2章 楽しい春
第30話 始めようか。
「なずな!」
「なずくん!」
久しぶりに柊の家に足を踏み入れた瞬間、緑姉さんと紫恵美姉さんがそう叫び、そのまま俺を抱きしめる。
「本物のなずくんだ! ずっと会いたかったよ、なずくん! 色々大変だったみたいだけど、もう大丈夫だからね? これからはボクのなずくんゾンビとして、一生ボクの部屋で守ってあげるから!」
「ダメです。なずなは、私の部屋に住まわせます。……なずな。何度もメッセージくれたのに、返事できなくてすみません。それに、ぎゅってしてあげるって約束もまだ果たせてませんでした。でも、大丈夫です。これから好きなだけ、私の胸に甘えさせてあげます」
2人はまくし立てるようにそう言って、もう逃さないというように、強く強く俺の身体を抱きしめる。……柔らかな感触が身体中に押しつけられて、少しドキッとしてしまう。
「……2人とも、心配かけて悪かったな。でもとりあえず、離してくれないか。このままじゃ、家にも上がれない」
「分かった。じゃあ緑、手を離して。なずくんはこのまま、ボクの部屋に連れて行くから」
「嫌です。いくら紫恵美姉さんでも、なずなだけは譲れません。なずなはいっぱい辛い目にあったんですから、今日は1日私の胸に甘えさせてあげるんです」
「だったら、ボクのおっぱいの方がいいよ。ボクの方が、緑よりデカいもん。ボクがゲームしてる間、なずくんが後ろからボクの胸を揉む。そういう協力プレイも、ありかもしれない!」
「なずなに変なこと、させないでください! 私たちはもう約束してるんですから、紫恵美姉さんがなにを言っても無駄です。ね? なずな」
「無駄じゃないよ。緑と遊ぶより、ボクと一緒にゲームした方が絶対に楽しいよ。ね? そうだよね? なずくん」
2人は見たことがないくらい真剣な表情で、真っ直ぐに俺を見る。……なんていうか2人とも、しばらく会わないうちにかなり積極的になってる気がする。
「…………」
……でも思えば、紫恵美姉さんとは別れの挨拶をする暇もなかったし、緑姉さんとも風邪をひいてからは会っていない。だからきっと、2人はずっと心配してくれていたのだろう。
「2人とも、ありがとな。でもとりあえず──」
「離さないよ!」
「離しません!」
「いや、そう言われても……」
助けを求めるように、柊 赤音の方に視線を向ける。……けれど彼女は小さく笑って、首を横に振る。
「2人とも、ずっとあんたのこと心配してたの。だから今日くらい、好きにさせてあげて。……荷物は私が、部屋まで運んで置いてあげるから」
「いや、ちょっ……」
柊 赤音は、少し前からすれば考えられないほど穏やかに笑って、俺の荷物を持って行ってしまう。黄葉と橙華さんはどこか気まずそうな表情で、柊 赤音に続いてこの場から立ち去る。
そして、そんな様子を楽しそうに眺めていたみんなのお姉さん──青波さんは、
「みんなのこと、お願いね」
そう俺の耳元で囁いて、そのままどこかへと出かけてしまう。
「さ、なずくん。大人しくボクの部屋に行こう。おっぱいくらいいくらでも触らせてあげるから、一緒にゲームしよう!」
「なずな。紫恵美姉さんに騙されちゃダメです。紫恵美姉さんより私の方が、なずなを甘やかせてあげられます。膝枕して、耳かきとかしてあげますよ? だから私と、行きましょう」
そんな風にしばらく2人にもみくちゃにされ続け、結局俺の部屋で3人で一緒に過ごすことになった。2人はずっとくっついてきて、柔らかくていい匂いがして幸せだった。
……でも途中から本気で喧嘩し始めて、止めるのに苦労した。
そして俺も2人も疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまっていた。
◇
「そろそろ起きてきなよ、3人とも。もうすぐ、夕飯の時間だよ」
なんて青波さんの静かな声で、目を覚ます。
「……やばい、寝てた。すみません、すぐ行きます」
「いいよ、ゆっくりで。……でもちょっと大切な話があるから、お寝坊な2人もちゃんと連れて来てね」
青波さんは小さく笑って、そのまま部屋から出て行く。
「……綺麗な人だな」
なんていうか、青波さんは仕草の1つ1つが丁寧で、歩くだけで絵になる。
「……むにゃ。なずくん、もう起きるの? なずくん抱き枕はあったかくて気持ちいいから、もっと一緒に寝てようよ。……『夜』までまだ、時間があるんだしさ」
「いや、なんか話があるみたいだし、そろそろ起きようぜ? それでご飯食べたら、一緒にゲームしよう」
「……! じゃあ起きる! ……でも最後に、ぎゅー。あったかくて、しあわせだなぁ」
「そりゃ、よかったよ」
そう言って、紫恵美姉さんの背中を優しく撫でる。
「えへへ」
すると紫恵美姉さんは照れたように笑って、頭を俺の胸に押しつける。……可愛い。
「あ、ずるいです。私も最後にぎゅっとします」
そしていつの間にか目を覚ましていた緑姉さんも、ぎゅっと俺に抱きついてくる。
「じゃあ緑姉さんも、よしよし」
「ふふっ。こうやってなずなに甘えるのも、いいですね」
少しの間そうやってくっついてから、3人でリビングに向かう。
するともう集まっていた4人の少女たちが、真剣な表情でこちらを見る。……どうやらなにか、真面目な話があるようだ。
