#125 家族の歌 / 柊 詩葉

 花火の輪からやや離れたベンチにて。詩葉うたは結樹ゆきと並んで、広がる星空と仲間たちの賑わいを眺めていた。

「もう大体は大学生なのに、みんな相変わらずだねえ」

「だな……けど私からすると詩葉はぐっと大人になったぞ」

「お、そんなに見違えた?」

「褒めてるよ、ついこの間まで小学生だったのにって」

「結樹と会ったの中学なんだけど!?」

「お前とタメなの何かの間違いだってずっと思ってたから私」

「それは結樹が大人すぎるというか、大人ぶる生き方ばっかしてるというか」

「ほう、言うようになったな詩葉も」


 けらけらと笑いながら。こんなに気の置けない仲になるまでの日々を、ふと思い出す。

 陽向ひなたと恋人になるよりも、自分が同性愛者だと気づくよりもずっと前から。恋だとも意識しないまま、詩葉は結樹への恋心を募らせてきた。それが恋だと気づいたときは、結樹が同じ気持ちを返してくれることはないんだと苦しみもした。

 そうした曲がりくねった、本人には明かしていない心の変遷を経た今。


「……真面目な話、結樹はさ」

「うん?」

「ずっと欲しかったお姉ちゃんだったよ、私にとって」

 結樹はふっと笑って、詩葉の肩を抱く。

「それもいいな」

 詩葉が両親を苦手に思っていることも、一人っ子を寂しく思っていることも、結樹はよく知っている。詩葉が「お姉ちゃん」という言葉に込めた親愛を、結樹は余さず受け取ってくれたはずだ。


 心地よい沈黙の中、語り合う仲間たちを二人で眺める。詩葉の視線はつむぎで留まった、話しているのは春菜はるな福坂ふくさかくん。紡と福坂はほぼ初対面のはずだが、話には熱がこもっている様子だ。

「紡、すっかり合唱部メンバーって感じだよね」

「だな、ずっと前から一緒に居たみたいだ」

「ねえ。安心するんだ、あんなふうに笑ってるの見ると」

「ああ、詩葉もな」

「私? というと?」

「詩葉が笑ってるの見ると安心する、私も」

 結樹には珍しい盛大なデレに、詩葉の口はあんぐりと開いてしまう。

「口閉じろ詩葉」

「――えっもっかい言ってもっかい!」

「またそうやって調子乗る……」

 そっぽを向いてしまった結樹の左側に、詩葉は笑いながら右側を預ける。隠さなきゃいけないい特別な昂揚は、もう詩葉には湧くことはない。心からリラックスできる、一番の友達に結樹はなった。


「……ところで結樹さ」

「うん?」

「春ちゃんと福坂くん、今どんな関係なんだろね」

 紡と共に語り合う二人、その間合いがどうしても気になるのだ。

「何も聞いてないな、私は」

「だよね、私も」

「……付き合ってなかった、ことはないと思うが」


 結樹の推測は、二人を知る部員に共通する認識だった。

 春菜はそれほど異性と交流が多い女子ではなかったし、福坂は人付き合い自体が多くない男子だった。そんな二人がHumaNoise初回公演の際にペアでリードを組み出したのは、当時の合唱部にとってはちょっとした事件だったのだ。それを境に二人の雰囲気が変わってきたこともあり、付き合っているのは半ば公然の秘密だった。

 ただ最近、いくら住まいが遠くなったとはいえ、二人が一緒にいる気配は希薄だった。かといって険悪なムードが漂っているわけでもなく、つまりは別れたとも言い難い。


「まあ、私とまれくんだって付き合ってるだろうと思われてたし、失恋させちゃった後もギスギスとかしなかったし、こういう予測自体が的外れなんだろうけど……」

「心配なのか、詩葉は」

「だね。私とまれくんみたいな悩み、二人も抱えてたのかなって思うし……すごく真面目じゃんか二人とも」

「春菜は意外と強かだが……福坂は相当に律儀だろうしな」

「うん。けどこの合宿での様子見るに、そんな心配するような状態でもなさそうなんだよね。何かあったにしても、お互いちゃんと納得してるんだろうなって」

「確かにな。さっきのオーディションにしろ東京ユニットの曲にしろ、あいつは良い集中してるよ」

 結樹の評価に頷いてから、詩葉は星空を見上げて想いを巡らせる。


 部内恋愛の全部がカップル成立に結びつくわけじゃない。芽生えた想いはきっと、望み通りに実らないことの方が多い。

 それでも、詩葉の知る限りは――詩葉の信じる限りは。恋愛としては成就しなかった組み合わせだって、友情や敬意という形で絆になってきたのが、雪坂合唱部の人間関係だった。


