第55話 楽勝だろ?



「……朝、か」


 橙華さんとデートをした翌日。橙華さんと同じベッドの上で、目を覚ます。


「うにゃうにゃ」


 橙華さんはまだ、眠っている。まるで抱き枕を抱きしめるように手と脚を俺の身体に絡ませ、気持ちよさそうに寝息を立てている。


「…………」


 ……無意識に、手が頬に触れる。そこにはまだ、橙華さんの唇の感触が残っている。あの蕩けるような柔らかな感触が、いつまで経っても消えてくれない。


「あんまり意識し過ぎても、笑われるだけか」


 橙華さんを起こさないようにゆっくりと手と脚の合間から抜け出し、軽く伸びをする。



 昨日、びしょ濡れになって家に帰った後。シャワー浴びて一息ついてから、みんなにも真白さんとのことを話した。


 これから1週間……いや、もう6日か。その間は『夜』がやってこないということ。神のこと。そして、黄葉を助けられるかもしれないということ。


 その全てを、余さずみんなに伝えた。するとみんなは夢でも見るような顔で笑って、喜んだ。そしてそのまま力尽きるように、また眠ってしまった。


 きっとみんなそれほどまでに、疲れが溜まっていたのだろう。橙華さんも昨日のデートで疲れていたのか、すぐに眠りたいと言った。……いや、彼女は俺と一緒に眠りたいとそう言った。


「…………」


 けれど、しばらく『夜』はやってこないのだから、一緒に眠る必要なんてない。……というか、今になってようやく気がついたのだが、橙華さんの魔法で悪夢を見せることができるなら、その逆もできる筈だ。


「ならもう、一緒に眠る必要はないよな」


 そこまで分かっていながら、俺はこうして橙華さんと一緒に眠ることにした。


「甘えてるんだろうな……」


 もう一度、橙華さんの寝顔を見る。橙華さんはむにゃむにゃと涎を垂らしながら、気持ちよさそうに眠っている。……その姿はとても無防備で、少しドキッとしてしまう。


「……もう結構いい時間だし、先に朝ご飯でも作っとくか」


 言い訳のようにそう呟いて、部屋を出る。そしてそのまま、キッチンに向かおうとして……。



 ふと、声が響いた。



 ──こっちだ。こっちへ、こい。



「……っ」


 音のない声が、直接頭に響き渡る。まるで脳を直接揺さぶるように、声が聴こえる。こちらへ来いと、なにかが俺を呼んでいる。


「…………」


 俺はその声に引き寄せられるように、とある部屋の前まで移動する。……異常事態が起こったのなら、みんなを起こしてちゃんと相談するべきだ。俺1人だと、いざという時に対処できないかもしれない。



 普段の俺なら、そう考える筈だ。



 けれどこの部屋から声が聴こえたのなら、きっと彼女が俺を呼んでいるのだろう。そう思い、扉を開け部屋に入る。


「青波さん。呼びましたか?」


 依然として眠り続けている青波さんに、そう声をかける。


「…………」


 けれど青波さんは、言葉を返さない。すぐにでも目を覚ましそうなほど安らかな顔で眠っているのに、彼女は決して目を覚さない。


「……青波さんじゃないのか? ……というか、青波さんが眠ったままだと困るんだけどな」


 1番心が不安定だったでろう橙華さんに、寄り添うことができた。……無論、彼女の問題を全て解決できたわけではない。けど少なくとも自身に催眠をかけるような真似は、もうしないだろう。


