第84話 楽しいな。



 幸せってこういうことなんだなって、俺はしみじみとそう感じていた。



 俺と黄葉が朝の散歩を終えて家に帰ると、みんなも目を覚ましていて、俺たちを出迎えてくれた。勝手に出かけたら心配するでしょ? と怒りながらも、みんな嬉しそうに黄葉を揉みくちゃにしていた。


「みんな、大袈裟だって」


 と、黄葉は笑っていたけど、少しだけ目が滲んでいた。……きっと黄葉も、長いあいだ1人で寂しかったのだろう。


 そして、そのあと。黄葉が言っていた通りいろんな食べ物を注文し、それに加えて橙華さんがケーキを焼いてくれて、みんなでちょっとしたパーティーを開いた。



「みんなありがとう! やっぱみんな大好き!」



 そう言って黄葉が笑って、みんなも笑った。そんな風に今日は朝からずっとはしゃぎ回って、気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。



「……もう11時か。楽しい時間はあっという間に過ぎるな……」


 革張りのソファから立ち上がり、軽く伸びをする。


 この前みんなで約束した通り、さっきまでアニメをぶっ通しで見続けていた。無論それはとても楽しい時間だったけど、朝から晩までだと流石に少し疲れてしまう。


「あ、なずくん寝るの?」


 大きなあくびをかみ殺しながら、紫恵美姉さんが言う。


「ああ、そのつもり。……というか、みんなもそろそろ寝た方がいいんじゃないか? いくら留年しないからって、行けるなら学校には行っておいた方がいいしな」


「なずなは真面目ですね。流石は私の弟です。……ほらこっちに来てください。よしよししてあげます」


「ちょっ。引っ張るなよ、緑姉さん」


 緑姉さんは俺をぎゅっと抱きしめて、犬にするみたいによしよしと頭を撫でる。


「…………」


 それはなんだかちょっと恥ずかしいけど、緑姉さんはいい匂いがして……幸せだ。


「あ、ずるいよ〜。あたしもなずなくんに、よしよししたい」


「ダメです。いくら橙華姉さんでも、なずなは譲れません。なんせなずなは、私の弟ですから」


「え〜。みどちゃんのけちー」


 緑姉さんはまるでこれは自分のものだと言うように、俺の顔を自分の胸に押しつける。……それはやっぱり幸せなんだけど、子供扱いされてるみたいで……照れくさい。


「……緑姉さん。そろそろ離してくれ。もう結構遅いんだから、俺は──」


「そうですね。続きは私のベッドの上でしましょう」


「ちょっ、緑姉さん⁈」


 緑姉さんは強引に俺の腕を引っ張って、自分の部屋に連れて行こうとする。


「待ちなよ、緑。なずくんと寝るのはボクだよ。なずくんはボクのゾンビ抱き枕としてボクの部屋に置くって決めたから、緑は1人で寝てなよ」


 そう言って、紫恵美姉さんが空いている腕を掴む。


「…………」


「…………」


 そして、無言で睨み合う2人。……あれ? ついさっきまでみんなで仲良くアニメを観ていた筈なのに、どうしてこんな空気になってるんだ?


「いや、落ち着けよ2人とも。……つーか、もう天底災禍は終わったんだから、一緒に寝る必要はないだろ?」


「必要かどうかなんて、どうでもいいんだよ! ボクはなずくんゾンビ抱き枕と、一緒に寝たいの!」


「そうです! 私も可愛い弟と一緒に寝たいだけなんです!」


 2人に睨まれる。いや、なんで俺が怒られてるんだ?