 詩葉がそう信じられるのは、信じたくなるのは。やっぱり、希和との日々があるからで――


「お、由那ゆなさん」

 結樹の声に視線を戻す、ソプラノパートの先輩だった由那さんがこちらへ歩いてきていた

「やっほ、仲良しコンビ」

「お疲れ様です由那さん、もう花火はお腹いっぱいですか?」

 挨拶しつつ、詩葉の内心は少しだけ緊張していた。どうも最近――というか合宿の間、由那さんとは距離を感じていたのだ。元から大の仲良しというほどではなかったけど、長い時間を同じパートで過ごした仲からすると無視しがたい違和感だ。


「ねえ、ちょっと詩葉ちゃんと二人で話したいんだけど、いいかな」

 だから、由那さんがすぐに話を振ってきたのは、詩葉にとっては意外なようで順当でもあった。

「はい、大丈夫ですよ」

「じゃあ私はちょっと旅に出てきます」

「ごめんね結樹ちゃん、また後で」


 結樹と入れ替わるように、由那はベンチに腰を下ろす。そういえば、彼女と二人きりで話したことなんて、意外と少なかったかもしれない。

「まずはリード就任おめでとう、すごくいい歌だったよ」

「あ……はい、ありがとうございます!」

 取っかかりは重い話でもなんでもなかった、むしろ由那さんが触れない方が不自然かもしれない。

「高校の頃からもっと上手くなってたよね、ビックリしちゃった」

「ヒナと一緒に猛練習したので……けどベースは和可奈さんや由那さんに教わってきたことです」

「えへへ、嬉しい」

 懐かしい柔らかな笑みを浮かべてから、由那さんは少し俯く――ああ、これも懐かしいな。言いにくいけど言わなきゃいけないことがあるときの、由那さんの癖。人に指導するのが苦手ながらも、ソプラノパートを率いてきた先輩だ。


「聞きますよ、由那さんの話したいこと」

 詩葉の言葉に、由那は気合いを入れるように「よしっ」と呟いてから。

「今日の詩葉ちゃんの歌を聞いてね」

「はい」

「詩葉ちゃんは本当に……希和まれかずくんのこと、大事に想っていたんだなって。私にも実感できたの」

 その言葉の意味を、しっかり受け止める。

「つまり昨日までは、あんまり信じられなかった?」

「疑ったというか……やっぱり、彼よりも陽向ちゃんが優先だったのかなって思ってたの」

「……そう思われるのも仕方ない、のは分かります」


 詩葉は恋人として、共に生きる人として、希和ではなく陽向を選んだ。それを以て「詩葉は希和よりも陽向を優先した」と解釈するのは、多くの人にとって妥当な感覚だろう。


「けど詩葉ちゃん、ミーティングのときに言ってたでしょ? 陽向ちゃんも希和くんも、違う意味で同じくらい大切なんだって」

「言いました……本心です、私にとっては」

 疑われるかもしれないとは分かったけど。自分にとって希和がどんな存在なのかを語るのには、必要な言葉だった。


「けどあのときの私は反発しちゃったんだよね。そんなに大切だったのなら、どうして希和くんがパートナーに選ばれなかったんだろうって。それは多分、私の偏見のせいでもあるんだけど」

「偏見、かもしれないですけど。私だって、まれくんと夫婦になる道は真剣に考えたので」

「うん、そうだよね」

 由那さんは何やら一人でに頷いてから、私の手を取る。


「私ね。希和くんは詩葉ちゃんにとって大事な男友達なんだって思ってた、多分それも間違いじゃないの。けどそれ以上に、詩葉ちゃんは彼と家族になりたくて……家族同然の、兄弟みたいな人だったのかなって考えたの」

