけてなきゃいけないの?」


 柊 赤音のその言葉に、姉さんは首を横に振る。


「そんなの、妾が知るわけがなかろう。……ただまあ、その辺りは次の話に絡んでくるのだろうな」


 姉さんは長い脚を見せつけるように組み替え、言葉を続ける。


「2つ目は全ての元凶である、白白夜の死神ついてだ。……といっても、妾もあやつのことなんてほとんどなにも知らんのだがな」


「そうなのか?」


「ああ。すまんな、なずな」


 姉さんはどうしてか優しい笑みを浮かべて、俺たちみんなの顔を見渡す。


「ただあやつは、お前たち人間を使ってこの世界を真っ白に染め上げようとしている。そして、今のお前たち人間の力では、どれだけ足掻いてもそれを止めることはできない。……それを防ぐには妾の悪夢で世界を覆うしかなかったのだが、今更それももう無理だ」


「ならもう、打つ手がないってことなのかな?」


「……さあな。そもそもあやつが、いつ、どんな方法で、なにをするのかなんて妾にも分からん。妾があやつについて知っているのは、あやつは数万年前からこの世界にいて、たった1人であらゆる神を滅ぼしたということだけだ」


「ふふつ。私たちは神の悪夢に手こずってたのに、あらゆる神を滅ぼした存在、か。そんなのは流石に、相手にしてられないな」


 青波さんのその言葉に、姉さんはその通りだと頷きを返す。


「待ってよ。なんだよそれ……。世界が滅びるかもしれないのに、わたしたちにはなにもできないって言うのか? そんなのわたし、嫌だぞ!」


「そうよ。せっかく守った世界を、そう簡単に滅ぼされたらたまらないわ」


 黄葉と柊 赤音の叫びを聞いて、姉さんは呆れたように目を細める。


「馬鹿者。そうならん為に、妾がここに来たのだ。……それに確証はないが、しばらく事態が動くことはないらしい。だからまあ、あまり心配することもない。……ただ、なにか変なものを見つけたり気になることがあったら、ちゃんと妾に言うのだぞ? ……分かったな? なずな」


「ああ、分かったよ。それで? 最後の1個はなんなんだ?」


「それは……決まってるおるだろう」


 姉さんはなにか含みを感じさせる笑みを浮かべて、ゆっくりと立ち上がる。そしてそのまま俺の方に近づいて、ぎゅっと俺の腕を掴んで言う。



「なずなと寝るのは妾だ」



 そう言った姉さんは、誰より強引に俺の腕を引っ張って、俺を無理やり俺の自室まで連れて行く。そして誰かが入ってくる前に、ガチャリと鍵をかけてしまう。


「なにやってんだ! バカ! ボクのなずくんを返せ!」


「そうだそうだ! よく分かんない話でわたしの頭をパンクさせてその隙をつくなんて、卑怯だぞ!」


「なずなを返してください! なずなは私と寝るんです!」


 ドアの外からみんなの抗議が聞こえる。


「うるさいうるさい。そんなに騒ぐと、なずながゆっくり眠れんではないか。そもそも、油断したお前たちが悪いのだ。あっははは!」


 姉さんはそんなみんなに、心底から楽しそうな笑い声を返す。



 ……そして。



 そんな風にしばらく言い合いが続いて、1時間後。ようやくみんなは、諦めて自室に戻っていく。


「姉さん」


 だから俺は身体から力を抜いて、姉さんを呼ぶ。


「なんだ? 静かになったことだし、そろそろ眠るか? なずな」


「……違うだろ? 姉さん。姉さんは俺にだけ、なにか話したいことがある。だから無理やり、俺をこの部屋に連れ込んだ。……相変わらず強引だな、姉さんは」


「……鋭いな。流石は妾の弟だ」


 姉さんは灰色な髪をなびかせて、俺の隣に腰掛ける。腰掛けてそのまま、さっきよりずっと真剣な目で言葉を告げる。



「あの小娘たちの中に、お前と同じ白い呪いを受けている奴がいる」



「────」


 ドクンと心臓が跳ねる。姉さんの言葉は、止まらない。


「そしてこのままだと、そいつがお前に代わって白白夜の死神の依代になってしまう。故に、なずな。お前にはこれから1ヶ月以内に、その誰かを特定して欲しいのだ」


 カーテンの隙間から、月明かりが溢れる。白い月明かりが、姉さんの頬を濡らす。だからまだ、夜は終わらない。


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