第62話 おはよう。



 ──おい、起きろよ。おい、聞こえてんだろ、大将。朝だぜ、起きろ。起きたら優しく、チューしてやるぜ。


 今日も自室のベッドで1人眠っていると、頭の中にそんな声が響く。


 ──んだよ、いつまで眠りこけてるつもりだ? このオレがわざわざ起こしてやってるってのに、いい度胸じゃねーか。こうなったらお前が起きるまで、オレの歌声を──。


「……聞こえてるよ、うるさいな」


 根負けしたようにそう言って、目を開ける。辺りはまだまだ暗く、どう考えてもまだ朝ではない。


 ──起きてんだったら返事くらいしろよ。……まあいいや。おはよう、大将。いい朝だな。


「ああ。おはよう、藍奈。……でもまだ、深夜の2時過ぎだ。あいにくと俺は、こんな時間をいい朝だと言えるほど、特異な感性は持ってねーよ」


 凝り固まった身体を軽く伸ばして、なにもない虚空を睨みつける。けれど藍奈は気にした風もなく、言葉を返す。


 ──んなことより見てたぜ? 朝のお前の立ち回り。なんともまあ、随分と半端なやり方だったな。オレはお前がもっと器用な奴だと思って助言したんだが、存外に不器用なんだな? お前。


「……うるさいな」


 ──怒るなよ、別に責めてるわけじゃねぇ。お前のやり方は100点じゃねーが、だからって赤点ってわけでもねぇ。……そもそもお前は、あの姉妹たちと関わるまで友達どころか親との繋がりすらなかったんだ。それを考えりゃ、よくやってる方だよ。