「さて、みんな集まったことだし楽しくご飯。……と、いきたいところだけど、少し話があるんだ。灰宮 なずなくんのことと、これからのことで」
海のように透き通った青い髪をなびかせて、青波さんはゆっくりとみんなの顔を見渡す。それだけで、さっきまでふにゃふにゃだった緑姉さんと紫恵美姉さんは、真剣な表情で背筋を伸ばす。
「ついさっき、母さんと話して来たんだ。母さん、6月になったら一度帰るって言ってたよね? でも仕事が予想以上に忙しくて、もうしばらく帰って来れないらしい」
「……そうなんだ」
柊 赤音が、ぽつりとそう呟く。
「それで母さんに、色々とお願いされたんだよ。特に、灰宮 なずなくんについて」
「なずなを追い出すとかそんなのは、もう絶対に認めませんよ?」
「大丈夫だよ、緑。私が言いたいのは、その逆。……母さんは灰宮……いや、なずなに教えてあげて欲しいって言ったんだ。魔法少女と、『夜』について」
青波さんは、また笑う。他のみんなは、少し肩を強張らせる。
「青波姉さん。その……いいの? あたしたちのことを、なずなくんに話して」
「うん。大丈夫だよ、橙華。だってなずなは今日から、私たちの家族になる。なら秘密を教えても、なんの問題もありはしない」
「そもそも、私が勝手に話しちゃってるのよね」
柊 赤音は軽く笑って、優しい目で俺を見る。
「うん。それになずなも、中途半端に知ってるよりちゃんと知ってる方が安心できるでしょ?」
「まあ、そうですね」
「ふふっ。……でもその説明は、また今度。今度余裕がある時に、直接『夜』を見せながら手取り足取り教えてあげる。だからまず私がみんなに言っておきたいのは、なずなには隠し事をしなくてもいいよってこと」
その青波さんの言葉を聞いて、緑姉さんと紫恵美姉さんは安心したように、息を吐く。
「それで次に、なずなの悪夢について。この辺の話は、今のなずなにはよく分からないだろうけど、とりあえず感覚で聞いて欲しい」
「分かりました」
「ふふっ、いい子だね」
青波さんは吸い込まれるような透明な瞳で、優しく笑う。
「なずな。私たちはね、毎晩、魔法少女としてみんなの悪夢と戦ってるんだ。そして君の悪夢は、他の人とは比べ物にならないくらい強い。だから君には出来るだけ、静かな夢を見て欲しいんだ」
「……って言われても、自分じゃどうにもできないと思うんですけど……」
「うん。だからね、これからは毎日私たちの中の誰かと、一緒に眠って欲しいんだ。できるだけ近くで、ぎゅっと抱きしめてもらいながら。……なずなもお年頃だから色々と困るかもしれないけど、頼めるかな? 私になら多少、エッチなことをしてもいいから」
青波さんは、さっきまでとは色の違う妖艶な笑みを浮かべて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「ふふっ」
そしてそのまま、とても冷たい手で俺の頬を撫でる。それだけでぞくっとした感覚が背筋に走って、顔がかっと赤くなる。
「……青波姉さん。青波姉さんでも、ボクのなずくんに変なことするなら、許さないよ?」
そんな青波さんから俺を守るように、紫恵美姉さんが俺の身体を強く抱きしめる。
「ふふっ。変なことなんてしないよ、紫恵美。ただ、思ってた以上に……いや、それもまた今度にしよう。今日もまた、『夜』に出かけなきゃならない。だから早めに、夕飯を食べておきたいしね」
青波さんはそう言って俺から手を離し、確認するかのようにみんなの顔を見渡す。
「…………」
それで俺は、気がつく。黄葉がとても気まずそうな顔で、俺の方をチラチラ見ているということに。……思えば黄葉は、姉妹の中で1番騒がしい女の子だった。なのに帰って来てからはまだ一言も、話していない。
「なずな。ぼーっとしてるけど、大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です」
「うん。なずなが動揺するのも、分かるよ? でもこれは、仕方ないことなんだ。だからね、なずな。これからは毎晩、誰かと一緒に寝て欲しい。……そしてその誰かは、なずなの意思で選んで欲しいんだ」
その言葉に、ビクッとみんなの肩が震える。いやきっと、俺が1番驚いた筈だ。
「俺が決めるんですか? ……というかそもそも、本当にみんなと寝なきゃいけないんですか?」
「うん。みんなもそれには、異論はないよね? だってあの蜘蛛の悪夢への対抗手段は、今のところどこにもないんだから」
その青波さんの言葉に、みな黙って頷きを返す。……みんながなにも言わないなら、俺1人反論するわけにもいかない。
「そして最後に、もう1つ。これは母さんから言われたことじゃなくて、私個人からのお願いだ。だから答えはすぐに出さなくていいし、色んな事情を知った上でよく考えて答えて欲しい」
赤らみ出してきた空から降り注ぐ光が、青波さんの頬を赤く染める。その姿はとても綺麗で、でも同時に手が震えるくらい……怖かった。
「ねぇ、なずな。君も魔法少女……いや、魔法使いになって私たちと一緒に戦おうよ。そうすればきっと、天底災禍なんて目じゃない」
そう言って青波さんは、藍色の腕輪を机の上に置く。
そうしてここから、ゆっくりと運命が狂いだす。
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