第33話 変わりたい。
まだ日が登ったばかりの早朝。黄葉は小学生の時から日課であるランニングで、汗を流していた。
「なにしてんだろ、わたし」
ふと呟いた言葉は、眩い朝日に溶けて消える。黄葉は自分でも、理解できなかった。なずなが家に、戻って来てくれた。それはとても、嬉しいことだ。
だからあの時のことを謝って、また前みたいに一緒に遊び回りたい。まだまだやりたいことが沢山あるし、なずなと遊ぶ為に準備していたものもある。
……そう思うのに、上手く声をかけられない。
紫恵美や緑に続いて、なずなを抱きしめようとした。けれど身体が、動いてくれない。なずながみんなと一緒に、寝るらしい。そう聞いた時、泣きそうになるくらい胸が痛かった。
だって自分は、絶対に選んでもらえないから。
「わたしだけ、いつまで経っても変われない」
そう吐き捨て、走るスピードを上げる。
周りのみんなは、どんどん変わっていく。昔はみんなで一緒になって走り回っていたのに、今では誰も付き合ってくれない。
お洒落して、恋をして、みんな大人になっていく。
学校のみんなも、大好きな姉妹たちも。みんなみんな、変わっていく。……特になずなが来てからは、その変化が著しい。
赤音は休日でも、早めに起きて髪を整えて軽く化粧をするようになった。緑や橙華も、髪や肌の手入れに時間をかけるようになった。紫恵美や青波は変わらないけど、その2人は確固たる信念で自分を貫いている。
そんな中、自分だけが変われない。同じ場所を、ぐるぐると走り続ける。いつまで経っても、子供のまま。愛も恋も、なにも理解できない子供のまま。
「また捨ててある。誰なんだよ、ほんと」
黄葉のランニングコースには、決まっていつも同じ場所に同じ空き缶が捨ててある。それを見ると、いつだって微かな怒りが湧いてくる。
けどわざわざ、文句を言ってやろうとも思えない。だからその空き缶をゴミ箱に捨てるのも、黄葉の日課になっていた。
「ほんとわたし、なにやってんだろ」
空き缶を捨てて、走り出す。どこに向かって走っているのか。黄葉は自分でも、分からなかった。
◇
青波さんと一緒に『夜』を歩いた、翌日の放課後。まだ青い日差しが降り注ぐ柊家のリビングで、黄葉が来るのを待っていた。
「上手くいくとは、思えないんだけどな……」
ソファの影に隠れるように身をかがめながら、昨日の紫恵美姉さんの言葉を思い出す。
『黄葉に逃げられる? なら、メロンパンでも仕掛けて待ってればいいんだよ。あの子メロンパン大好きだから、簡単に捕まえられる筈だよ!』
昨日の夜。俺を抱き枕みたいに抱きしめながら、紫恵美姉さんはそう言った。
『そんなことより、ボクのなずくん抱き枕。あったかくて、気持ちいいなぁ。『夜』の疲れが、全部溶けちゃう。……ねぇ、なずくん。ボクのおっぱい好きなだけ触らせてあげるから、これからは毎晩ボクを選んでよ。お願い!』
けどそのあとすぐ、そんなことを言いながら揉みくちゃにされたので、その言葉がどれだけ信用できるかは分からない。
でも今朝も、黄葉に逃げられた。家でも学校でも俺が話かけようとすると、すぐに逃げ出してしまう。このままじゃ、いつまで経っても埒が明かない。
だから俺は紫恵美姉さんの言葉を信じて、黄葉が帰ってくるのを待っていた。
「あー、お腹減ったなぁ」
と。そこでちょうど、学校から帰って来たであろう黄葉が姿を現す。
「お、メロンパンがある! 誰のだ? 紫恵美ねぇのかな。……こんなにあるなら、1個くらい食べてもバレないよな」
黄葉は辺りをキョロキョロと見渡してから、こそっとした仕草でメロンパンに手を伸ばす。
「今だっ!」
俺はそんな黄葉の隙を突いて、背後から黄葉を抱きしめる。
「うわっ! ごめんごめん。違うんだよ、紫恵美ねぇ! 別に勝手に食べようと……って、師匠!」
「そうだ。ちょっと話があるから、付き合ってくれるか?」
「……やだ。というか、離してくれよ。いくら師匠でも、その……いきなり抱きしめられると、困る」
「…………」
黄葉の力なら、俺を振り解くことなんて簡単な筈だ。なのに黄葉は逃げるように足元に視線を向けて、もじもじと足を動かす。
「なあ、黄葉。1個だけ、訊いてもいいか?」
「……なに?」
「前はあんなに一緒に遊んでくれたのに、どうして今は逃げるんだ?」
「…………分かんない」
「……え?」
「分かんないの! というか師匠には、わたしが居なくても緑や紫恵美ねぇが居るだろ! ならいいじゃん! というか、早く離して!」
