第45話 助けてみせる。
「──立ち去るがよい。核を壊して困るのは、貴様らの方だぞ」
黒い人形が、言葉を発した。重々しくも気品ある、それこそまるで神のような声で、黒い人形は青波に忠告する。
「……どういうことかな? それ。天底災禍を破壊しないと、世界が滅びる。私たちはそう聞いてるんだけど」
その声に、藍色の少女ではなく青波がそう言葉を返す。
「世界が滅びる、か。……今は何人の者たちが、『夜』を戦っておるのだ? いつの時代も、人というのは愚かなものだな。心なんてありもしないものを信仰するから、本質を見失う」
「本質、ね。私はそういう言葉を使う人は、信用しないようにしてるんだよ。……そもそもそんなの、どうだっていいしね。私はただ、私と私の周りのみんなが幸せなら、それだけで充分なんだよ」
「幸せ。……いつの時代も、人はその言葉に縋り続ける。だから貴様らは、あの
黒い人形は、吐き捨てるようにそう告げる。その仕草は、どう見ても人間のそれだ。……けれど纏う空気と言葉の重みが、その仕草を神々しいものに変えてしまう。
「おい、青波。いつまで──っ」
いつまでもダラダラと会話する青波に痺れを切らし、藍色の少女が口を挟もうとする。……けれど青波は、それを無理やり押さえつける。
……だってちょうどそれが、青波の視界を横切った。
「…………」
夜の闇の隙間を縫って進む、小さな小さな蜘蛛の大群。それが音を立てず、静かに核の方へと進んでいく。
「じゃあさ、聞いてもいいかな? 仮に私が、この天底災禍の核を壊したとする。それでなにが、困るって言うの?」
だから青波は、この異質な存在は自分がここで引きつけると決め、すぐにそう口を開く。
「……困るもなにも、貴様らが悪夢を壊し続けるから、いつまで経っても『夜』が終わらんのだ」
「なら、このままこの天底災禍を放置するのが、正解だって言いたいの?」
「ああ。それで幾らかの人死にが出るであろうが、それは貴様らの自業自得。いずれきたる本当の災禍に比べれば、微々たるものだ」
「本当の災禍? 天底災禍を壊せば、より恐ろしいなにかが来るって言うの?」
「そうだ。夜だけでなく世界そのものを白で塗り潰す、
「──っ」
そこで青波は、気がつく。自分の脚に、真っ暗な影の鎖が絡みついているということに。
「……なるほど。時間稼ぎをしてたのは、私だけじゃなかったんだね」
「ああ。貴様は……いや、貴様らは色々と面倒だからな。……それに、あの蜘蛛。あれは少々、異質すぎる。あんなもの、人が使っていい力ではない」
「……そ。だからこんなに早く、天底災禍が現れたんだね。なずなに本気になられたら、貴方でも勝ち目はないから」
「かもしれんな。……けどまあいくら異質と言っても、たった数匹程度では核は壊せん。貴様は神を、甘く見過ぎた」
黒い人形は嘲笑うようにそう言って、剣を構える。そして闇に紛れて、青波の視界から消える。
「どうする、青波? またさっきみたいに、オレの魔法で……」
「それじゃダメ。この影、今までのとは比べものにならないくらい、頑丈だ。流石にこれは、今の私たちじゃ壊せない」
「なら、やべーじゃねーかよ! なんでお前、そんな冷静なんだよ!」
「ふふっ」
困惑する藍色の少女に反して、青波はただ笑う。今の身体の主導権は、藍色の少女にある筈だ。なのに青波は、楽しげに口元を歪める。
「実は私さ、怒ってるんだよ。本当はずっとずっと、血管が焼き切れるくらい怒ってた」
その言葉に、空間が震える。剣を振おうとしていた人形も、思わず手を止める。それ程までに、青波の怒りは深く重い。
「この悪夢は……天底災禍は、私の大切な家族である黄葉を奪った。これからたくさん遊んで、たくさん美味しいものを食べて、たくさん恋する筈だった私の妹を……この悪夢が殺した。たとえどんな理由があって、それが必要なことなんだとしても……」
青波は色の抜けた瞳で辺りの闇を睥睨し、言う。
「──許すわけないじゃん」
