第56話 目を逸らすな。



 ──オレを腕にはめろ、大将。お前が魔法を使って、青波を無理やり目覚めさせてやるんだよ。……そうすりゃ、。本当に倒すべき、相手がな。



 そんな声が脳に響いて、俺は腕輪を手に取る。


「…………」


 ここでこの腕輪をはめるのは、どう考えても軽率だ。仮にこの腕輪をはめるのだとしても、みんなの前でするべきだろう。……そう分かっているのに、俺はゆっくりと腕輪を持ち上げる。


 そうするのが、正しい。今この腕輪をはめなければ、なにか大切なことが手遅れになってしまう。


 そんな不確かな衝動が、俺を突き動かす。まるで夢の中で夢でも見ているような、おぼろげな感覚。俺はそんな感覚に引っ張られ、ほとんど無意識に手を動かす。



 ──はっ。ちょろいな。



 そんな声が最後に響いて、俺は藍色の腕輪をはめた。



「……っ!」



 そしてその直後、藍色の地獄を見た。



 夜を戦う、1人の少女。藍色の髪を月光に濡らし、夜を駆ける美しい女の子。そんな彼女の記憶が、頭の中に広がる。


 彼女はただただ、夜を戦う。まるで夜を統べる吸血鬼のように、陽の光を拒絶し夜だけを走る。どれだけ傷つき、大切な仲間が目の前で死んだとしても、彼女は嬉々として戦い続ける。


 100年、200年、300年。全てが変わるくらいの時間が流れても、彼女の笑い声だけは変わらない。肉体を失い、小さな腕輪に閉じ込められても、彼女はただ戦い続ける。他人の命を喰らってでも、戦う手を止めない。



 彼女は、星だ。



 真っ暗な『夜』を駆ける、一筋の星。この世のことわりに縛られることなく、自由気ままに夜を駆ける流星。そのあり方は、一切の無駄がなく美しい。……けれど同時に、地獄のようにおぞましい。


 俺たちが血を吐きながら戦う『夜』を、彼女は笑いながら踊っている。自分が傷つき仲間が死んでも、彼女はただ笑っている。俺はそれが、恐ろしい。



 だから俺は反射的に、その腕輪を外した。



「……っ!」


 藍色の腕輪が、床を転がる。コロコロとどこか間抜けに地を這って、彼女は言った。


 ──くそっ。地獄か、お前! なんだその、おぞましい生は! へどろで固めたような、気色悪い人生は! 気持悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い……! そんなものを、オレに見せるな!


「……なんだよ、それ。それは、俺の台詞だ!」


 そう叫んだ後で、気がつく。俺が今、この腕輪の少女──藍奈の記憶を見ていたように、彼女もまた俺の記憶を見ていたのだろうと。


 ──ちっ、最悪だ。あわよくばお前のその心ごと、お前という存在を飲み込んでやろうと思ってたのに……なんだそれは! お前の中に、なにがいる? どうしてお前は、そんな状態で平然としていられる? ……心底から、おぞましい。化け物だよ、お前は。


「……随分な言い草だな。つーかそれは、俺の台詞だよ。お前みたいに死んだ後も戦い続ける怪物の方が、俺はずっとおぞましい」


 ──はっ、笑わせんな。この世に戦うこと以外にすることなんざ、ありゃしねぇだろ。


「そう思うのは、お前の頭がイカれてるからだ」


 ──イカれてるのは、お前の方だよ。身体中にナイフを突き立てられてる癖に、痛がるどころか恨むこともせず、平然としてる。そんな奴、人間じゃねぇ。イカれてる以外に、なんて言やいいんだよ。


 どうやらお互いに、お互いの中に地獄を見たらしい。……まあ確かに俺の人生はろくでもないものだが、どう考えてもこいつに比べれば全然マシだ。


「…………」


 けれど今はそんなことより、訊かなければならないことがある。


「なあ、藍奈」


 ──んだよ。当てが外れたから、もう行ってもいいぞ。お前と一緒に戦うくらいなら、青波にこき使われてる方がマシだ。


「そんなことは、どうでもいい。それより、お前に訊かなきゃならないことが、2つある」


 ──青波のことと、さっきオレが言った本当に倒すべき相手の話だろ?


