第48話 嘘じゃないよ。
真白さんとの話を終え、今後のことを考えながらゆっくりと歩いて、家に帰る。
「これから、頑張らないとな」
そう小さく呟き、玄関の扉を開けて言い慣れた挨拶を口にする。……いや、口にしようとした直後。それを遮るように、声が響いた。
「なずなくん!」
そう叫び、泣きそうな顔をした橙華さんが凄い勢いで俺の身体を抱きしめる。
「橙華さん、どうかした──いや。もしかして、またなにかあったんですか?」
橙華さんの悲痛な表情を見て嫌な想像をしてしまった俺は、恐る恐るそう尋ねる。けれど橙華さんは、そんな考えを否定するように首を横に振る。
「じゃあどうして、そんな泣きそうな顔してるんですか?」
「……なずなくんが、出て行っちゃったのかと思ってた。だから、帰って来てくれて……嬉しいんだよ」
「……は?」
その言葉の意味が分からなくて、思わず首を傾げる。
「どうして俺が、出て行くんですか」
「だってなずなくん、部屋から居なくなってたんだもん。だからもうあたしたちに嫌気がさして、出て行っちゃったのかと思ってた……」
「……いやこんな状況で、出て行くわけないでしょ? 俺がいなきゃ天底災禍は止められないんだし、なにより……黄葉のこともあるんですから」
「そうだけど……。でも、不安だったんだよ。なずなくん、この家に来てから辛い目にばっかりあってるから、もうあたしたちに嫌気がさしたんじゃないかって」
橙華さんは身体から力を抜くように大きく息を吐いて、俺の身体をぎゅっと抱きしめる。……そんなことをされると、橙華さんの大きな胸が俺の身体に押しつけられてしまうのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「それより、橙華さん。みんな、起きてますか? 色々、話さなきゃいけないことがあるんです」
「え? ……ああ。みんな多分、まだ寝てる筈だよ。最近はみんな疲れてて、お昼頃まで眠ってる筈だから」
「じゃあ、起こすのは可哀想ですね」
「うん。でもなにか話があるなら、あたしが聞くよ? ……あたしのせいで、なずなくんは毎日辛い悪夢を見てるんだもん。だからあたしにできることがあるなら、なんでも言って?」
真剣な表情で、えへんと胸を張る橙華さん。そんな橙華さんの姿を見ていると、どうしてか肩から力が抜ける。
「じゃあ、お願いします。きっと橙華さんも、喜んでくれる筈ですから」
そのまま2人で、リビングに移動する。そして橙華さんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、さっきのことを余すことなく伝える。
真白さんと話をしたこと。神のこと。これから1週間は、『夜』はやってこないということ。そしてもしかしたら、黄葉を助けられるかもしれないということ。
その全てを、橙華さんに伝える。すると橙華さんは笑顔とも泣き顔とも言えないような表情で、縋るようにその言葉を口にした。
「……本当に、黄葉ちゃんを助けられるの?」
「確証はありません。でも俺は、そう信じてます」
「……そっか。じゃああたしも、信じるよ。黄葉ちゃんを、助けてあげられるって」
橙華さんは真っ直ぐに俺を見て、意志の強さを感じさせる瞳で小さく頷く。
「それでなずなくんは、この1週間でなにをするつもりなの?」
「……それはまだ、決めてません。でも絶対に、無駄にするつもりはありません」
たった1週間でできることなんて、限られているだろう。青波さんもまだ目を覚まさないし、『夜』が来ないのなら本格的な魔法の練習もできない筈だ。
しかしそれでも、この1週間で天底災禍を倒す方法を見つけなければならない。たとえどんな手段を使ってでも、絶対に黄葉を助けてみせる。
だから、俺は──。
「…………」
と、そこで気がつく。橙華さんがなにか言いたそうな顔で、ジッとこちらを見つめているということに。
「どうかしましたか? 橙華さん」
「いや、その……これからさ、久しぶりに朝ごはんを作ろうと思ってるんだ。だからよかったら、なずなくんも手伝ってくれないかな?」
