第2話 楽しみです!



「あんたまさか、家まで追ってきたの? ……最低ね。そんなのもう、ただのストーカーじゃない。10秒だけ待ってあげるから、さっさと消えなさい。じゃないと本当に、通報するわよ」


 柊 赤音は玄関の扉を半分閉めて、射抜くような鋭い目で俺を睨む。


「待て待て待て! 俺は別に、お前を追って来たわけじゃない!」


「じゃあどうしてあんたが、私の家に来るのよ?」


「いや、聞いてないのか? 俺は真白ましろさんに言われて、挨拶に来たんだよ」


「……は? じゃあなに、あんたが母さんが言ってた、『新しく家族になる可愛い男の子』? ……冗談、言わないでよ」


 柊 赤音はつまらない冗談でも聞いたあとのように、大きく息を吐く。


「いや悪いけど、冗談じゃないんだよ。……ほらこれ、真白さんから貰った手紙」


 ゆっくりと近づいて、この場所の地図と一緒に同封されていた手紙を手渡す。


「……これ、母さんの字だ。……え? じゃあなに、本当にあんたがそうなの?」


「そう言ってるだろ? というかそもそも、真白さんに合わせてくれれば、それで──」


「15分だけ、ここで待ってなさい! 少し、作戦会議してくるわ!」


 柊 赤音は叫ぶようにそう言って、そのまま家の中に引っ込んでしまう。


「……どんな偶然だよ」


 ついさっき俺を振った女の子と、これから同居する。そんな偶然があるだなんて、思いもしなかった。


「しかもどう見ても、嫌われてるしな……」


 もしかしたらこのまま、帰れと言われてしまうかもしれない。身寄りのない身としてはそれは避けたいが、無理を言える立場でもない。


「終わったわ。入っていいわよ」


 そして、きっかり15分後。柊 赤音は渋々といった様子で、俺を手招きする。……どうやら一応、家には入れてくれるようだ。


「お邪魔します。……って、でっかい家」


 柊さんの家は、俺がついこの間まで住んでいた山小屋のような家より数倍大きくて、少し圧倒されてしまう。


「なにしてるのよ。早く来なさい」


「ああ。悪い」


 まだ機嫌が悪そうな柊 赤音に連れられて、これまた広い客間に案内される。


「そこ、座って」


「あ、どうも」


 言われるがまま、高そうな革張りのソファに腰掛ける。庶民な俺は、それだけでなんか緊張してしまう。


「母さんに連絡をとったわ。どうやらあんたが、『新しく家族になる可愛い男の子』で間違いないようね」


「認めてもらえたようで、嬉しいよ」


「認めてなんかいないわ! ……母さんも分かってる筈なのに、どうしてこんな奴……」


 柊 赤音は苦虫でも噛み潰したような顔で、そう吐き捨てる。どうやら本格的に、嫌われているようだ。


「はい。お紅茶が入りましたよ〜」


 そんな声とともに、いい香りを漂わせた紅茶がテーブルの上に置かれる。


「あ、すみません」


 紅茶を運んで来てくれた優しそうなタレ目のお姉さんに、軽く頭を下げる。


「いえいえ。あ、そうだ。バームクーヘン食べる? 甘くて美味しいよ〜」


「じゃあ頂き──」


橙華とうか姉さん! さっき言ったでしょ? あんまりこいつに、優しくしないで! 勘違いされたら、どうするのよ!」


「でも、バームクーヘン……」


「バームクーヘンは、いいの! ……そんなことより、姉さんだって分かってるでしょ? だから今は、下がってて!」


 橙華姉さんと呼ばれていた胸の大きなお姉さんは、肩をしゅんと落としてそのまま去っていく。


「…………」


「…………」


 そして、気まずい沈黙。柊 赤音は苛立ちを隠しもせず、何度も足を組み替えて俺を睨む。


 俺はそんな柊 赤音の様子を見つめながら、どうしたものかと頭を悩ませる。……が、そんなことをする前に、1つ大切なことを忘れていた。


「……そういえば、自己紹介がまだだった。俺は、灰宮 なずな。一応、皆さんとは遠い親戚に──」


「誰も聞いてないわよ。あんたのことなんて」


「いやでもこれから一緒に住むんだから、名前くらい知っとかないと不便だろ?」


「それを、認めないって言ってるの! あんたさっき、橙華姉さんのこと……変な目で見てたじゃない! そんな奴と、一緒に住めるわけないでしょ!」


 柊 赤音は、だんっと思い切り机を叩いて立ち上がる。……別に変な目で見ていたつもりはないのだが、こんな鋭い目で睨まれるとなにも言えない。


「あ。あたしはね〜、柊 橙華って言うんだ〜。なずなくんとおんなじ高校の、3年なんだよ〜。よろしくねー」


 橙華さんはそう言って、ソファの後ろからふりふりと手を振ってくれる。……可愛い。


「姉さん!」


「ごめんごめん。でも、これからのことを話すんだったら、自己紹介は必要でしょ? 赤音ちゃんも、いくら男の人が苦手だからってそんな風に怒鳴ってばかりだと、なずなくん怖がっちゃうよ?」


