第44話 藍色の少女。
「くはっ。いい夜だ」
青と藍。2つの腕輪をつけた青波は、まるで今までとは別人のような顔で笑い、『夜』を駆ける。
藍色の腕輪には、1人の少女の魂が宿っていた。1番最初に柊の役目を担った、青波たちの言葉で言えば初代の魔法少女。今よりずっと暗い『夜』を駆け、数多の悪夢を壊した最強の少女の心が、今もなおその腕輪に宿っていた。
……いや、それは宿っているだなんて、生優しいものではない。彼女の心は人間という規格を超越していて、神の骸で創ったとされる腕輪を自身の想いで染め上げた。
故に藍色の腕輪を使うと、使用者の心は藍色の少女に飲み込まれる。強すぎる少女に自我を喰われ、肉体ごと腕輪の一部になってしまう。
それが、藍色の腕輪を使う代償。
けれど無論、その代償に見合うだけの力を藍色の腕輪は有している。藍色の腕輪に込められた、神の骸を染め上げるほどの心。使用者はその心とその少女の力を、自身の魔法に加算して使うことができる。
そしてその腕輪を、青波がはめた。姉妹たちの中でも図抜けた才能を持った青波が、さらに強力な力を手にした。たった1人で天底災禍を追い払った時と同じように、青波の本気が『夜』を染める。
「あれは……」
赤音はそう呟き、空を見上げる。天底災禍の闇も蜘蛛の大群もお構いなしに進む、青い光。その光を見て、赤音は叫ぶ。
「橙華姉さん! 亀裂の中は、青波姉さんがどうにかしてくれる! だから私たちはこれ以上闇が広がらないよう、天底災禍の流れをせき止めよう!」
「でも……」
「悩んでる暇はない! 悔しいのは分かるけど、これ以上広がるともう止められなくなる!」
「……分かった。今は青波お姉ちゃんに、任せる。……みんな! 散らばって! 今度は、天底災禍の流れを止めるんだ!」
その橙華の言葉を聞いて、蜘蛛の大群が街に広がる。蜘蛛はもう既に、かなりの数が天底災禍に飲まれた。しかしそれでも、蜘蛛の大群は延々と増え続け簡単に街を埋め尽くす。
「……はぁ、はぁ……」
……けれどもう、橙華の方が限界だった。
『夜』が始まってからずっと、橙華は魔法を使い続けている。それにこんな数の悪夢に催眠をかけたのは、産まれて初めてのことだった。だから橙華の疲労は既にピークに達していて、いつ倒れてもおかしくない。
「負ける、もんか……!」
けれど橙華は、折れない。だってなずなは、自分よりずっとずっと辛い目にあっている。なのに自分が、これくらいで弱音を吐くわけにはいかない。
「橙華姉さん! 1人で無理しなくても大丈夫! ボクらもちゃんといるから!」
「そうです! ……その、橙華姉さんが本気なのは分かりました! だから後ろは、任せてください!」
そんな橙華の様子を見て、紫恵美と緑も魔法を使う。初めは2人とも、なずなのこともあって心が不安定で魔法にキレがなかった。けれど必死に戦う橙華の姿を見て、2人ももう迷うのは辞めた。
「ありがとう、みんな。……みんなで頑張って、今度こそ天底災禍を倒すんだ……!」
橙華の操るなずなの悪夢。赤音と紫恵美と緑の、強力な魔法。みんなの頑張りで、天底災禍の流れは完全にせき止められた。
だから、あとは……。
「はっ。いい仲間がいるじゃねーか」
そんな少女たちの様子を見て、青波の口から青波ではない少女の言葉が溢れる。
「でしょ? なんたってあの子たちは、私の姉妹なんだもん」
その声に、今度は青波自身の声が応える。
「姉妹ねぇ。あの可愛らしい少女たちは、お前とあの女ほど腹黒くは見えないけどな」
「……どうかな。みんな女の子だから、秘密の1つや2つはある筈だよ。それより今は、早くあの亀裂に向かって」
「はっ。このオレを──」
「いいから行け! このバカ女!」
そんな青波の言葉を受け、身体の主導権を握っている少女は自嘲するように笑い、夜を駆ける。
「いつの時代も、青色は嫌な女だよ」
