第63話 できる?



 青波さんは言った。姉であり神でもある、灰色の少女。彼女を、殺せるのかと。


「…………」


 その光景を想像すると、ズキリと胸が痛んだ。……そもそもあいつの悪夢を壊す必要があるだけで、あいつ自身を殺す必要なんてない。だから青波さんの言葉は、全く意味のないものだ。



 ……なんていうのは、ただの甘えだろう。



 この前あいつと話した時に、俺は言った。『お前がなにを言おうと、俺は黄葉を助ける』と。ならもう、迷う必要はない。たとえそれがどれだけ辛い決断だったとしても、俺はもう決めたんだ。



「黄葉を助ける為なら、俺はあいつを殺します」



 真っ直ぐに青波さんを見る。青波さんはそんな俺を見て、悲しそうに目を細める。


「……なずな。本当に、分かってる? 私の言葉の意味」


「はい。理解しているつもりです」


「でもなずな、あの子のことほとんどなにも覚えてないんでしょ? なのに、そんなに簡単に決めていいの?」


「それ、は……」


 それは確かに、その通りだ。俺は依然として、あいつとのこと……というか、母親が死ぬ以前のことを思い出せない。


「だからもしかしたらあの子は、なずなにとってとても大切な子なのかもしれない。或いは黄葉より、なずなはあの子を愛していたのかもしれない。それでもなずなは、あの子を殺せるの?」


 青波さんの、いつだって揺るがない青い瞳。その瞳がなにを見ているのか、俺には分からない。どうして彼女が今さらそんなことを問うのか、俺には理解できない。


 ……でも、たとえ俺があの子をどれだけ大切に想っていたのだとしても、もう決めたんだ。


「俺の答えは、変わりません。俺はどうしても、なにをしてでも、もう一度黄葉に会いたいんです」


「……バカだな、なずなは」


 青波さんはまた俺を、抱きしめる。それこそ本当にお姉さんみたいに、優しく俺の背中を撫でてくれる。


「…………」


「…………」


 少しの間、温かで柔らかな時間が流れる。俺も青波さんも藍奈もなにも言わず、雨音だけがただ響く。



「なずなはさ、神ってなんだと思う?」



 そしてゆっくりと俺から手を離した青波さんは、そんな言葉を口にした。


「……分かりません」


 少し頭を悩ますが、答えなんて浮かんでこない。だから俺は素直に、そう答える。


「じゃあ人って、なんだと思う?」


「……分かりません。というか、なんです? 急に。禅問答でもするつもりですか?」


「違うよ。認識と意思の確認。自分たちが誰で、どんな相手と戦うのか。知っておいて、損はないでしょ?」


 それは確かに、その通りなのだろう。けれど、神と人の明確な定義なんてできるのだろうか? 


「…………」


 そう思い、青波さんを見る。すると青波さんはニヤリと笑って、言葉を告げる。


「私はね、人の言葉を使う存在は全て人だと思ってる」


「言葉、ですか。でも、スマホやインコだって人間の言葉を使いますよ?」


「うん、そうだね。でもその向こうには、人がいるでしょ? インコに言葉を覚えさせた人がいて、人の為にスマホを作った誰かがいる。あらゆるフィクションに登場する言葉を操る動物や機械なんかも、その後ろには必ず誰か人がいる」


 その言葉をどうにか言い負かそうと、頭を悩ませる。……けれどどうしても、反論の言葉が浮かばない。だから俺はなにもない暗い夜に視線を向けて、こう尋ねる。


「じゃあ青波さんは、姉さん……天底災禍を見ている神も、人間だって言うんですか?」


「うん。少なくとも私は、そう思ってる。……まあ神がなにかって言われたら、私にも分からないんだけどね」


 青波さんはイタズラをして子供みたいに笑って、言う。


「私たちの魔法も元は神の力だけど、それを使う私たちは神ではない。藍奈は100年どころか1000年以上生きてるスーパーお婆ちゃんだけど、もちろん神ってわけじゃない」


 ──おい青波、オレのことを、お婆ちゃんって呼ぶんじゃねぇ。


「あはは。ごめんごめん」


 からからと笑う、青波さん。その笑い声だけで、重くなっていた空気がどこかへ消える。


「ねぇ、なずな。なずなのお姉さんだったんだ神も、人の言葉を話していたんでしょ?」


「……はい」


「うん。それに藍奈から聞いてるだろうけど、私が天底災禍の中で出会った神にも、言葉が通じた。彼女たちは私たちとは違う存在だけど、根っこのところは同じなんだと私は思う」


 その言葉を聞いて、真白さんの言葉を思い出す。



『大丈夫だよ、なずなくん。別に君に、そいつを倒せとは言わないから。……でももし機会があれば、少し話をしてみて欲しい。きっと彼女は、君の話なら聞いてくれる筈だから』



 真白さんは確かに、そう言った。ならもしかしたら姉さんを殺さず黄葉を助ける方法が、あるのかもしれない。


「なずな。なずながどれだけ覚悟を決めて戦おうとしてくれているのか。それはさっきの質問で、よく分かった。……貴方がどれだけ、黄葉のことを大切に思ってくれているのかも」