「別に私は、男が苦手なわけじゃないわ。……ただ、姉さんだって分かってるでしょ? 私たちには……」


「うん。でもお断りするんだとしても、ちゃんと相手には礼儀を払わないとダメ。じゃなきゃ赤音ちゃん、いつか1人になっちゃうよ?」


「……分かったわよ。私は、柊 赤音。年はあんたの1つ上。嫌いなタイプは、目の死んでる男よ」


 柊 赤音は、苛立ちを無理やり抑え込むようにそう言って、また俺の正面のソファに腰掛ける。


「そして私は、柊 みどりです。貴方と同じ1年生ですが、私の方が誕生日が先なのでお姉ちゃんです。よろしくお願いします」


 忍者のように唐突に現れた無表情な少女は、真っ直ぐに俺の目を見てぺこりと頭を下げる。


「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 俺がそう言葉を返すと、その少女──緑さんはまた気配なく、この場から立ち去る。……というか、厳密には聞いてなかったのだが、彼女たちはいったい何人姉妹なんだ?


「うちはねー、6人姉妹なんだ〜。1番上が青波あおはお姉ちゃんで、次があたし。それで──」


「姉さん。そんなことわざわざ、説明する必要はないわ。それより、灰宮くんって言ったっけ? あんた、母さんから同居する為の条件、聞かされてるんでしょ?」


「そうだけど、それがどうかしたのか?」


 嫌な予感に目を細めながら、そう言葉を返す。


「それって、なに?」


「……なにって言われても、大したことじゃ──」


「大したことじゃないなら、言える筈でしょ? それともなに? もしかして、言えないようなことなの?」


「……分かったよ。言うよ」


 俺は諦めたように両手を上げて、素直に真白さんから言われた条件を口にする。


「私の可愛い娘たちと、仲良くすること。それが真白さんから言われた、条件だよ」


「……そ。母さんの言いそうなことね、それ」


 柊 赤音は嬉しそうに、ニヤリと口元を歪める。


「というか一度、真白さんと話をさせてもらえないか? 今後のことで、色々と確かめたいことが──」


「それは無理よ。だって母さん、昨日から海外に出張に行っていないもの。だからあと1ヶ月は、帰って来ないわ」


「じゃあその、お父さんは……」


「……居ないわ。父さんはもうとっくに……」


「あ、いや、すみません」


 慌てて、頭を下げる。どうやらそこは、触れてはならないことのようだ。


「そんなことより、母さんが決めたことなら私たちは従うわ。だって母さんは、意味のないことは絶対にしない人だから。でも私は……私たちは、あんたを認めない!」


「あたしは認めてあげるよ〜。だってあたし、前から弟が──」


「姉さんは黙ってて! いい? 1ヶ月よ? 母さんが帰って来るまでの1ヶ月。その1ヶ月で、私たち全員に認めてもらえなければ、あんたはこの家から出て行きなさい!」


「……いやいやいや! そんなこと急に言われても、そもそもまだ顔も──」


「あんたに拒否権はないから! それと、着替えとかお風呂とか覗いたら、その瞬間に殺すからね!」


 柊 赤音はそれだけ言って、不機嫌そうな表情のまま部屋から出て行ってしまう。


「あ、なずなくん。部屋の準備とかはもう終わってるから、なずなくんさえ良ければ、今日から来てもいいよ〜」


 そんな柊 赤音とは対照的に、お姉さんの橙華さんは優しく笑いかけてくれる。


「……じゃあ今日……は流石に無理なんで、明日からお邪魔させて頂きます。色々とご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」


「そんな畏まらなくても、大丈夫だよ? だってあたしはこれから、貴方のお姉ちゃんになるんだから」


 楽しそうに笑う橙華さんに、俺は苦笑いを返す。……同居するからといって、家族になるわけではないだろうと。


「なれるよ。だってなずなくんは、いい子だからね」


 俺の思考を見透かしたように、橙華さんはまた笑う。



 そうしてここから、楽しい楽しい同居生活が始まった。


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