その瞬間、辺りの全てが青い光に包まれる。藍色の少女の心も自身の心も全て使い、辺りの闇を全て消し飛ばす。
「────」
それは今までの魔法とは違うなにかだと、藍色の少女は気がついた。だっていくら消し飛ばしても際限なく溢れ出していた闇が、今は完全に消え去った。
そしてなにより、まるで心が削れていくようなそんな喪失感に胸が痛む。これはダメなものだと、本能がそう告げている。
……だから藍色の少女は、無理やり青波を押し込み叫びを上げる。
「辞めろ! 青波! お前、死ぬ気か!」
自分の口から響いた、自分ではない少女の声。それで青波は、なんとか正気を取り戻す。
「……ごめん。ちょっと頭に、血が上っちゃった」
「……そういう問題じゃねーんだよ、バカ。なんだよあの、無茶な魔法の使い方。あんなの続ければ、オレはともかくお前の心が壊れるぞ」
「……そうだね。でもお陰であいつは消えたし、核も丸裸だ」
青波はゆっくりと、けれど確かな足取りで核の方へと進む。
空に入った亀裂の最奥。本来なら真っ暗な闇で覆われているその場所は、先程の青波の魔法で闇の一欠片も残っていない。だから手のひらサイズの水晶玉のような核は、完全に無防備だった。
「……黄葉。助けてやれなくて、ごめんね」
青波は涙を堪えるよう小さく呟き、そのまま魔法を発動する。
それで、当代の『夜』が終わる。
無論それだけでは連綿と続く柊の役目は終わらないし、また100年後『夜』がやってくる。……それに、悪夢に飲まれた黄葉が戻ってくるわけでもない。
けれどそれでも、『夜』を終わらせることができた。
だから──。
「──そんなわけがないだろ。舐めるなよ、小娘が」
「……え?」
青波の胸に、黒い剣が突き刺さる。どこからどうやって斬られたのか、青波ですらなにも分からない。痛みも苦しみも、一切ない。けれどどうしてか、身体から力が抜けていく。
「人間風情が、神を怒らせるでない」
そんな声が響いて、黒い人形に纏わりついた闇がゆっくりと剥がれていく。
真っ白な、翼が見えた。
まるで天使のような、一切穢れのない真っ白な翼。見ているだけで心が痛む、眩く神々しいその姿。
それを見て、青波はすぐに気がつく。
「……バカだな。母さんは」
それは、真白がずっと探し続けていた存在。この世に残った3柱の神。そのうち唯一、所在が分からなかった最後の1柱。それがまさか別の神の悪夢に隠れていただなんて、いくら真白でも想像すらしていなかった筈だ。
「……終わり、か」
静かに、月が光を取り戻す。青波の身体から、熱が抜けていく。まるでその剣に力を吸われているかのように、指1本動かすことができなくなる。
だから青波は最後の望みをかけ、みんなの方に視線を向ける。
「…………」
けれど橙華は魔法の使い過ぎで、立つことすらままならない。天底災禍の流れをせき止めていた赤音たちも、青波を助ける余力なんて残っていない。そしてなずなは今も、悪夢を見続けている。
だから誰も、青波を助けることなんてできない。
「……ごめん。みんな」
それでも青波は、笑った。そしてその最後の力で、藍色の腕輪を外しそれを赤音の方に放り投げる。
「
そうして、青波は──。
──青波ねぇを、いじめるな!!!
けれど背後から、そんな声が響いた。そして、いる筈のない誰かに突き飛ばされた青波は、空に入った亀裂から静かな街に落ちる。
「青波姉さん!」
そんな青波の姿を見て、空を蹴って赤音が走る。そしてそのままなんとか、青波の身体を受け止める。少し衰弱しているが外傷はなく、どう見ても命に別状はなかった。
「…………」
けれど青波はなにも言わず、空の亀裂を眺め続ける。あの先……天底災禍の中に、本物の神がいる。
そしてそこに、誰より優しく強い女の子が……きっとまだ、生きている。
「絶対、絶対に助けてみせる」
青波は覚悟を決めるように、そう小さく呟く。
そうしてそこで、『夜』が終わりを告げた。
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