 でも、と青波さんは言葉を続ける。


「最初から全てを諦める必要はないんだよ。試すようなことを言った私が言えた義理じゃないけど、可能性はいくらでもある。……ううん、私が作る。なずなはまた悪夢を使って戦ってくれるんだろうけど、私がどうにかしてあの子となずなが話せるようにしてみせる。……だから、頑張ろうね?」


「……ありがとうございます、青波さん。なんかちょっと、元気でました」


「姉として、当然のことをしただけだよ」


「でも青波さん、励ますの上手いじゃないですか。だったら俺なんかより、青波さんがみんなの心を支えてあげたほうが、いいんじゃないですか?」


 藍奈のアドバイスを上手く活かせなかった俺より、青波さんの方がずっと上手くできる筈だ。


「…………」


 けれど青波さんはそんな俺の言葉を聞いて、逃げるように天井を仰ぎ見る。……当たり前だけど、そこにはなにもありはしない。ただ夜の闇が広がっているだけだ。


「私はね、一度失敗してるんだよ。なずなも知ってるでしょ? 小学生の時、私1人だけしか戦えなかったって。……なずなは褒めてくれるけど、私には人の心が分からない。だから……いや、そうでなくてもみんなにはなずなが必要なんだよ」


 まるで縋るように、青波さんの真っ白な手が俺の頬へと伸ばされる。


「…………」


 だから俺は黙ってその手を受け入れようとして……。



 どうしてかそのまま、ベッドに押し倒される。



「……え? 青波さん、どうしたんですか?」


「話も終わったことだし、今日は一緒に寝ようと思って。……もしかして、嫌?」


「いや、嫌ってわけじゃないんですけど……いいんですか? その……色々と当たってますけど」


 青波さんは橙華さんほどじゃないけど、胸が大きい。それになんだが溶け込むような甘い香りがして、勝手に心臓が跳ねる。


「バカだなぁ、なずなは。嫌だったら、こんなことするわけないでしょ? ……それとも、私に言わせたいの? 今日はそばにいて欲しいって」


「そうじゃないです。ただ、俺は……。いや、分かりました。なら今日は、一緒に寝ましょうか」


「うんうん。素直な弟で、お姉ちゃん嬉しいよ」


 身体から力を抜いて、青波さんの抱き枕になる。青波さんはそんな俺に手と脚を絡めて、満足そうに笑う。


 そうしてまた、眠りにつく。まだ時刻は、深夜の3時を過ぎ。眠りにつこうと頑張らなくても、意識は勝手に闇に溶ける。



「おやすみ、なずな」



 そんな声を最後に聞いて、俺は静かに眠りについた。うるさい雨音は、今だけは俺の耳に届くことはなかった。



 ◇



 ──いいのかよ?


 なずなが眠りにいついた後。青波の頭に、そんな声が響く。


「なんの話?」


 青波はそれに、囁くような小さな声で言葉を返す。


 ──とぼけんじゃねぇよ。お前が見ていた、悪夢の話だ。……お前ももう、知ってるんだろ? こいつの正体を。


「……どうかな。というか藍奈だって、言ってないじゃん。なずなと繋がった時に、見たんでしょ? 彼の過去」


 ──オレはいいんだよ。オレにとってはこいつは、ただの赤の他人だ。でもお前は、そうじゃねぇだろ?


「ふふっ。藍奈は相変わらず、優しいな」


 ──うるせぇ。オレは優しくなんてねぇ。んなことより、本当にいいのか? 戦いの途中でこいつが真実に気づいちまったら、最悪──。


 そこで藍奈の言葉を遮って、青波は言う。


「大丈夫だよ。なずなは強い子だから」


 ──アホか。強いもんかよ。……こいつは、強くなるしかなかったんだ。弱い自分を殺してでも、強くなるしかなかっただけなんだよ。


「……やっぱり藍奈は、優しいね。でも、大丈夫。最悪、藍奈の言うようなことになったとしても、私がどうにかするから」


 青波は冷たい瞳で、なにもない壁を睨む。そしてすぐに優しく笑って、自身の胸で眠るなずなの頭を撫でてやる。


「……可愛い。みんなが夢中になる理由が、分かるよ。この子を見てると、なんだか守ってあげたくなっちゃう」


 ──だったら今日くらい、大人しく寝させてやれ。お前のその無駄にでかい胸を押しつけてやりゃ、多少はいい夢見れるかもしれないしな。


「今の藍奈には、胸なんてないしね。Aカップどころか、0カップだよ」


 ──うるせぇ。いいから寝ろ。……お前だって、まだ本調子じゃねぇんだからよ。


 呆れたようにそう言って、藍奈は口を閉じる。青波もそれ以上はなにも言わず、朝になるまで優しくなずなを抱きしめ続けた。



 天底災禍がやって来るまで、あと1日。時間は着実に、前へと進んでいた。


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