第32話 頑張ろうね。



「『夜』っていうのはね、平たく言えば悪夢の墓場なんだよ」



 いつもと同じ景色なのにどこか不気味に感じる夜の街を歩きながら、青波さんはそう言った。


「墓場、ですか」


 前を歩く青波さんの長い髪を見つめながら、俺はそう言葉を返す。


「そう。本来ならどこにも行けない筈の悪夢が集まって、夜の闇を闊歩する。まるで、幽霊みたいにね。そしてその悪夢たちは、持ち主かそれに近しい者のところに戻ろうとする」


「なんかそんな絵本、ありましたよね。……それで悪夢が持ち主に戻ったら、どうなるんですか?」


「辛くて苦しいだけの悪夢が、現実になるんだよ。私たち魔法少女の役目は、そうなる前に悪夢を壊すことなんだ」


 青波さんは透き通るような瞳で、夜空を見上げる。もしかしたらそこに、彼女たちの言うがいるのかもしれない。……けど俺には、その姿を見ることはできない。


「…………」


 だから俺は夜の闇から視線を逸らし、小さく息を吐く。



 緑姉さんと一緒に寝た、翌日の夜。俺は青波さんに連れられて、『夜』の街を歩いていた。


 青波さんは昨日、直接『夜』を見せながら魔法少女について教えてくれると言っていた。けどまさか、昨日の今日で連れてこられるとは思っていなくて、俺は少し不安だった。


「…………」


 でも『夜』は、思った以上に静かだった。……まあ、腕輪をつけていない俺には悪夢を見ることができないのだから、それは当然なのかもしれないが。


「にしても、みんな怒ってたね。私がなずなと2人で、話がしたいって言った時」


「……ですね」


 みんなが『夜』に出かける前。今日もまた一緒に寝る誰かを選ぼうとしていた、その瞬間。青波さんは唐突に、今日は俺も『夜』に連れて行くと言った。



『2人で話がしたいから、みんなは役目をお願いね』



 当然のようにそう言った青波さんに、柊 赤音と緑姉さんが強く反対した。けれどあの藍色の腕輪の時とは違い今回は青波さんが引かず、強引に俺を連れ出した。


 俺としても、一度青波さんと話してみたいと思っていたから、ちょうどいい機会だった。……まあ、心配してくれた緑姉さんたちには、悪いと思うが。


「というか、青波さんは戦わなくても大丈夫なんですか?」


「戦ってるよ。なずなには見えてないだろうけど、私の魔法は見るだけで発動できるんだ。だから別に、派手に飛び回る必要はないの」


 そう言って青波さんは、また夜空を見上げる。


「前から訊きたかったんですけど、その魔法ってなんでもできるんですか?」


「そんなに便利なものじゃないよ。『夜』の間じゃないと効果は半減するし、『夜』の間でもなんでもできるってわけじゃない。……私たちの魔法の源は、心なんだよ。想ったことを、想像したことを、現実に変える」


 でも、と青波さんは言葉を続ける。


「人の心は、とても脆いものだ。簡単なことで傷ついて、簡単なことで信じられなくなる。だから私たちは、魔法を家族だけの秘密にした」


「それは俺に教えても、大丈夫なんですか?」


「大丈夫だよ。だってなずなはもう、家族なんだから」


 青波さんは笑う。青空のように高らかに、彼女は笑う。


「……家族って言ってもらえるのは、素直に嬉しいです。でもだから青波さんは、俺にも戦えって言うんですね」


 それはそれで、認めてもらえているようで嬉しいな。……なんて思っていたけど、青波さんは首を横に振ってそれを否定する。


「違うよ。昨日はああ言ったけど、私は別に君に戦ってもらいたいわけじゃない。……そりゃ、なずなが戦ってくれたら色々と楽にはなるとは思うよ。でも逆に、他のみんなが戦えなくなる」


「……どういう意味ですか? それ」


 俺は驚きに足を止めて、青波さんを見る。


「さっきも言ったけど、私たちの魔法は心だ。そして心とは、とても危ういものだ。なずなにはきっと、ここにいる誰より……私より、魔法使いとしての素質がある。あの藍色の腕輪を、問題なく使いこなせるくらいの」


 ずっと前を歩いていた青波さんが、ゆっくりとこちらを振り返る。青波さんの真っ白な肌が、月光に染まる。


「でも、緑や赤音は君が戦う姿を見ると、酷く不安になるだろう。君が傷つきやしないかと、気が気でなくなる。そこまで心が不安定になると、もう魔法は使えない。……だから私が君に本当に頼みたいことは、ただ1つ。私たち姉妹の心を、支えて欲しいんだ」


