第72話 決着。



 漆黒の剣が、天から人を睥睨する。



 それは万物を統べる神すら殺す、天下無双の鷹の剣。人であれ神であれそれを向けられたら最後、死という概念から逃れられない。


「──っ」


 強がって笑っていたなずなもその事実を肌で感じとり、恐怖するように後ずさる。



 このままでは、死ぬ。



 あの剣が振われたら最後、為す術なく自分は死ぬ。たとえ光より速く目の前の少女に迫ったとしても、あの剣がある限り決してこの少女には勝てない。



 だからなずなは、腕輪へと手を伸ばす。



 そこに眠る少女の力を、借り受ける為に。



「どうして……」


 けれど答えは、返ってこない。戦いが始まってからずっと、どうしてか藍奈の声が聞こえない。


「……くそっ」


 力の差。経験の差。知識の差。その全てを補ってあまりある力が、今のなずなにはある。自分でも理解できないなにかが、なずなの底で眠っている。



 ……けれどそれは、あるだけだ。



 どうしてなずなは、殴るばかりで少女たちのように魔法を使わなかったのか。


 答えは簡単。単に使えなかったから。なずなには力を魔法に変える知識がない。空想を現実に変える術がない。故になずなには、魔法が使えない。どれだけ強力な力を持っていても、一朝一夕では神には届かない。


 けれどこの腕輪に宿る少女、藍奈。彼女の力を借りれば、なずなにも魔法が使える。なずなに足りない経験を補ってあまりある歴史を、この少女は積み重ねてきた。



 ……でも、声が聞こえない。



「藍奈! 藍奈……!」



 どれだけ叫んでも、藍奈は声を返してくれない。……或いはそこに、彼女がなずなと戦うことを拒んでいた理由があるのかもしれない。けれど今のなずなに、それを考える余裕はない。


