第31話 おやすみ。



「……魔法使い、か」


 自室のベッドに寝転がり、青波さんの言葉を思い出す。


『ねぇ、なずな。君も魔法少女……いや、魔法使いになって私たちと一緒に戦おうよ。そうすればきっと、天底災禍なんて目じゃない』


 青波さんは蕩けるような笑顔でそう言って、俺に藍色の腕輪を差し出した。


 その腕輪にどういう意味があって、天底災禍とは一体なんなのか。俺には全く、分からない。けれどそれでみんなの力になれるなら、断る理由なんてどこにもない。


『待って。あんたがそれを使う必要なんてないわ』


 でも柊 赤音がそう言って、青波さんを睨んだ。それに続いて緑姉さんと紫恵美姉さんも、青波さんに非難の目を向けた。


 そしてそれから3人と青波さんが揉めてしまい、結局俺は腕輪を受け取らなかった。……というか、3人が受け取らせてくれなかった。


「できれば俺も、みんなの力になりたいんだけどな……」


 しかし、3人があそこまで怒るということは、それなりのリスクがあるのだろう。だからとりあえず今日は、みんなが『夜』に出かけるのを見送って、こうして1人考え事をしている。


「……でもまさか、俺の悪夢がみんなに迷惑をかけてたなんてな」


 俺1人苦しんでいれば、誰にも迷惑をかけることはない。そんな風に思っていたけど、俺の悪夢は勝手に俺から抜け出してみんなを傷つけていた。


 そしてそのせいで、これから毎晩誰かと一緒に眠らなきゃいけない。


「それに、その誰かを俺が選ばなきゃいけない。……青波さんはほんと、なに考えてるんだよ」


 でも誰もそれに反対しなかったということは、間違ったことではないのだろう。


「入りますよ、なずな」


 と。そこで俺の思考を遮るように、声が響く。


「……ああ。入って」


 だから俺は努めていつも通り、そう言葉を返す。するとゆっくりと扉が開き、魔法少女の役目を終えて風呂に入ってきた緑姉さんが、姿を現す。


「待たせてしまって、すみません。色々と準備に、手間取ってしまって」


「いや、緑姉さんが謝る必要はないよ。……それより俺の方こそ、その……迷惑かけてごめんな。俺が変な悪夢を見てなければ、こんな風に一緒に寝る必要もなかったのに」


「謝らないください。……私、嬉しかったんです。なずなが私を、選んでくれて」


 緑姉さんは照れたように笑って、ちょこんとベッドに腰掛ける。そしてそのまま誘うように、両手を広げる。


「さ、来てください。前に約束した通り、好きなだけ私の胸に甘えさせてあげます。……紫恵美姉さんや橙華姉さんほど大きくはないですけど、これでも結構……自信があるんですよ?」


「…………」


 緑姉さんは、いつもとなにも変わらない表情で笑う。そんな緑姉さんの態度に、俺は少し……戸惑う。


「……? どうかしたんですか? 遠慮する必要はありませんよ? ちゃんとお風呂で洗って来たので、汗くさくもない筈です」


「いや、そうじゃなくて……。眠る前に少し、話がしたいんだよ」


 誤魔化すようにそう言って、緑姉さんの隣に腰掛ける。……するとシャンプーのいい香りが漂ってきて、少しドキドキしてしまう。


「もしかして、魔法少女ことですか?」


「まあ、それもだな。青波さんが、俺に藍色の腕輪を差し出した時。どうして緑姉さんたちは、あんなに必死に拒絶したんだ? 俺としては、できる限りみんなの力になりたいんだけど」


「……なずなは、いい子ですね」


 緑姉さんは優しく笑って、俺の頭を自分の胸に押しつける。……ブラをつけていないのか、いつもよりずっと柔らかな感触が伝わってきて、勝手に心臓が高鳴る。


「でも、ダメです。私たちが今もまだ魔法少女を続けているのは、自業自得なんです。だから、なずなが戦う必要はありません」


「でも──」


「でも、はないんです。……それに、藍色の腕輪は特別なんです。あれは、私たちの腕輪とは似て非なるもの。あんな危険なものを、なずながつける必要はありません」


 緑姉さんの腕に、力がこもる。ドキドキと、俺よりずっと激しい鼓動が伝わってくる。……どうやら普通じゃない理由が、あの腕輪にはあるようだ。


「分かった。その話は、もうしない」


「そうしてください。なずなはただ、私の胸に甘えていればそれでいいんです」


 緑姉さんは俺を抱きしめたままベッドに倒れ込み、逃がさないというように脚を絡めてくる。……そんなことをされると、どうしても意識してしまう。


「……なぁ、緑姉さん。今さらなんだけど、緑姉さんは嫌じゃないのか? 俺と一緒に寝るの」


「嫌なわけないです。寧ろずっと、こうしてあげたいと思ってました」


「……そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、俺もその……男なんだよ。だから、不安になったりしない?」