「それくらい、構いませんよ。……ここ最近は忙しくて、ずっとインスタントばかりでしたからね」
そうして2人でキッチンに向かい、料理を作る。……けどなんていうか、違和感があった。橙華さんの態度が、いつもと少し違う気がする。
「…………」
いやまあ、これから1週間は戦わなくてもいいわけだし、なにより黄葉のこともある。だから態度が少しおかしいくらい、別に普通のことだ。……そう思うのだけれど、どうしてもそれが気になる。
「……そういや、まだ知らなかったな」
前に緑姉さんと紫恵美姉さんが言っていた、橙華さんの秘密。色々あったせいで、そのことをすっかり忘れていた。……だからもしかしたら、この態度の変化の原因はそこにあるのかもしれない。
「なずなくん。お豆腐、切っておいてくれる? お味噌汁に、入れるから」
「あ、はい。わかりました」
そう返事をし、とりあえず余計な考えを横に置いて、冷蔵庫から豆腐を取り出し包丁を入れる。
「…………」
そしてチラリと、橙華さんの方に視線を向ける。橙華さんは、真剣な表情でネギを切っている。思えばいつも、そうだ。橙華さんはとても料理が上手いけど、料理をしている最中は一切気を抜かない。
「橙華さんは、なんていうか……動作が丁寧ですよね」
「……ん? ああ、そうかもしれないね。料理はね、1つ1つの作業を丁寧にすることが大切なんだよ。……まあ、折り紙みたいなものかな」
「折り紙、ですか」
「うん。折り紙ってさ、適当にやってても途中じゃ気づかないけど、最後には一目で分かるでしょ? 料理もそれと同じなんだよ。1つ1つの作業を丁寧にこなすことが、美味しい料理を作るコツなの」
「……橙華さんは、凄いですね」
豆腐を切り終えた包丁を置いて、そう息を吐く。
「そんなことないよ。あたしはただ、周りの人に恵まれてただけ。本当のあたしは……本当のあたしは、ただの……臆病者だよ」
そんなことないですよ。橙華さんは凄い人です。
……そう、言おうと思った。けれど橙華さんの表情が思った以上に沈鬱で、思わず言葉を飲み込む。
「じゃあ次は、卵とってもらえる?」
「……はい。分かりました」
少し気まずい空気の中、卵を手に取り橙華さんに渡す。橙華さんはそれを淡々と割って、かき混ぜていく。
……なんだか凄く、気まずい。なにが橙華さんの琴線に触れたのか分からないが、橙華さんの表情に正気がない。だからそれからはあまり会話もなく、静かに料理を作り続ける。
そしてあっという間に、美味しそうな朝食が完成した。
「みんな、まだ起きてきませんね」
一応みんなの分も並べたが、みんなが起きてくる気配はまだない。
「……先に、食べちゃう?」
「じゃあ、そうしましょうか」
微妙な空気のまま椅子に座り、手を合わせて食事を口に運ぶ。……けれどそんな空気も、美味しいものを食べれば簡単に吹き飛ぶ。
「この鮭、うまっ」
最近はずっと作業のように食事をしていたから、こうやって普通にご飯を食べるだけで、なんだか泣きそうになってしまう。
「…………」
でもどうしてか、橙華さんは沈んだ表情のまま箸を動かさない。真白さんのお陰で、どうしようもなかった現実に光が見えた。なのに初っ端からこんな調子では、せっかくの機会を無駄にしてしまう。
「実はずっとね、なずなくんに謝らなくちゃいけないことがあったの」
俺が口を開こうとした直後。橙華さんはそう言って、覚悟を決めたような瞳で俺を見る。
「……謝らなくちゃいけないこと、ですか」
「うん。でもそれを言うと、また魔法が使えなくなるかもしれないから……ううん。そんなの言い訳。あたしはずっと、逃げてたんだ」
橙華さんは、箸を置いて立ち上がる。そして真っ直ぐに俺の瞳を見つめたまま、ゆっくりとその言葉を口にした。
「なずなくんを追い出す原因になった、赤音ちゃんのパンツがなずなくんの部屋から見つかったあの事件。あれね、あたしがやったんだよ」
「────」
橙華さんのいきなりの言葉に、俺はなんの言葉も返すことができなかった。
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