「心を支える、ですか」


「そう。君とのことがあってから、赤音の魔法は見違えるほど強力になった。それに緑や紫恵美も、君に頼らなくてもいいようにと、とても頑張ってくれている」


「……もしかして、青波さんが俺に魔法使いになれなんて言ったのは、みんなに発破をかける為だったんですか?」


 青波さんはその問いには答えてくれず、軽く口元を歪める。


「私たちの本当の敵、天底災禍。神の悪夢と言われる、最大最悪の悪夢。私だけが、それを直接この目で見てる。だから私だけが、知っている。今のままでは絶対に、天底災禍には勝てないと」


 青波さんはまた空を見上げて、歩き出す。その横顔には、不安なんて微塵も感じられない。……けどどうしてか、それが逆に怖かった。


「……負けたら、どうなるんですか?」


 だから俺の口から、そんな気弱な言葉が溢れた。


「それは、さっき言った通りだよ。悪夢は、持ち主に戻る。神の悪夢が神に戻り、その悪夢が現実になる。……そうなれば世界が滅びると、母さんは言ってたよ」


「────」


 みんなの役目が大変なものだというのは、理解していたつもりだ。でもまさか、世界が滅びるだなんて……。みんながそんな大きなものを背負っているとは思ってなくて、どうしてか心臓がずきりと痛む。


「これから『夜』は、徐々に深まっていく。こんな風になずなとのんびりと話す余裕も、なくなってしまうくらいに。……赤音や緑、紫恵美はもう折れない。でも、黄葉と橙華が危ない。だからなずなには、その2人の心のケアをして欲しい」


「黄葉……」


 昨夜、緑姉さんと話した通り、今日は朝から黄葉に声をかけてみた。けれど家でも学校でも話しかけようとすると、黄葉はどこかに逃げてしまう。


 だから知らないうちに、嫌われるようなことをしてしまったのかと、思っていた。けど黄葉はただ、魔法少女という役目に疲れていただけなのかもしれない。


「自分で言うのもなんだけど、私には才能がある。みんなが1年かけて学ぶことを、私は10日もあればマスターできる。だから赤音たちはみんな私を尊敬してくれるけど、どうしても一線を引いてしまう。青波姉さんには、私たちの気持ちは分からないと」


「だから俺に、みんなの心を支えて欲しいって言うんですね」


「うん。今回は絶対に、失敗するわけにはいかない。どんな手段を使っても、天底災禍を破壊しなければならない。……だから、なずな。手前勝手で申し訳ないけど、みんなに優しくしてやってくれ。なずななら絶対に、みんなのを終りにできるから」


「…………」


 どうしてそこまで言い切れるのか、俺には分からない。けどれど青波さんにそう言ってもらえると、不思議とできるような気がしてくる。


「ああ無論、タダでとは言わないよ。無事に天底災禍を倒すことができたなら、君の呪いについて話してあげる」


「……呪い?」


 あまりに唐突な言葉に、首を傾げる。


「そう。なずな、君は呪われてるんだよ。私たち……いや、赤音と出会うずっと前から、君は夜に呪われている。君にかけられた、2つの夜の魔法。片方には愛情が詰まっていて、もう片方には呪いが詰まっている。君はその呪いのせいで、みんなから傷つけられてきた。……魔法少女である、私たち以外のみんなから、ね」


 どくんと、心臓が跳ねる。



『明けない冬が、君の魔法だ』



 そんな聞き覚えのない言葉が、頭の中に響き渡る。


「このままじゃ君は、永遠に苦しみ続けることになる。たとえ天底災禍を壊すことができたとしても、なずなの悪夢は終わらない」


 だから、と彼女は笑う。蕩けるように溶け込むように、彼女はただ笑う。



「──これから、頑張ろうね」



 その青波さんの笑みは、魔法少女というより魔女のそれだった。それくらい妖艶で、なにより怖かった。


「……あ、そうだ。それで今日の夜は、誰を選ぶの?」


 けどすぐにその笑みを引っ込めて、軽い調子でそう尋ねる。


「……一応、紫恵美姉さんにお願いしようかなと」


「そっか、紫恵美か。いいと思うよ。紫恵美や緑なんかは、君に選んでもらえたってだけで、頑張れる筈だから。……でも偶にでいいから、私も選んでね。私も偶には、可愛い弟を抱きしめながら眠りたいからさ」


 青波さんはとても無邪気にそう言って、俺の手を引いて歩く。その横顔に、先ほどまでの薄暗さは残っていない。


「…………」


 魔法少女や『夜』については、色々と知ることができた。……けれど青波さんがどういう人なのかは、最後までよく分からなかった。


「まあでも、とりあえずは黄葉かな」


 そう呟き、『夜』を歩く。今日は夜風が、とても冷たかった。


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