「終わりだ、なずな」


 剣が振り上げられる。死が心臓を掴む。天下無双の剣に、なずなは徒手空拳で挑むしかなくなる。


「……ダメだ」


 このままだと、自分は死ぬ。1秒後に死ぬ自分の姿が、確かに見える。数多の神を殺してきた歴史が、揺るがぬ敗北を目の前に突きつける。


「……いや、まだだ。こんなところで、終われない──!」


 なずなは一瞬で、思考する。1秒で思考が宇宙を巡る。藍奈の声が聞こえないなら。自分に魔法が使えないなら。この一瞬で、使えるようになればいい。



 そんな無茶を。そんな不可能を。なずな一瞬で思考する。



 自分の知っている魔法。赤音の炎。ダメだ勝てない。橙華の催眠。緑の風。紫恵美の操作。ダメだ勝てない。藍奈の光。青波の消滅。ダメだ勝てない。それじゃダメだ。


 彼女たちの魔法では、あの剣には及ばない。死を乗り越えるには、まだ足りない。



 ──なら。



 想像するのは最強の魔法。思い描くは死を超える力。なにより強い最強の武器。



 それは──。



「────」



 なずなの一瞬の思考の先、神が驚愕に目を見開く。



 剣だ。



 つい先程まで徒手空拳だったなずなの手に、潔癖なまでに白い剣が握られていた。


「これで終わらせる、姉さん」


 なずなの藍色の眼光から、光が抜けていく。それは死の兆候ではなく、進化の予兆。1秒前まで魔法を使えなかったなずなは、この刹那で神に比肩しうる剣を創造してみせた。


「……忌々しい」


 その神の言葉は、もうなずなには届かない。今の彼にそんな余分は一切なく、ただ剣を振るう機械となって迫る死を両断する。



「──眠れ、人間」



 神が剣を振るう。漆黒の闇が天を裂く。



「──落ちろ、神」



 それに一瞬遅れて、なずなが剣を振るう。



 深い闇夜に、純白と漆黒がぶつかり合う。



 距離も。強度も。速度も。時間も。空間も。あらゆる全てを無視して、ただ死をもたらす絶死の黒。それはただ振るっただけで、『夜』を切り裂きなずなに迫る。



「…………!」



 けれど対する白には、なにもない。



 意味も。理由も。価値も。歴史も。恐怖も。あらゆる全てと関わりを持たない白。ただ純白であるだけのそれは、死を飲み込んで神に迫る。



「────!」



「くっ……!」



 ぶつかり合う力は、互角だった。



 悠久の時を戦い続けた剣に、なずなの一瞬が並ぶ。その理屈に合わない強さを前に、神は苛立ちを超え憎しみが混じった声で叫びを上げる。


「──ああ! 貴様はどこまで、妾の邪魔をするのだ……!」


「そんなの、勝つまでに決まってるだろ……!」


 白と黒が交わった灰が、暗い夜を染める。月すら瞬く眩さが、夜に広がる。その余りの眩さに、なずなも神も目を瞑る。



 そして一瞬の間を開けて、その灰色の光も消えてなくなる。



 騒がしかった夜から、音が消える。



「…………」


 夜に立つのは、ただ1人。敗者はそんな勝者を讃えるように、ゆっくりと地に伏す。



 そうして戦いは、決着した。



「……ふぅ」


 勝者は天に浮かぶ月を見上げて、息を吐く。


「…………」


 敗者は地に伏したまま、ピクリとも動かない。それこそまるで死んでしまったかのように、その身体から完全に生気が消えている。








「──妾の勝ちだ、なずな」




 夜に声が響く。それを遮るものは、もうどこにもいない。


「なずな。貴様は誰より、強かった。理に合わぬほど、貴様の強さは異質だった。4柱の神の力を宿し、全てを断ち切る剣を持った妾と並ぶことなど、普通に考えればあり得んことだ。なのに、貴様は……」


 なずなのあの白い剣は、鷹の剣と拮抗していた。死の概念が結晶化したような剣に、理屈に合わない白が確かに拮抗していた。



 神が、空を下る。



 泣きじゃくる子供をあやすように、ゆっくりとなずなに向かって足を進める。


「妾は貴様に殴られ、消耗していた。対する貴様は殴る度に力を増し、疲労も傷もありはしなかった」


 故になずなが神と同程度の武器を創造した時点で、神の勝機はほとんど0に近かった。



 なのになずなは地に伏し、神が天に立つ。



「なずなよ。貴様はなんの為に剣を振るった? なにが欲しくて、手を伸ばした?」


 黄葉の為。みんなの為。自分の為。なずなが胸に秘めたその全ては、嘘ではない。現にそれらは今も、なずなの胸の内で脈打っている。



 でも……。



「あの小娘たちの方が、貴様よりずっと熱かった。奴らは貴様よりずっと弱かったが、それても確固たる意思で……恐ろしいほどの意思で、戦っていた」


 少女たちはなずなを愛していた。黄葉を愛していた。少女たちは胸を張って、そう叫べる。



 けれどなずなは、どうだろう?



 その想いに嘘はなくても、少女たちのように想いを叫べるだろうか? 叫んだとして、そこに神を燃やすほどの熱量はあるのだろうか? 


「貴様の敗因は、その心だ。貴様は強いが、冷たい。……明けない冬は終わったであろうに、貴様の心は冷たいままだ」


 神の手が、なずなの頬に触れる。


「…………」


 なずなはもう、動かない。溢れ出る力のお陰で血を流さずには済んだが、心はもうボロボロだ。立つどころか考えることすらできないほど、灰宮 なずなは朽ち果てていた。



「──おやすみ、なずな」



 神の手で、微かに残ったなずなの残滓が眠りにつく。



 そうして戦いは、決着した。



 黄葉はその肉体を飲み込まれ、意識すら残っていない。緑。赤音。紫恵美。橙華。青波。『夜』を戦った少女たちに意識はなく、その身体は深い闇に飲まれていく。彼女たちはもう、立ち上がることすらできない。


 藍奈となずな。夜を染め上げる程の戦いをした少年と、その少年に力を与えた少女。その2人もまた、深い眠りについた。その心は粉々に砕け散り、起き上がることすら叶わない。


 そして、『夜』の外で戦いを見守っている少女たちの母親である真白。彼女には力があるが、この神には手が出せない。彼女は彼女の事情により、この場に駆けつけることができない。



 故に戦いは、決着した。



「……ようやく、静かになったな」



 深い闇でなずなを飲み込んだ神は、真っ黒な月に向かって歩き出す。



 彼女を止められるものは、もうどこにもいない。


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