#120 生身の君へ

 夏の星々を望む、ペンションの屋外にて。


「それじゃあ結樹ゆきさん」

つむぎさんも、優勝――」

「「おめでとう、ありがとう!」」

 というコールで、私と結樹はサイダーで乾杯した。


 先ほどのクイズ大会、結樹と私の同点優勝だったのだ。真ん中の学年で多くのメンバーと交流のあった結樹はともかく、外から来た私が最多正解だったのは異常事態だと思うのだが「クイズ強そうな顔してるから」という理屈で納得された。

 ちなみにその後のスーパー褒め褒めタイムでは「稀代の才媛」「メタ読みの神」「眼鏡に鬼神が宿ってる」「文学少女地球代表」などのコメントを浴びてきた。ボディビルの掛け声みたいになってたな後半。


 レクの後は寝るのが遅くならない程度に自由時間、私たちは星を見に中庭へ出てきたのだ。晴れたときの星空は綺麗だと、合宿前から聞いていたが。

「ほんとに、綺麗な星空だね……こんなの、生まれて初めてかも」

「でしょ? 私も前に来たときから忘れられなくてさ、紡さんにも見せられて良かった」

 ということは希和まれかずも見上げていたのだろうか、だと良いな。


 暑くも寒くもない夏の高原の夜だからか、他にも多くの面々が外に出ていた。中でもひときわ盛り上がっているのが、詩葉うたは陽向ひなたを取り囲む女性陣の一角。


「あのきゃいきゃい空間……ヒナ詩の告白の再現ロケでもしてんの?」

 私が言うと、結樹は眉をしかめてから。

「……さすがに過熱取材だと思うんだがなあ」

「二人して引っ張りだこだもんね、ここのところ」

「部内カップルができるとお祭りなのは昔からでね、けど」


 仲間たちに囲まれている詩葉を見ながら、結樹は言う。

「遠ざけられるよりは余程良かった。だったらこれで良いのかも」

「……だね。今も仲良いのが、何より」

 詩葉のカムアウトが上手くいった――というか、大きなデメリットを起こさなかった理由。それは色々あるだろうし、あるいは理由もなく当たり前に受容し祝福されたのかもしれない。後者が理想だというのも分かる。

 ただ、こうやって二人が話題の中心になって、ちょっとしたアイドル状態になることは、女子グループにとっての適応の一つなのだろう。


 ――などと考えている私たちに「やっほ」と掛かる声、藤風ふじかぜさんである。

「おう、あき

「藤風さんお疲れ!」

「……ねえ紡さん、ウチ女子からは名前で呼ばれたい派でね」

 なんとなく「明さん」も好みじゃなさそうだし、呼び捨てほど仲良くないし。

「明ちゃん?」

「だね、せっかくだし紡さんともゆっくり話そうと思って」


 合宿の間で気づいたのだが、藤風さん――明ちゃんは結樹と仲が良いらしい。同期同性とはいえタイプが違いすぎるように見えたのだが、意外とウマが合うようだ。その結樹と私が一緒にいたから、明にとっても私と話すチャンスだったのだろう。

「さっきのクイズ大会、二人ともヤバかったね~」


 ぱちぱちと手をたたく明に、えっへんと胸を張る私。

「結樹がいっぱい解けるのは分かるんだけど、なんで紡さんあんなに解けるの?」

「元からクイズ番組とか好きだし、最近は動画でもよく見てるし。後はメタ読みかな」

「さっきも聞いたけど、何それ」

「ちゃんと説明すると長いけど、今回だと……出題者は何がしたくてこの問題を作ったんだろうって考えたんだよね。ガチのクイズ大会じゃなくてレクだから、正解が出たときのウケとか気にして作るでしょ?」


「なるほどなあ……」

 明はふんふんと頷いてから、結樹に視線を移し。

「紡さんが結樹と気が合うの、今頃になってどんどん納得してる」

「だろ?」

「こういう、なんだろ……やたら理屈っぽいワードがぽんぽん出てくる会話、結樹とか飯田いいだとか八宵やよいちゃんとかいっぱいしてたなって。中身は聞き流してたけど雰囲気は覚えてるからさ」

「いいんだよ明ちゃん、トピックの消化酵素には発現に個人差があるから」

「そ・う・い・う・とこ!」


 一文字ごとに私を小突く明ちゃん――うん、仲良くなれてる。


「それでね、紡さん」

「うん、明ちゃん」

「さっきの……飯田の思い出についての出題、ありがとうね」

「ああ、こちらこそ。誰より答えてほしかったの明ちゃんだったから……むしろ明ちゃんじゃなかったら気まずかったかも?」

「あはは、まあウチと飯田が馴染んでなかったのはみんな知ってるし、高校生の男女なんて基本そんなもんでしょ。むしろ飯田は気の合う異性が多い方だったよ、タイプはだいぶ偏ってたけど」

「私もそうだしね」

「紡さんは別格というか別次元だから……」


 ここでアルトパートリーダーの紅葉もみじ奏恵かなえさんが「ごめん、ちょっと結樹と話したい」と声をかけてきたので、私と明だけになる。しばらく並んで星を見上げてから、明が「あのね」と切り出した。