 藍奈は腕輪の癖に疲れたように息を吐いて、続く言葉を口にする。


 ──はあ、めんどくせぇ。えーっと、まずは青波か。……でもこの女は、ほっときゃいいよ。ほっときゃ勝手に、目を覚ます。こいつはそういう女だ。いい意味でも悪い意味で、大抵のことは1人でどうにかしちまう。


「……適当なこと、言ってるわけじゃないよな?」


 ──たりめぇだろ。オレは嘘はつかねぇ。そもそも、考えてもみろよ。この化け物みたいな女が、後先考えず眠りこけると思うか? 


「それは……」


 ──だからこんな女、ほっときゃいいんだよ。大一番で眠りこけてるほど、この女は間抜けじゃねぇからよ。


 そう言われると、返す言葉がない。確かにあの青波さんが、意味もなく眠り続けているとは思えない。


「じゃあ、本当に倒すべき相手ってのは誰なんだ? 俺に腕輪をつけさせる為に、適当に言った嘘なのか?」


 ──だからちげーよ。オレは嘘はつかねぇって。……でも、一瞬だけとはいえお前の過去を見た後に、あの話をするのはな……。


「なんだよ。もったいぶるなよ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」


 ──はぁ。まあいっか。


 カチカチと秒針の音が数回響いてから、藍奈は言う。


 ──あの女……いや柊 真白が、どうしてお前をこの家に呼んだと思う? あの女が本当に困った奴を助ける為だけに、お前をこの家に呼んだと思うか?


「それは……」


 俺と真白さんが話したのなんて、この前のことを合わせても数回だけだ。だから俺は、全くと言っていいほど彼女のことを知らない。


 ……けど、彼女は意味もなく他人を助けるような人間ではないだろう。彼女のあの笑みの奥には、そう思わせるだけの暗いなにかが隠れている。


 ──つっても、あの女が敵ってわけじゃねぇ。あいつはオレたちとは違うスケールで物事を見てる性悪なだけで、お前と敵対するつもりはない筈だ。


「じゃあ、誰なんだよ。本当に倒すべき敵っていうのは」


 ──……やっぱり、辞めだ。ここでお前を動揺させて、いざって時に使い物にならなくなっても困る。だから今は、これくらいにしといてやるよ。


「それは……いや、もういい。なんとなくだけど、お前の言葉に嘘がないのは分かった」


 ──はっ、そうかよ。信じてもらえて、嬉しいよ。……まあそれでも、お前と一緒に戦う気はないがな。


「……そうかよ」


 酷く嫌われてしまったようだが、それはもう構わない。いざという時は、こいつの意思を無視して腕輪をはめる。そうすれば、無理やりにでも戦える筈だ。


 ──そんな顔しなくても、別にオレはお前を嫌ってなんかいねーよ。……ただ、恐れてるだけだ。


「それはどっちも同じことだ。それより、もう話は終わりなのか? 俺はこれから、みんなの朝ご飯を作らなきゃならないから、あんまりチンタラしてる時間はねーんだよ」


 ──はっ、もう尻に敷かれてるのか。……でもまだ、話は終わってねぇ。どうせだから最後にもう2つ、忠告しておいてやるよ。


 俺はゆっくりとしゃがみ、腕輪を手に取り机に置く。すると腕輪は1人でにカタカタと揺れて、また脳に言葉が響く。


 ──さっき、このままだと全員死ぬと言ったな。あの言葉にも、嘘はねぇ。だから死ぬ気で、なにか考えろ。あの姉妹でも、お前自身でもいい。なにか神への対抗策を考えねぇと、『夜』は次で終わる。


「……そう言われても困るんだけど、まあ死ぬ気で考えてみるよ」


 ──そうしろ。真っ当な方法だと、何度やってもあれには勝てない。だからできうる限り、イカれた方法を考えろ。お前、得意だろ? そういうの。


「……かもな。それで、あと1個は?」


 ──お前の名前は、灰宮 なずなで間違いないな?


「そうだけど、それがどうかしたのかよ」


 ──お前の親は、随分とえげつない名前をつけるなと思ってな。……知ってるか? ナズナの花の花言葉を。


「…………」


 俺はなにも、答えない。だから代わりに、藍奈が言う。


 ──『私の全てを、貴方に捧げます』それが、ナズナの花言葉だ。さて、お前は一体なにに捧げられる為に、この世に産まれてきたんだろうな。


 その言葉を背中で聞いて、部屋を出る。



『なずな。この子が今日から、お前の姉だ』



 そんな言葉が、また頭に響く。夜の闇に隠れた灰色が、少しずつ俺ににじり寄ってくる。


「……今は、関係ない」


 逃げるようにそう呟き、キッチンに向かう。



 残りあと、6日。『夜』を打ち破る光明は、まだ全く見えてはいなかった。


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