第46話 行こうか。
「……このままじゃ、ダメだ」
そう小さく呟き、まだ薄暗い空を見上げながら見慣れた街を歩く。
あの長い『夜』から、3日が経った。その間、俺はずっと悪夢を見続け、みんなは天底災禍と戦い続けた。……けれどどれだけ辛い悪夢を見て、どれだけみんなが頑張っても、天底災禍を倒すことはできなかった。
やはり彼女がいなくては、あと一歩あれには及ばない。
「青波さん、大丈夫かな」
この3日間、青波さんはずっと眠り続けていた。なんでも藍色の腕輪を使った代償と、無理な魔法を使った疲労らしい。命に別状はないようだが、それでもやっぱり心配だった。
……いや、それは心配ではなく、ただ縋っているだけなのかもしれない。
橙華さん。紫恵美姉さん。柊 赤音。緑姉さん。みんな凄く頑張って、戦ってくれている。俺も悪夢を見続けることで、そんなみんなと一緒に戦うことができていた筈だ。
けれどやっぱり、俺たちだけじゃ天底災禍の波を止めるだけで精一杯。どれだけ頑張っても、破壊することはできなかった。
「……このままじゃダメだ」
同じ言葉を、また呟く。みんな、疲弊していた。毎晩やってくる天底災禍。黄葉を失った胸の痛み。そして誰より頼りになる青波さんは、眠ったまま目を覚まさない。
そんな生活が3日も続いて、みんなもう限界だった。
「……いや、俺も他人事じゃないのか」
毎日毎日、悪夢を見続ける。黄葉の死を、何度も何度も体験する。それはやはり……胸にくる。まだしばらくは大丈夫だと思うが、このまま戦いが長引けばいずれガタがくるだろう。
「こうやって散歩しても、気は晴れないしな」
みんなは『夜』から帰ってくるなり、そのまま倒れるように眠ってしまった。そしてそれと入れ替わるように目を覚ました俺は、やることもなく気晴らしに朝の散歩をしていた。
けれど頭を過ぎるのは嫌な想像ばかりで、歩く度に気が滅入る。
「…………」
……と。正面から歩いて来た女性が、俺の目の前で空き缶をポイ捨てした。仕事帰りなのか、それとも今から仕事なのかは分からない。けれど今にも死にそうな目をしたその女性は、そのままふらふらと歩き去っていく。
「これは、な……」
見ると、その場所には同じ空き缶がいくつも溜まっていた。……どうやら、常習犯らしい。
「ゴミ箱は向こうですよ」
その光景が少し癇に障って、そう声をかける。……が、女性はそんな俺の声を無視して、歩き続ける。
「……ま、いっか」
無理やり言い寄ると、面倒になるかもしれない。そう思い、空き缶だけでも捨てておこうと手を伸ばす。
するとふと、声が響いた。
「ガキは気楽でいいわね」
顔を上げると、女性はどうしてか足を止めこちらを見つめていた。
「大人だって威張りたいなら、ゴミくらいちゃんと捨てた方がいいですよ」
「そんなことして、なんになるって言うのよ。私が捨てなくても、どうせ誰かが捨てるわ。誰も私に優しくしてくれないんだから、正しく生きても意味なんてないじゃない」
「…………」
面倒なのに絡まれたな、と思った。……いや、俺の方から近づいたんだから、自業自得か。
「……なによ、その顔。ガキのくせに、見下すんじゃないわよ。どいつもこいつも、私ばっかり馬鹿にして……! なんなのよ!」
女性が俺の胸ぐらを掴む。……強い酒の香りが漂ってきて、頭が痛くなる。どうやらかなり、酔っているようだ。
「…………」
「なんなよ、その目! なにか言ったらどうなの!」
「……いや、懐かしいなと思って。俺の父親もさ、あんたみたいに酔っ払って、よく俺に暴力を振るってきたんですよ。そして同じように難癖つけて、勝手に怒ってたなーって」
「……っ」
女性は嫌なものでも見たような顔で、手を離す。……もしかしたら、同じような経験があるのかもしれない。
「ゴミ箱は、向こうですよ」