黄葉はメロンパンをテーブルに置いて、無理やり俺を振り払うとする。だから俺は大人しく手を離して……。
もう一度また、捕まえる。
「……え? どうしてまた抱きしめるんだよ、師匠」
「いや、離せって言うから1回離してまた捕まえた」
「……子供かよ」
「いいんだよ、子供で」
「でもこれ、セクハラなんじゃないか? 女の子をいきなり背中から抱きしめるなんて、わたしじゃなけりゃ殴ってるぜ?」
「……悪い」
慌てて、手を離す。……なんていうか、最近は女の子と抱き合って眠ったりしていたから、感覚が麻痺してしてた。
「……あ。…………別に、嫌じゃねーよ? わたしは別に、そんなの気にしないし。……でも普通は、そういうのが気になるんだろ?」
その言葉が、少し引っかかった。まるで誰かに気を遣っているかのような、そんな言い回し。それが俺の知ってる黄葉と、食い違う。
「…………」
いつもの俺なら、ここは一度引いて態勢を立て直す。無理やり構うと、余計に嫌われるだろうから。……けど黄葉は今日も、『夜』を戦う。ならできるだけ早く、彼女の心に寄り添いたい。
「なぁ、黄葉。これから、暇か?」
だから俺は覚悟を決めて、真っ直ぐに黄葉を見る。
「なんだよ、突然」
「いいから」
「……暇だけど、師匠とは遊ばない」
「メロンパンやるぜ? 好きなんだろ」
「…………いらない。だって、わたしは……わたしだけ──」
「──いつまで経っても、変われない。だろ? 黄葉」
黄葉の言葉を遮るように、そんな声が響く。……青波さんだ。唐突に姿を現した青波さんは、裂けるような笑みを張りつけ、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
そして、まるで大剣で斬りかかるかのように、続く言葉を口にする。
「──ねぇ、黄葉。君は一体、誰になりたいんだい?」
「……うるさい。うるさい! うるさい! うるさい!!!」
その言葉のなにが、黄葉の琴線に触れたのか。俺には全く、分からない。けれど黄葉は見たことがないくらい取り乱し、そのまま走って家から出て行ってしまう。
「……青波さん。貴女、なにがしたいんだよ……」
昨日俺に、みんなの心のケアをしてくれと言ったのは青波さんだ。なのにその本人が、黄葉を追い詰めるような言葉を口にする。……意味が分からない。
「私の目的は、昨日言った通りだよ。私じゃ、みんなの心に寄り添えない。けど君なら、それができる」
「……つまり?」
「きっと黄葉は、河川敷で石でも投げてる筈だ。だから早く、追いかけてあげて。きっと今なら、本心を話してくれるよ?」
「……いい性格してますね」
「よく言われる」
そんな言葉を背中で聞いて、走り出す。俺のスピードじゃ、どうやったって黄葉には追いつけない。でも場所が分かっているなら、問題ない。
「はぁ……はぁ……」
一心不乱に走り続け、空が赤らみ出して来た頃。青波さんの言った通り、河川敷で水切りをしている黄葉の姿を見つける。
「…………」
その姿が、どうしてか昔の自分と重なった。学校にも家にも、居場所がなかった頃。他にやることがなく、淡々と水切りをしていた時期ある。その頃の俺と今の黄葉の姿が、どうしてか重なる。
「……来たのか、師匠」
黄葉は振り返ることなく、そう言う。
「まあな」
俺は呼吸を整えてから、ゆっくりと黄葉の隣に向かう。
「……よっと」
黄葉はそこでまた、石を投げる。そのフォームはとても綺麗で、石は簡単に向こう岸にたどり着く。
「上手くなったな」
「練習したからな」
黄葉はそう言って、そのまま向こう岸を見つめる。その瞳はやはり、昔の俺と同じだ。帰る場所があって優しい家族がいるのに、今の黄葉は誰より孤独だ。
「なぁ、師匠。お願いがあるんだけど、聞いてくれるか?」
「いいよ。もう逃げないって約束してくれるなら、なんでもする」
「……即答か。師匠は優しいな。……狡いくらい、優しい」
そう小さく呟いて、黄葉の黄色い瞳が俺を見る。
するとちょうど、風が吹く。水面を揺らす強い風が吹き抜けて、黄葉の綺麗な金髪がゆらゆらと舞う。黄葉はその風が止むのを待たず、真っ直ぐに俺を見てその言葉を口にした。
「わたし、デートしてみたい。だからさ、師匠。わたしと、付き合ってくれないか?」
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