 そして他のみんなは疲れてはいるのだろうけど、橙華さんのように重い問題を抱えてはいない筈だ。


 なら俺が今1番やるべきことは、青波さんの目を覚させることだ。姉妹の中で1番強い青波さんが眠ったままだと、勝てる戦いも勝てない。


「青波さん。……青波さん? 呼びましたよね? なにか、俺にできることはありませんか?」


 もう一度そう声をかけるが、さっきの声は聴こえない。……もしかしたらただ疲れていて、幻聴を──。



 ──後ろだ。後ろ。



「……っ。また……」


 そこでまたしても、脳を揺さぶる声が響く。だから俺はほとんど無意識に、背後に視線を向ける。



 すると、そこには……。



「これ、あの腕輪だよな……」


 青波さんの机の上に、いつか彼女が俺に差し出した藍色の腕輪が置かれていた。どうやら声は、その腕輪から聴こえるようだ。


「えーっと。貴女が俺を呼んだのか?」


 腕輪に向かって、そう声をかける。それは少し間抜けな行為かもしれないが、声はちゃんと返ってきた。


 ──お。ちゃんと聞こえるのかよ。やっぱお前が、藍色なのか。


「……いや、それは知らないけど、貴女は……なんなんだ?」


 ──オレは、藍奈。この街ができる前からこの場所で悪夢を壊し続けてきた、最強の魔法少女。……今はまあ、腕輪に宿る妖精ってとこかな。


「腕輪の妖精、ね。そういうのはいないって、前に聞いてたんだけどな」


 警戒するように、一歩後ずさる。この腕輪が普通ではないというのは、もう知っている。なら、迂闊なことはするべきではないだろう。


 ──そう警戒するなよ、大将。オレはあんたの敵じゃねぇ。オレはただ、お前に伝えておきたいことがあるんだよ。……今のこの家でオレの声を聞けるのは、お前しかいねーしな。


「…………」


 ──信用しろって。そもそも青波が、言ってた筈だろ? お前なら、オレ程度どうにでもできるって。


「……分かった。話を聞くだけなら、構わないよ」


 俺のその言葉を聞いて、腕輪の少女は満足そうに笑い声を響かせ、言葉を続ける。


 ──まず、神のことだ。お前……お前らはアレについて、どこまで知ってる?


「……ほとんどなにも知らない」


 ──そうかよ。なら、オレと一緒だな。……だが、オレと青波は天底災禍の中で、神を名乗る闇と戦った。……ありゃ、やべぇ。強いとか弱いとか、そういう括りに入るような生やさしい存在じゃねぇ。


「……みんなじゃ勝てないと、そう言いたいのか?」


 ──ああ。このままだと、お前らは全員まとめて死ぬ。たとえお前があの姉妹たちの心に寄り添って、青波を目覚めさせ、オレを使って戦ったとする。それでもなお、勝てねぇ。神っていうのは、そこまで異質な存在なんだよ。……忌々しいことにな。


「…………」


 吐き捨てるような言葉が、脳に響く。それだけで、この少女がどれだけ神を恐れているのか、伝わってくる。


「なら俺たちは、どうすればいい? 勝てなくても戦うしかない俺たちは、どうすればいいんだよ。……どうすれば、黄葉を助けられる?」


 ──決まってんじゃねーか、大将。まずは青波を起こせ。


「……青波さんが居ても、無理なんじゃないのか?」


 ──その女なら、無理なことくらいどうにかしてみせる。そいつはあの神とは違った意味で、異質な奴だからな。


 異質という言葉が少し気になるが、確かに青波さんにはなんでもできてしまうような、不思議な頼もしさがある。


「ならどうすれば、青波さんは目を覚ます? 俺に、なにができる?」


 ──キスだよ、キス。


「……は?」


 唐突な言葉に、思わず間抜けは声が溢れる。


 ──は、じゃねーよ。お姫様の眠りを覚ますのは、王子様のキスと相場が決まってるだろ? ……大丈夫。キスくらいで、その女は怒ったりしねぇよ。だからその間抜けな寝顔に、思い切りキスしてやりな。


「…………」


 そう言われて、はい分かりましたと答えるだけの豪胆さは、俺にはない。だからこの場にはただ静かな秒針の音だけが、カチカチと響き続ける。


 ──なんて。冗談だよ、大将。キスなんてしても、そのバカは目覚めやしねぇよ。


「……次つまんねーこと言ったら、腕輪ごと叩き割るからな」


 ──おー、怖え。


 藍色の少女──藍奈は、笑う。ただ目の前のことを楽しむ子供のような笑い声を響かせ、彼女はその言葉を口にした。


 ──オレを腕にはめろ、大将。お前が魔法を使って、青波を無理やり目覚めさせてやるんだよ。……そうすりゃ、。本当に倒すべき、相手がな。


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