第47話 頑張ってね。



「こんな所に、神がいるのか……」


 そう呟き、その建物を見渡す。


 それは、俺がこの前まで住んでいた場所と同じように、山の中に建てられていた。辺りを覆う、背の高い木々。虫の鳴き声すら聴こえない、肌を刺すような沈黙。そんな、まるで異世界のような場所に建てられた、古びだ神社。


 真白さんに腕を引かれ、そんな場所までやって来た。


「さ、行こうか。……ふふっ。そんなに怖がらなくても、大丈夫だよ? 神と言っても、見た目は可愛い女の子だから」


 真白さんはようやく俺の腕を離し、そのまま靴を脱いで神社に上がる。だから俺も、その背に続く。



 けれどその瞬間、息が止まった。



「────」


 まるでいきなり月面にでも飛ばされたような、異質感。神社の外も異世界のようだと思ったが、中はそれとも比べ物にならない。気を抜けば、意識を持っていかれる。それくらい、この場の空気は重かった。


「なずなくんは、敏感なんだね」


 そんな俺の様子を見て、真白さんは笑う。


「……敏感とか、そういう次元じゃないですよ。ここは、どう考えてもおかしい」


「そう思えるのは、なずなくんが敏感だからだよ。……でもさっきも言ったけど、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ? 彼女は君に、危害を加えたりはしないから」


 真白さんはそう言って、そのまま奥の扉を開ける。すると、そこには──。


「ふふっ、可愛いでしょ? この子がね、天底災禍という悪夢を見続けている神様。名前は……残念ながら、まだ分からないけどね」


 真白さんは、心底から楽しそうに笑う。……けれど俺はそんな声が聞こえないくらい、その少女に見惚れていた。


 真っ白な布の上に寝かされた、薄いボロ切れのような服を纏った少女。その少女は俺と同じ灰色の髪をしているが、その存在感は俺なんかとは桁が違う。


 人型を保っていてなお、人間には見えない。眠っていながら、まるで巨大な怪物のような存在感。一目見ただけで、分かった。これは俺たちとは、違う生き物だと。


「なずなくんになら、分かるでしょ? この子が本物の神だって」


「……はい。これはどう見ても、人じゃない」


 ……いや、だからって神だと決めつけるのは、早計かもしれない。でも、神だと言われれば納得してしまうだけの迫力を、この少女は持っている。


「この子……いやまあ、厳密にはこの子は神そのものではないんだけど……。私はこの子をね、偶々見つけたんだよ」


「偶々、見つかるようなものなんですか?」


「偶々じゃないと、会えないような存在なんだよ。彼女は何百年もこの場所で眠っているのに、誰もそれに気がつかない。それくらいかくれんぼが上手いんだよ、この子は」


 真白さんはその少女の頭を優しく撫でて、言葉を続ける。


「この子はね、神の依代なんだよ。は今も、この街の地下で眠っている。その本体は人と関わるには大き過ぎるから、この少女の身体を使って人と関わっていたらしい。だから昔の人は、この少女こそが神だと信じていたんだ」


「……じゃあ、仮にこの子を殺しても天底災禍は終わらないってことですか?」


 俺のその冷たい言葉を聞いて、真白さんは裂けるように口元を歪ませる。


「……いい感じに落ちてきたね、なずなくん。そう。君の言う通り、この子を殺しても天底災禍は終わらない。だって悪夢を見ているのは、この子ではなく地下で眠る本体だから」


「……そうですか」


 ……その言葉を聞いて、安心している自分がいた。それがなんだか情けなくて、手をぎゅっと握りしめる。


「そんなに思い詰めた顔をしなくても、大丈夫だよ? それより、そろそろ本題を話そうか。どうして私が、君をここに連れて来たのか。君も、気になってるんだろ?」


「……はい。というか、みんなには会ってあげないんですか?」


「残念ながら、。だから君にだけ、話しておこうと思ってね」


 真白さんは自身の真っ白な髪を優雅な仕草でなびかせて、ゆっくりと口を開く。


「この子……この神様はね、人を恨んでるんだよ。心の底から、人という存在を憎悪している。……皆殺しにしたいって、そう思うくらい」


「だから、天底災禍みたいな悪夢を生み出したんですか?」


「半分、正解。この子にはね、もう力が残ってないんだよ。この街の地下で眠る神は、依代の少女を動かす力すら残っていない。だからこの子は、ずっと眠り続けている。人への憎悪を蓄えながら」


「それが、天底災禍ってことですか?」


「そう。神の力の源も、みんなの魔法と同じ心なんだ。だからこの神は悪夢を見続けることで、力を溜めている。いずれ人を、皆殺しにする為に」


 でもと、真白さんは言葉を続ける。


「人の味方をしてくれる神も、いるにはいるんだよ。そいつ……いや、その神は憎悪に染まった悪夢を食べて、この神に力が戻るのを防いでくれている。だからなんとか、この世界は滅びずに済んでいるんだ」


 真白さんはそこで、曲がった木材の壁に背をあずける。木がミシッと、音を立てる。


「そして100年に一度。その溜まった憎悪に耐えきれず、悪夢を食べた神はその悪夢を。それが『夜』であり、天底災禍という災害なんだ」


「その天底災禍を止めるが、柊の役目ってことですか」


「うん。本来ならそこも別の神が担ってくれていたんだけど、その神は随分前に死んじゃったんだよ。だから私たちは、その神の骸を使って腕輪を作り、なんとか世界の均衡を保ってきた」


 真白さんはそこで、話疲れたというように大きく伸びをする。


「…………」


 真白さんの話は、とても興味深いものだった。……けれどその話をする為だけに、わざわざ俺をこんな所まで連れてきたのだろうか?