「前に話したじゃん、ウチは飯田のことが引っかかってるって」

「喉の小骨みたいに」

「じゃなくて――いやいいのか。その、引っかかってた色々がさ。溶けてきたんだよ、紡さんと会ってから」

「それは……思い出さなくなってきた?」

「いや、ちゃんと思い出せるようになってきたんだ、飯田のこと。楽しいこともあった、面白い話もした、ずっと一緒に頑張ってきたんだって」


 明の確かめるような声は、まるで星を数えるようで。


「ウチがそう思えたの、紡さんのおかげなんだよ。紡さんがこの場に来て、みんなと仲良くしてくれて……飯田のやってきたことの意味をポジティブに見させてくれる。それがね、ウチらが持ってた迷いとか負い目とかを……消すってのは違うな、和らげてくれるっていうのかな」

「つまり言葉を選ばす言うと、私を介して和くんと仲直りできた気分になれる?」

「うん。もっとぶっちゃけると、許された気になれちゃう」


 思っていたよりも強いワードが出た。

「明ちゃん、そんなにかずくんとぶつかったりしたの?」

「じゃなくて。本人が居ないとこで、結構ひどいこと言ったりもしたから」

「……詩葉関係で?」

「そ、詩葉関係で。そのときのウチには、正しいと思えることだったけど」


 ――ちょっと考えただけで、大筋は察知できた。

 詩葉のような、純粋そうで感情移入されやすい女の子が、男子に片想いされているならば。詩葉のために希和を警戒するのは、女子高校生にとっては自然な心理で。明のように女としてのプライドが高い人ならば、希和への嫌悪感が加速するのも……まあ妥当、なのだろう。


「そうやって影でディスってきた彼が亡くなって、自分の中で気持ちの行き場がなくなったとき、飯田の魂を継いだかのような紡さんが現れて。紡さんが喜んでくれたら、飯田も喜んでいるような気がして……なんて、ウチらの勝手な思い込みで、飯田にも紡さんにも失礼なんだけどさ」

「うん、あんまり褒められた考え方じゃないんだろうね。和くんに謝ったことには、ならない」

「だよね」

「けど、私はね。明ちゃんの和くんとの思い出を照らせるなら、それで良いんだ。だから、明ちゃんが和くんのことを楽しく思い出してくれたなら、私も嬉しい」


 虚飾ではない笑顔で私は告げたのだが、明の表情は晴れない。


「ならウチは良いんだけど……紡さん、どうしてそこまで思えるの?」

「そこまで、というと」

「だってさ。飯田のこと。好きだったんでしょ?」

「好きだよ、今だって心から」

「じゃあ、恨まないの? 飯田をディスってきたウチとか、飯田を振って今幸せそうにしてる詩葉のことも」

「さっき明ちゃんも言ったじゃんか、私は飯田希和を継ぐ人間なんだ。希和くんは詩葉と陽向の幸せを心から願った人だし、関わった人には心地いい思い出を残したい人だって、私は解釈している」

「うん、理屈は分かる、分かるけど……」


 明は少し躊躇してから、その先を話す。

「紡さんのその感覚、ウチが彼氏に抱くものと全然違っててさ。もし彼氏が亡くなったら、すっごい辛いし立ち直れるかも分かんないけど……紡さんみたいな気持ちにはならないんだよ」

「だろうね。こと恋愛に関して似たようなこと考えてるなって人、見たことないし」

「けどウチもなんか心当たりあるなって、よくよく考えてみたんだけどさ」


 藤風明という人は他人のことをよく見ているのだと、私が気づくきっかけになった言葉。


「神様、なんだよ」

「……神様」

「うん。紡さんにとっての飯田は、ウチにとっての神様に近いのかなって……ゴスペル歌ってた人間がこんなこと言ったらマズいかもだけど、ウチは哲学とか詳しくないからさ。これしか浮かばなくて」


 神様。

 実在を観測できない信仰の対象。

 正しさを、優しさを、強さを――人生の意味を、律する存在。


「……神様って形容はそんなに間違ってないと思う、けどね」

「うん」

「似合わないじゃん。和くんに、そんな言葉」


 考えれば考えるほど、飯田希和は織崎おりさき紬実つむみにとって神様だけれど。


「確かに和くんは私の恩人で、ヒーローで、永遠に最愛の小説家だよ。

 けど、会いたかったのはそういう遠い存在じゃなくて、生身の人間なんだよ。

 声をかけたら答えてくれて、手を伸ばせば触れられる、当たり前に居る、ただの人なんだよ」


 極端なことを言えば、小説を書かなくなった希和でも、創作に興味がなくなった希和でも、一向に構わなかった。ただ生きて、同じ日々を分け合えれば、それだけでどんなに幸せだっただろうか。


「けど、生身の和くんは居なくなっちゃったから。なっちゃうよね、神様みたいに」

 まるで悟りのような私の言葉を聞いた明は、私の肩に手を置いて。

「……その、ね、紡さん」


 きっと、幾通りもの言葉が彼女の中で渦巻いて。

 たどり着いたのは、すごく平凡だけど、とても大事な。


「ウチと紡さんは、考えることも感じることも、全然違うけどさ。大事にしたいってすごく思うんだ、一緒に過ごす時間のこと」

「嬉しい、私も大事にしたいよ」

「だから……ありがとう、この場所に来てくれて、ウチのこと誘ってくれて」

「こちらこそ、来てくれてありがとう。会えて良かったよ、明ちゃんに」


 同時に差し出した手を、確かに握り合って。

 また一つ、はぐれそうな絆が結ばれたのだった。

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