「2人とも、なずなくんを困らせちゃダメだよ?」


 そこで見るに見かねてか、橙華さんがそう口を挟む。……助かった。


「……誰と寝るかは、なずなくん自身に選ばせてあげないとダメ。あんまり強引だと、なずなくんに嫌われちゃうよ? ね、なずなくん?」


 橙華さんはそう言いながら、姉妹の中で1番大きい胸をむにむにと俺の腕に押しつける。……相変わらず、凄く柔らかい。気を抜くと、甘えてしまいたくなるくらいに。


「…………」


 ……じゃなくて。この状況はよくない。……よくないのだけれど、俺がなにを言ってもみんな耳を貸してくれない。なら少し卑怯かもしれないが、こんな時に頼りになる彼女に助けをこおう。


 そう考えて、柊 赤音に視線を向ける。


「ん? なによ、そんな目で私を見て。……もしかして、私と一緒に寝たいの? …………まあ、私は別にあんたと一緒に寝たいなんて思わないけど……。でも、あんたがどうしてもって言うなら、私は……」


「いやいやいや。そうじゃなくて」


「あははは。なずなはモテモテだねー」


 楽しそうに青波さんが笑う。笑ってないで助けて欲しいんだけど、青波さんはただ笑ってるだけで助けてくれる気配がない。……あの人、俺が困ってる姿を見て楽しんでるな。



「って、うわ! 寝てた!」



 そこでずっと静かだった黄葉が、がばっと勢いよく起き上がる。


「あ! みんななに師匠にくっついてるんだよ! 師匠もそんな鼻の下を伸ばして、デレデレするな! ハーレム展開は許さないって言った筈だぞ!」


「いや別に、デレデレなんてしてないけど……」


「問答無用! いいから師匠は、こっちに来る!」


 みんなの手を無理やり振り払って、黄葉が俺を抱き抱える。


「黄葉姉さん、なずなは私と──いや。そう言えばなずなは、黄葉姉さんと約束してたんでしたっけ。一緒に寝るって」


「ボクはそんなの知らないよ。……黄葉、お前は眠ってたから知らないだろうけど、なずくんはボクのゾンビ抱き枕になるって決まったんだ。だから早く、なずくんを返して」


「やだね。いくら紫恵美ねぇの頼みでも、それだけは聞けないな。だってわたし、師匠のこと好きなんだもん」



「………………え?」



 黄葉のその当たり前のような言葉に、青波さん以外のみんなが、驚きに目を見開く。


「なにみんな驚いて……って、あ。そういえばまだみんなには、言ってなかったな」


 黄葉はそこで俺の腕をぎゅっと抱きしめて、笑う。夏の空のように晴れやかな顔で笑いながら、胸を張ってその言葉を口にした。



「わたしさ、師匠に告白したんだ。好きだから結婚してくれって。今朝、告白したんだよ。だからいくらみんなでも、師匠は渡さないからな!」



 と。そんな黄葉のあまりに真っ直ぐな言葉に、紫恵美姉さんも緑姉さんもさっきまで勢いをなくしてしまう。


「よし。じゃあ行こうぜ? 師匠。わたしの部屋で、一緒に漫画でも読もう。実は師匠に読ませたい漫画があるんだ〜」


 黄葉に腕を引かれて歩く。……なんだか状況に流されているような気がするけど、別に断る理由もない。



 だから、俺は──。



「……ダメ。やっぱ、ダメ! そんなこと言っても、なずくんは渡さないよ!」


「そうです! なずなは私と寝るんです。……約束してるのは、私だって同じなんですから!」


「それならあたしも、デートするって約束してるもん!」


 3人が俺の身体を抱きしめる。抱きしめてそのまま、凄い力で引っ張る。


「痛い痛い。やめろ。落ち着けって、みんな。そんな慌てなくても、俺は──」


「ダメです。なずなは私の弟なんです!」


「違う! ボクのゾンビだ!」


「なに言ってんだ。師匠はわたしの師匠だ!」


 誰も俺の話を聞いてくれない。さっきまでみんなで笑い合っていたのに、どうしてこんなことになってるんだ? ……いや。俺がはっきりしないから、こんなことになってしまったのか?



 なら、俺は──。




「待て、小娘ども」



 と。そこで、廊下の方からそんな声が響いて、1人の少女が姿を現す。


「遅くなって悪かったな、なずな。これからのことで、お前……いや。お前たちに、話さなければならんことがある。故に小娘たち、なずなから手を離せ」


 唐突にやって来た灰色の少女は、そう言って呆れるように息を吐いた。


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