「さて、ここまでは前置き。ここからが、本題だ」


 そんな俺の心境を見透かしたように、真白さんは笑う。


「さっきも、本題って言ってませんでした?」


「ふふっ、そうだっけ? でもまあ、大切なのはここからなんだよ」


 その言葉が本当だと言うように、真白さんは真面目な顔で俺を見る。だから俺も背筋を伸ばして、真っ直ぐに真白さんを見る。


「本来なら、柊の役目はもうとっくに終わってる筈だったんだ。みんなが天底災禍を壊し損ねたからとかじゃなく、神という存在は全てこの世から消え去る筈だった」


「……そうなんですか?」


「うん。遠い昔、誰かがそういう計画を立てて、実際それは上手くいった。……でもどうしてか、3柱の神だけその計画から逃れた」


 真白さんは、さっきまでとは比べ物にならないくらい冷たい目で、神の依代である少女を睨む。


「この子と、悪夢を食べるもう1人の子。その2柱は、別にいい。この子たちは、。でも、もう1柱。その神は、ちょっと厄介なんだよ。あれは早いうちに、どうにかしないといけない」


「……その神は、天底災禍を生み出す神より厄介だって言うんですか?」


「うん。眠っているこの子なんてわけないくらい、そいつは危険なんだ。……そしてそいつは今、天底災禍の中にいる」


「────」


 その言葉に、ドクンと心臓が跳ねる。


「大丈夫だよ、なずなくん。別に君に、そいつを倒せとは言わないから。……でももし機会があれば、少し話をしてみて欲しい。きっと彼女は、君の話なら聞いてくれる筈だから。……それに彼女の力を使えば、黄葉を助けられるかもしれない」


「……! ほんとですか! それ!!」


 思わず、真白さんの肩を掴む。そんな俺を見て、真白さんは笑う。


「もちろん、ほんとだよ。基本的に悪夢に飲まれたら、誰であれ逃れることは叶わない。……けど、例外はあるんだよ。現に赤音は、君の悪夢に飲まれても帰ってこれた」


「なら、黄葉も……!」


「うん。きっと黄葉も、戻って来れる。神の力があれば、奇跡くらい容易く起こせるからね」


 真白さんはなにかを誤魔化すよう息を吐き、言う。


「そしてその為にこれから1週間、私が『夜』を止める。橙華が君にしていたように、この神の依代から直接、天底災禍という悪夢を操作する。だからその1週間で、君は──」


「いやいやいや。……え? そんなこと、できるんですか? ……というかそんなことできるなら、真白さんが戦ってくれれば、みんなは……」


「残念ながら、それは無理なんだよ。こう見えて私は、かなり危うい立場だからね。やりたいと思うことは、大抵できない身体なんだ。……使


 真白さんの冷たい手が、俺の頬に触れる。そして彼女はそのまま今日1番の笑みを浮かべて、続く言葉を口にする。



「だから私が、なんとか時間だけは作ってみせる。その1週間が、なにもできない私からみんなへの、唯一のプレゼントだ。なずなくんはそれを使って、準備を整えるといい。青波に言われた通りみんなの心に寄り添ってもいいし、あの藍色の腕輪をつけて魔法を練習をしてもいい。全て、君に任せる」



 ──だから、みんなをお願いね。



 そんな風に言いたいことだけ言って、真白さんはまるで魔法のように、この場から姿を消す。


「……いや、あの子の姿もない」


 気づけば真白さんと一緒に、神の依代だという少女の姿も消えていた。


「ほんとなんなんだよ、あの人は……」


 でもあの人のお陰で、1週間という時間ができた。……その言葉が嘘だったら取り返しがつかないが、流石にそこを疑うのは失礼だろう。



 だから俺が考えるべきは、この1週間でなにをするか。



 今後こそ絶対に、間違えるわけにはいかない。絶対に俺の力で、黄葉を助けてみせる。


「帰るか」


 覚悟を決めて、神社を後にする。すると冷たい風が吹きつけて、思わず目を瞑る。


 俺は、気づいていなかった。真白さんが1つだけ、嘘をついていたということに。そしてその嘘が、致命的な結末をもたらすということに。


「朝ごはん、なにがいいかな」


 そう呟いて、早足に歩き出す。



 そうして、1週間だけの短い日常が始まった。


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