第5話 バイバイ。



「──どうしてあんたが、こんな所にいるのよ!」



 そんな声が響いて、ゆっくりと目を開ける。すると目の前に、鬼のような顔をした柊 赤音の姿があった。


「…………」


 状況が、上手く理解できない。ここはどこで、どうして柊 赤音が目の前に居る?


「……あ」


 隣で眠る髪の長い少女の姿を見て、思い出す。ここは柊さんの家で、この部屋は紫恵美姉さんの部屋。そしてその状況が、とてもやばいということを……。


「私、言ったわよね? 私たちの部屋に入ったら、出て行ってもらうって。なのに昨日の今日でその約束を破るなんて、あんた……いい度胸してるわね?」


「……どうも」


「どうもじゃないわよ! あんた、紫恵美姉さんの部屋でなにやってるのよ! ……いや、もしかしてあんた! 寝てる紫恵美姉さんに、変なことしたんじゃ……」


「違う違う! そうじゃない! そんなこと、するわけないだろ!」


 立ち上がり、慌てて弁解する。


「じゃあどうして、あんたが紫恵美姉さんの部屋にいるのよ! 答えなさい!」


「それは……」


 昨日の状況を上手く説明する言葉が思い浮かばなくて、俺は思わず言葉に詰まる。


「……まあ、なんでも構わないわ。なんにせよあんたは、私との約束を破った。どんな理由があっても、その事実は変わらない。だから早く、荷物をまとめなさい」


「…………」


 なにか言い返さなければと思うけど、反論の言葉が思い浮かばない。……というかそもそも、約束を破ったのは事実なのだから、どんな反論も意味はない。


 ゲームにかまけて寝落ちした、俺のミスだ。ならもう、諦めて──。


「……なんだよ、うるさいなー。まだ朝なんだから……って、赤音ちゃんだ。おはよう」


 俺たちの声がうるさかったのか、紫恵美姉さんが目を覚ます。


「おはよう、紫恵美姉さん。……それより姉さん、大丈夫? こいつになにか、変なことされてない? もしされたんだったら、私がこいつを……」


「あ。なずくんも、おはよう。昨日は盛り上がったねー。なずくも最初はぎこちなかったけどだんだん慣れてきて、お姉ちゃん感動だよ」


「俺も、楽しかったよ。いい思い出ができた」


「思い出だなんて、なずくんは大袈裟だな〜。あ、そうだ。なずくんも学校なんか休んで、昨日の続きをしようよ。今度はお姉ちゃんのテクを──」



「な、なんの話をしてるのよ! 紫恵美姉さん!」



 柊 赤音は顔を真っ赤にして、そう叫ぶ。


「なにって、ゲームの話だけど」


「……え? ……あー。そ、そうよね。うん。分かってたわ。初めてとか、ぎこちないとか、テクとか。そんな言葉で、私は騙されないわ」


 いや、絶対に勘違いしてただろ。と突っ込みたいが、言ったら殺されそうなので黙っておく。


「まあ、紫恵美姉さんが無事なら、それでいいのよ」


「……?」


「それより、残念だけど紫恵美姉さん。こいつとゲームするのは、もう無理よ。だってこいつは、今日でうちを出て行くんだから」


「……え? ええー! どうして? せっかくゲーム仲間ができたのに! こんなに可愛いゾンビなのに! なんで出て行くなんて言うのさ! ……ボク、なんかした? 謝るから、出て行かないでよ……!」


 紫恵美姉さんは縋るように、俺の腰に抱きつく。……なんかそれはちょっとエロいなって思うけど、今はそんなことを言ってる場合ではない。


「紫恵美姉さんが、悪いわけじゃないよ。ただ俺が、約束を破っちゃっただけで……」


「……約束って? もしかして、カップラーメン?」


「いや違う。約束っていうのは──」


「私たちの部屋に入っちゃいけないって、そう約束してたのよ、こいつは。……というか、姉さん。そんな簡単に、男の子に抱きついちゃダメでしょ?」


 そこで柊 赤音は、無理やり紫恵美姉さんをひっぺがす。


「……ボクたちの部屋に入っちゃいけないって、どうしてそんな約束したのさ。ボクたちもう、家族のはずだろ?」


「違うわ。こいつは、家族なんかじゃない。こいつはただの……赤の他人よ。そんな奴を部屋に入れるのは、危険なの。紫恵美姉さんでも、それくらい分かるでしょ?」


「……むー。納得できない!」


 紫恵美姉さんは立ち上がり、真っ直ぐに柊 赤音を睨む。


「ここは、ボクの部屋だ。なら誰を入れようと、ボクの勝手の筈だ!」


「それで酷いことされたら、どうするのよ? 紫恵美姉さんは昔から、危機意識が足りないわ」


「じゃあボクが友達を連れてきた時、わざわざ赤音ちゃんにお伺いを立てないといけないの? この人を部屋に入れたいんですけど、いいですかーって」


「それは……」


「赤音ちゃんがみんなことを大切に思ってるのは、知ってるよ? けど部屋に誰を入れるかなんて、ボクの問題だ。……そりゃ、なずくんが無理やり入ってきたならダメだけど、彼はボクが部屋に呼んだんだよ? なら別に、いいんじゃん。こんなに可愛いんだから、追い出すなんてやだよ!」