歴代の魔法少女の中でも、飛び抜けた才能を持つ青波。彼女はその藍色にも負けない心で、腕輪に宿る少女をコントロールしていた。……無論それは完全ではないし、リスクがないわけでもない。しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。
だから青波は、誰より速く『夜』を駆ける。
「見つけた」
そして、そんな青波を止めようと迫る天底災禍の闇を消し飛ばし、さらに濃い闇が渦巻く亀裂の中に踏み入る。街に広がる闇を姉妹たちに任せた今、青波を止められるものは誰もいない。
だから──。
「────」
その瞬間、青波は死を見た。
なにか自分たちとは違う、異質な存在。今までの悪夢とも天底災禍とも違う、真っ黒ななにか。その真っ暗ななにかが、闇の中から剣を振るった。
それは特別速いわけでも、鋭いわけでもない。冴えたものがなに1つない、凡庸な一刀。
しかしその一刀は、致命的だった。
「──っ。舐めるな!」
剣が青波に触れる直前。無理やり身体を捻り、その一刀をかわす。それは数多の戦闘経験がある藍色の少女と、青波の図抜けた第六感が合わさったからこそ、できた動き。
それでなんとか、闇からの一刀をかわす。
「…………」
そしてそれは、その青波の動きを見てなにか感じたのか、闇の中からゆっくりと姿を現す。
「はっ。誰だよ、お前」
青波の口から、そんな言葉が溢れる。
「…………」
けれどそれは、なんの言葉を返さない。
「だんまりかよ。つまんねー奴だな」
夜の闇を固めて作ったような、
「返事をしねーなら、このまま──っ!」
青波の言葉を無視して、それはまた剣を振るう。
やはりそれは、速くも鋭くもない一刀。なんの修練も積んでいない、素人の袈裟斬りだ。
「……くっ」
なのに身体が、震える。あまりの異質さに、魂そのものが恐怖に震える。
「だから、なんだっていうんだよ!」
そこで、青波の魔法が発動する。視界に収まるものなら、なんだって消し飛ばす青波の魔法。いくらその一刀が異質であったとしても、正面からの攻撃なら青波の敵ではない。
「消えろ」
その一言で、それは完全に消える。闇で作ったような人形は、文字通り影も形も残さず、完全にこの世から消え去った。
「はい、お終い。……にしてもほんと、チートみたいな力だよな、お前の魔法」
「そんなのいいから、早く核に向かって」
「はいはい。このオレを顎で使うなんて、お前はほんと恐ろしい女だよ」
青波は大きく息を吐き、そのまま核の方へと向かう。
「…………」
そしてその瞬間、青波の影が震えた。
まるでその一瞬に狙いを定めていたかのように、青波の影から剣が振われる。影ゆえに一切の音も気配もない、完璧なサイレントキリング。いくら青波と言えど、そんな一撃を意識の隙間から放たれたら、反応することはできない。
だから、その一刀は──。
「おいおい。2度目の不意打ちとは、芸がないな」
その瞬間、青波の周囲が藍色の光に包まれる。夜の闇を拒絶する藍色の光。それは青波の影ごと、その存在を消し飛ばす。
「……厄介だな」
……しかし光に飲まれて消えた筈のその人形は、またしても当然のように青波の正面に姿を現す。
「さて、どうするかな」
青波はそんな得体の知れない人形を睨みつけ、無駄だと分かっていながらこう尋ねる。
「お前が、異常の原因か?」
藍色の腕輪に宿る少女は、腕輪を通して数多の『夜』を見てきた。けれど、ここまで力が強い天底災禍なんて1度も見たことがなかったし、ここまで早い時期に姿を現したのも初めてのことだった。
「…………」
「はっ。まただんまりかよ。なら──」
「──立ち去るがよい。核を壊して困るのは、貴様らの方だぞ」
そこで青波の言葉を遮り、闇が震えた。その声はまるで、夜に浮かぶ月のように気品さを感じさせる声で、どうしてかまた身体が震える。
「…………」
だから今度は青波が黙り、警戒するように真っ黒な人形を睨みつける。
そうして『夜』は、徐々に深まっていく。
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