「……そう、ですね」

 明確に意識したことはなかったけど、確かに当てはまる――というか、核心に近い。

「私は一人っ子で、両親とも上手くいってないので……だから合唱部のみんなのこと、家族の代わりみたいに思うこともあります。それに中学の頃から、結樹がお姉ちゃんでまれくんは……お兄ちゃん、かなあ?」

「そこで疑問形になっちゃうの、納得だなあ」

 由那さんの声には温かな懐かしさが乗っている、心を開いてくれている。 


「いくら大事でも、好きでも。恋人みたいなことは、兄弟とはできないじゃん。けど、家族じゃない希和くんと家族になるためには、恋人を経なきゃいけない……それが詩葉ちゃんのジレンマだったとしたら、すごく苦しかったんじゃないかな」

「そう……ですね、ずっと悩んでました」

「だよね、だからさ。詩葉ちゃんが希和くんに向けていたのも、ある意味では片想いで……大事なものから離れなくちゃいけなかったのは、願った通りに選んでもらえなかったのは、詩葉ちゃんも同じなんだって、私は思ったの」


 由那の解釈を頭の中で転がす――ああ、確かに。

 どんな欲求が普通か、とか。どんな愛情が尊いのか、とか。

 そんな基準を抜きにすれば、私と希和はこんなに似ていたのか。


「だから詩葉ちゃんは、それだけ大事な人と苦しいすれ違いをして、それでも懸命に向き合って、なのに二度と会えなくなっちゃって……私なんかが想像つかないくらい、心は痛くてたまらなかったんだと思う」

「心が痛かったのは本当ですけど……それはまれくんが大事だったからだけじゃなくて、身勝手に甘えちゃった後悔が消えないからで」

「後悔が消えないくらい大事ってことだよ、それは自分で信じてあげなよ。今日の詩葉ちゃんの歌を聞いて、私は信じるって決めたから」


 きっと想像していた以上に、由那さんは内心で強く詩葉に反発していたのだろう。詩葉に納得できるきっかけを、ずっと探していたのだろう。

 その答えは、たった一回の歌唱――突飛な話かもしれないけれど、詩葉にとっては十分だった。希和とも陽向とも、由那さんとだって、音楽で心を通わせてきた自分のことを覚えているから。


「じゃあ……もし自分を見失いそうになったら、由那さんのこと思い出します」

「うん、約束」

 指切りをしながら、由那さんがかけてくれた言葉。


「忘れないでね。詩葉ちゃんが思うよりもずっと、私たちは詩葉ちゃんが大切なんだよ」

 いつか詩葉が希和に伝えたのと、同じ切実さが籠もっている気がした。


「ありがとうございます、絶対に忘れません……由那さんのことも、すっごく大切ですからね」

 微笑みを交わして、星空を見上げる。


 三年前、この場所で。世界で一番幸せになろうと、陽向たちと誓った。

 けど今は、二人だけじゃなくて。


「星にだって願いたくてたまらないですよ。出会えたみんなが、これからもずっと、幸せに生きていますように」

 詩葉の言葉に、由那さんは「本当にね」と頷いて。

 それからハミングで奏でたのは『星に願いを』の前奏。視線を交わして息を合わせ、詩葉も一緒に歌い出す。


 ユニゾンして、即興でハモって。楽しくなって繰り返すうちに、周りも次々と合流してくる。

 足りない音域に、残っていた余白に、それぞれ好きに入り込んでいく。勝手ばかりなのに不思議と一体感のある、その場限りの大合唱は。


 やっぱり、詩葉が大好きな合唱部そのもので。どこよりも心に力をくれる、もう一つの家族の風景だった。



 そうした熱さのまま迎えた翌日、合宿最終日。新たに決定したリードや演出を踏まえ、通し練習が行われた。

 絶対に最高のライブになるはず、という確信と。

 絶対に最高のライブにするんだ、という決意を胸に強く宿して。


 本番に向けて、それぞれの歩みがまた始まった。

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