俺がもう一度そう言うと、女性は苛立ち気に舌打ちをして、そのまま空き缶をゴミ箱に捨てに行く。
「これで満足?」
「お仕事、お疲れ様です」
「……生意気なガキ」
女性はそれだけ言って、そのまま立ち去る。
「…………」
その女性の背筋は、まるで周囲を警戒するかのように曲がっていた。そんな女性の姿を見て、懐かしい言葉を思い出す。
『罪とは、背筋を伸ばせないことだ』
俺の世話をしてくれていた『先生』が、偶にそんなことを言っていた。罪というのは、人の在り方だ。見られたくないものを背中に隠し、背筋を曲げて周囲を威圧するその在り方こそが、罪なのだと。
さっきの女性は、無理やり怒ってルールを破ることで、背中にあるなにかを隠しているように見えた。
……思えば、最初に会った柊 赤音もそうだった。
彼女のあの理不尽な態度も、なにか大きな秘密を隠す為のものだったのかもしれない。
「……いや、人のことは言えないか」
俺自身、なにも隠し事がないかと言えば嘘になる。……いや、というよりなにか、大切なことを忘れている気がする。
橙華さんが見せる悪夢。それは大抵、黄葉のことだ。けど偶に、過去の光景が蘇ることがある。酒に溺れ、俺に暴力を振るっていた父親。あいつの夢を、偶に見る。
なにかわけの分からないことを叫びながら、俺にナイフを突き立てる父親。そしてそのあと、あいつ自身もそのナイフで命を断つ。
そんな悪夢を、偶に見る。
「…………」
俺の父親は、事故に遭って死んだ筈だ。なのにどうしてか、父親が俺を殺すあの光景が正しいものなんだと、そんな馬鹿なことを思ってしまう。
「……いや、今はそんなことどうでもいいか」
今考えるべきことはそんなことではなく、みんなのことと天底災禍への対抗策だ。あの父親の死因がなんであれ、それはもう関係ない。
「でも、終わったと思ってたんだけどな」
『人生は、明けない冬だ』
ずっとずっと、そう思ってきた。けれどこの前、柊 朱音……いや、赤音ちゃんのお陰で、その長い冬もようやく終わりを告げた。これからは楽しい生活が待ってるんだって、そんな風に思っていた。
なのに天底災禍が来て、黄葉が……死んで、今まで1番辛い冬がやってきた。
「もしかして全部、俺のせいなのか」
そんな馬鹿なことを呟いて、歩きペースを上げる。
色々と気になることはあるが、まずは天底災禍を倒さないと、どうにもならない。黄葉を殺したアレを倒さないと、みんないつまで経っても前に進めない。
「……くそっ。黄葉に、会いたいな」
黄葉のことを思い出すと、胸が痛む。またあの笑顔が見たくて、胸が張り裂けるように痛む。……そしてこのままだと、また誰かが黄葉のようになってしまう。
「それだけは絶対に、嫌だ」
なら、俺にできることは──。
「それは、やめた方がいいよ」
俺の思考を見透かしたように、そんな声が響く。そして曲がり角から、1人の女性が姿を現す。
「や、久しぶりだね。なずなくん」
その女性──柊 真白さんは、雪のように真っ白な髪をなびかせ、子供のように無邪気な顔で笑う。
「……お久しぶりです、真白さん」
俺は唐突に現れた真白さんに驚きながらも、なんとかそう言葉を返す。
「うん。こんなところで、偶然だね。でも、ちょうどよかった。君にね、合わせたい人がいるんだ。だから早く、行こう? ……ここにいると、みんなに見つかっちゃう」
真白さんはそう言って、強引に俺の手を引いて歩き出す。
「いや、ちょっ。会わせたい人って、誰なんですか?」
相変わらず強引な真白さんに困惑しながら、そう尋ねる。すると彼女は、まるで太陽のように晴れやかな顔で笑って言った。
「決まってるじゃない。……神様だよ」
「……は?」
そうして事態は、俺の想像していなかった方に進んでいく。
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