「褒めてもらえて嬉しいよ。……それで? わざわざそれを言うためだけに、こんな時間に声をかけたのか?」


 俺のその言葉を聞いて、藍奈は笑う。おもちゃで遊ぶ子供のような笑い声を響かせて、彼女は言う。


 ──ちげーよ。オレもそこまで暇じゃねぇ。オレの部屋……いや、青波の部屋に来いよ。そこで面白いもの、見せてやるからよ。


「…………」


 ──そんな訝しむような顔するなって。別に、取って食おうってわけじゃねぇんだからよ。


「じゃあ、なにがあるかくらい言えよ」


 ──それはできねぇ。……いいからこいよ、めんどくせぇな。じゃないとこのまま朝まで、オレの歌声を響かせ続けるからな。


「……分かったよ、行けばいいんだろ」


 諦めたように息を吐き、そのまま部屋を出る。もう夏も間近で、廊下の空気が蒸し暑い。


「少し前までは、クーラーなんてない生活が当たり前だったんだけどな」


 そう小さく呟き、一応、青波さんの部屋の扉をノックする。けれどやはり、返事はない。だから俺は、


「入りますね」


 そう声をかけてから、部屋の扉を開ける。



「わっ!」



 するとすぐ横からそんな声が響いて、身体がビクッと驚きに揺れる。


「あはははっ。なずな、驚いてる。可愛い」


 彼女は驚いた俺の様子を見て、楽しそうに笑う。……そう。ずっと眠っていた青波さんは、そんな現実は全て嘘だというように、元気そうに笑ってみせる。


「目を覚ましてたんですね、青波さん。……よかった」


 久しぶりの、青波さんの笑顔。それを見ていると、驚かされたことなんてどうでもよくなるくらい、肩から力が抜ける。


「ふふっ。なずなにそこまで喜んでもらえるなら、私も寝ていた甲斐があるよ」


「それは、どうなんでしょう。まあでも、よかったです。藍奈の奴は大丈夫だって言ってたんですけど、いつまで経っても目を覚さないから、みんな心配してたんですよ?」


「……そっか。ごめんね、心配かけて。でも私は大丈夫だよ」


 ──オレは最初から言ってやってたんだけどな。こんな女、心配してやる必要はねぇって。


 そこで藍奈が、そう口を挟む。


「そんな冷たいこと言いながらも、私の代わりになずなに色々とアドバイスしてくれてたんでしょ? ありがとね」


 ──どうだかな。……つーかよ、せっかく眠り姫になってたんだから、目覚めはもっと劇的なものにしろよ。


「みんなのピンチに『お待たせ』とか言って、駆けつけたりとか?」


 ──ああ。その方がオレも、戦い甲斐があるってもんだ。


「相変わらず、藍奈はバカだな」


 おかしそうに、からからと笑う青波さん。……そんな青波さんの姿を見ていると、2人の仲の良さが伝わってくる。


「でも残念ながら、そんなことをやってる余裕はないんだよ。天底災禍は元より、あの神。初めから全力でいかないと、今度こそこの世界は滅びる」


 青波さんは綺麗な青色の髪をなびかせて、長い脚を見せつけるようにベッドに腰掛ける。そして誘うように、ポンポンとベッドを叩く。


「座りなよ、なずな。少し、話したいことがあるんだ」


 その言葉で、空気が冷たく軋む。どうやら真面目な話が、あるようだ。


「話をするのは別に構わないんですけど、いいんですか? 目を覚ましたことを、みんなに伝えなくて」


「うん。みんなにも心配かけたみたいだから、早く伝えてあげたいんだけどね。でもまずはなずなに……いや、なずなにだけ話しておきたいことがあるんだ」


 ──それでオレを使いっ走りにするんだから、いい迷惑だけどな。


 藍奈がそう、悪態をつく。


「いいでしょ、それくらい。藍奈だって、なずなのこと嫌いってわけじゃないんだから」


 ──はっ、どうだかな。少なくともオレは、こいつに使われて戦うくらいなら、お前に顎で使われてる方がマシだ。そう思うくらい、オレはこいつがこえーよ。


「まあ、なずなは灰色だけど、他の色には染まらないからね。藍奈とは、相性が悪いか。……適正はあるけど、相性は悪い。世の中上手くはいかないね」


 青波さんは含みのある笑みを浮かべて、また俺の方に視線を向ける。


「ほら、なずな。いつまでもそんな所に突っ立ってないで、早く座って」


「……分かりましたよ」


 そう答えて、ベッドに腰掛ける。……するとふわっと甘い香りが漂ってきて、ドクンと心臓が跳ねる。


「もっと近くにおいで? お姉さんが、ぎゅってしてあげる」


「いや、いいですよ。それより、話があるんでしょ?」


「ふふっ、なずなは真面目だね。……でも私が眠ってる間、なずなはずっと頑張ってくれてたんでしょ? なら少しくらい、労わせてよ。……頑張ったね、私の代わりにみんなを支えてくれて、ありがとう」


 青波さんの柔らかな身体に、包まれる。するとどうしてか、身体から力が抜ける。


「さて、なずな。こんな時間に呼んで、ごめんね? でも今日が終わって明日の夜には、また天底災禍がやってくる。だから早いうちに、話しておきたかったんだ。……あの神について」


「神、ですか。青波さんは神について、どれくらい知ってるんですか?」


「なずなと同じだよ。私は神について、ほとんどなにも知らない。彼女たちのことを知っているのは、たぶん当の本人たちと母さんくらいかな。……でもあたしもこの数日間、ただ眠りこけていたわけじゃない」


「いや、青波さんはずっと──」



「私はね、夢を見ていたんだよ。この数日間ずっと、神についての夢……悪夢を見ていた。それでどうしても、なずなに訊いておきたいことがあるんだ」



 そこで青波さんは、俺から手を離す。そして真剣な表情で、その言葉を口にした。



「なずなの姉だった、灰色の蜘蛛の神。彼女は今でも、なずなを愛してる。ずっとずっと、貴方だけを待ち続けている。それでも貴方は、あのを殺せるの?」


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