 俺もそこまで節操がないわけじゃないが、今日明日だけじゃなく毎日一緒に寝るとなると、魔が差すこともあるかもしれない。


「それはつまり、私の胸でエッチな気分になるってことですか?」


「……まあ、平たく言えばそんな感じ」


「別にいいですよ、なずななら」


 緑姉さんは、なんてことないようにそう言い切る。


「別にいいって、そんな簡単に……」


「簡単じゃないです。なずなが私を選んでくれた時から、ずっと考えてたんです。……もしかしたらも、あるかもしれないって」


 そこで緑姉さんは、小さく息を吐く。


「でも全然、嫌じゃなかった。寧ろなずなが、私以外の女の子にそういうことをする方が……ずっとずっと嫌でした」


「それって……」


「この気持ちがなんなのか、自分でも分かりません。もしかしたら私は、いつの間にかなずなに惚れていたのかもしれない。それともただ単に、初めてできた弟を独占したいだけなのかもしれない」


 でも、と緑姉さんは笑う。優しい優しい笑い声を響かせて、緑姉さんは言う。


「どんな理由であれ、私がなずなを嫌がることはありません。だから、我慢できなくなったら言ってください。……その、私……頑張りますから」


「…………ありがとう」


 緑姉さんの背中に、手を回す。そしてそのままぎゅっと強く、抱きしめる。するとそれだけで、重かった心がすっと軽くなる。


「ふふっ、なずなはいい子ですね」


「俺より緑姉さんの方が、いい子だよ」


「私はお姉ちゃんですから、弟に優しくするのは当然です」


「……そっか」


 少しずつ、意識が霞んでいく。身体から、力が抜けていく。……でも眠る前に、もう1つだけ訊いておきたいことがあった。


「なぁ、緑姉さん。最後にもう1個だけ、訊いてもいいか?」


「……実は私、背中がちょっと弱いんです。今こうやってなずなに背中を撫でられるだけで、ゾクゾクしちゃいます」


「いや、そうじゃなくて。黄葉のことなんだけど」


「…………」


「痛い痛い。なんで無言で、背中をつねるんだよ」


「なずなが、悪い子だからです」


 そう言いながらも緑姉さんはすぐに手を離し、優しく背中を撫でてくれる。


「それで黄葉姉さんが、どうかしたんですか?」


「いや、あいつなんか変じゃないか? みんなで話してる時もほとんど話さないし、ずっと沈んだ顔してる。だからなんかあったのかなって、気になってたんだ」


「…………」


 俺の言葉を聞いて、緑姉さんは少し考えるように黙り込む。そしてしばらくしてから、ぽつりと小さく呟く。


「黄葉姉さんは多分、後悔してるんだと思います」


「後悔? なんの?」


「なずなが追い出された時、なにもしなかったことをです」


「……あいつってそんな、やわな奴だっけ?」


「黄葉姉さんはそれだけ、なずなのことを気に入ってるんです。……だから今度なずなの方から、声をかけてあげてください。きっと黄葉姉さんも、待ってる筈ですから」


「分かった。あいつに元気がないと、調子狂うしな」


「ふふっ。なずなはほんと、いい子ですね」


 よしよしと、頭を撫でられる。俺はそのお返しに、緑姉さんの背中を優しく撫でる。すると緑姉さんはビクッと身体を震わせて、俺をぎゅっと抱きしめる。


 そんな風に、しばらく2人でふざけ合う。すると徐々に身体から力が抜けていき、いつの間にか眠ってしまっていた。悪夢なんて見る余裕もないくらい、温かな幸せに包まれながら。



 ……けれど代わりに、夢を見た。



 藍色の腕輪をつけて戦う、1人の少女の夢を。彼女は今よりずっと暗い夜を駆けて、誰より悪夢を壊し続けた。けれど彼女は、朝になると



 彼女はそんな生活を、延々と続けていた。



 そんな訳の分からない、夢を見た。


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