「……それでも、約束は約束よ」


 2人は真っ直ぐに、睨み合う。


「…………」


 俺はそんな2人の剣幕に口を挟めず、なにも言えない。……というかここで俺がなにを言っても、話が拗れるだけだろう。だから俺はなにも言わず、2人も黙ったまま睨み合い続ける。



 けれどそんな重い沈黙は、ふと響いた声に打ち破られる。



「悪い匂いがするよ〜」



 そう言って姿を現したのは、橙華さん。唐突にやって来た彼女は、まるで犬のように鼻をすんすんと鳴らして、部屋の中を嗅ぎ回る。


「あ、見つけたよ〜」


 そしてゴミ箱の中から昨日のカップラーメンを取り出し、色の抜けた目で紫恵美姉さんを見る。


「これは、なにかな〜。お姉ちゃんにも教えて欲しいな〜」


「ふやっ⁉︎ そ、それ、なずくんが食べた。ボク知らない!」


「ホントに〜? あたし、何度も言ったよね〜。しえちゃんはただでさえ不摂生なんだから、こういうの食べちゃダメだって」


「大丈夫。食べてない! 食べたのはこいつ。この男が食べました!」


 紫恵美姉さんはさっきの姿が嘘のように、簡単に俺を売り飛ばす。


「……本当かな〜? なずなくん。嘘ついたら、お姉ちゃん許さないよ〜」


「……本当ですよ。夜中に腹が減ったんで、俺が食べたんです」


「…………」


 しばらくじーっと、見つめられる。……橙華さんの瞳は吸い込まれるような綺麗な橙色で、少しドキドキしてしまう。


「よろしい。なずなくんのその優しさに免じて、今回は許してあげます。……でもなずなくんも、お腹減ったらあたしを起こしていいからね? 深夜でも、ちゃんとしたもの作ってあげるから。……ね? お姉ちゃんとの約束だよ?」


「……分かった」


「うん。じゃあみんな、行こう? 朝ごはんできてるよ」


 よしよしと俺の頭を撫でてから、橙華さんは歩き出す。


「待って。橙華姉さん。まだ私の話は──」


「だーめ。朝はみんなで朝ごはん。これは、約束でしょ?」


「……分かったわよ」


 柊 赤音も橙華さんの真っ直ぐな瞳に弱いのか、諦めたように息を吐いてそのまま部屋から出て行く。


「……今回だけは、見逃してあげる。でも、次はないから」


 最後に、そんな冷たい言葉を残して。


「……ありがとね、庇ってくれて」


 柊 赤音と橙華さんの姿が見えなくなってから、紫恵美姉さんは消え入るような声でそう言う。


「いいよ。紫恵美姉さんだって俺のこと、庇ってくれたしな」


「それでも嬉しかった。……ごめんね?  なずくん。橙華姉さんが怖くて、思わず売り飛ばしちゃった……」


「だからいいって。それより腹減ったから、ご飯食べに行こうぜ?」


 昨日の昼からなにも食べてない俺の腹は、もう既に限界だった。


「……あ、そうか。昨日ボクにカップラーメン譲ってくれたから、なずくんはなにも食べてないんだ。……ごめん」


「それも別に、構わないよ。それよりまた一緒に、ゲームしような? 紫恵美姉さんと遊ぶの、すげー楽しかったから」


 紫恵美姉さんの頭を軽く撫でて、歩き出す。



「…………かっこいい、かも」



 熱い吐息のような声が、小さく響く。けれどその言葉が、俺の耳に届くことはなかった。



 ◇



 同日の、昼休み。ひいらぎ 赤音あかねは1人の少女を、校舎裏に呼び出していた。


「どうしたんだよ、赤音ちゃん。こんな所に、わたしを呼び出して。言っとくけどわたし、今週はまだなにも壊してないぜ?」


 赤音に呼び出したされた少女──柊 黄葉こうはは、肩口で切り揃えられた金髪を揺らして、そう告げる。


「そうじゃないわ。あの男……灰宮はいみや なずなについて、話があるの」


「灰宮 なずな? ……ああ、新しい弟くんね。あいつが、どうかしたのか?」


「彼、どうやらなにか悪いことを企んでるみたいなの。だから、黄葉。ちょっとだけ彼と、話をしてもらえないかしら。黄葉と話せば、彼も自分の間違いに気がつくと思うのよ」


「……ほう。このわたしと話すってことは、それはすなわち拳を交えるってことだぜ? それでいいなら、引き受けてやるよ。わたしもあいつがどれほどの男なのか、試してみたかったとこだしな」


 指の骨をポキポキと鳴らす黄葉の姿を見て、赤音は小さく口元を歪める。


「……ふふっ」


 黄葉は中学の時、空手の全国大会で優勝している実力者だ。高校に入ってからはどうしてか部活を辞めてしまったが、それでも並の男では束になっても彼女には勝てない。


 ……少々頭が悪いのと、すぐに物を壊すのが玉に瑕だが、それでも面倒な男に絡まれた時は、いつもこの黄葉が解決してくれた。


 だから今回も、黄葉にかかれれば容易く問題は解決するだろう。そう考え、赤音はニヤリと笑みを浮かべる。



「あんたなんかすぐに、追い出してやるんだから」



 そうしてなずなの知らないところで、事態は前に進む。


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