#77 キャラクターは、雄弁に語る
「すごい、めっちゃ綺麗……」
まず、彩り豊かな盛り付け方に目が釘付けだった。
「やった、今日こそ手間のかけ時かな~って張り切ったんだよ」
「専門店で出されても納得のレベルですよ」
「料理の満足度には見た目も大きく影響するって聞いたことあってね、さあどうぞどうぞ」
見た目に違わず味も絶品だった。最近はゆっくり食事を味わう時間も減っていたので、舌から全身に多幸感が染み渡っていく。
「ほんと美味しいです、beyond descriptionです」
「
「試験の疲れが吹き飛んで頭に花が咲き乱れるような」
「あはは、頭が花畑って皮肉で使われる方が多くない?」
私が気に入ったことに灯恵さんは満足そうだし、
「灯恵さん、昔から料理好きなんですか?」
「だね。妹いるんだけど、作るのはともかく美味しそうに食べるのが上手な子だったから。こっち来てからは、花織と何食べようかなってあれこれ工夫するのも楽しかったし、」
花織さんの目をのぞき込みつつ、灯恵さんは続ける。
「ただ、あんまり私ばっかり作ると花織が覚えなくなるから、そこは考え物なんだけど」
花織さんは気まずそうに目をそらす、その横顔がおかしくて私は笑う。
「花織さん、適性が小説に偏ってるタイプですか?」
私の質問に無言で頷く花織さん。
「本当は一人暮らししちゃいけないくらい生活が下手なんだよねえ」
そう言いながら花織さんの頭を撫でる灯恵さんは、花織さんの恋人というより姉や母のようだ。
「私からしたら花織は天才で、多少は人より苦手なことが多いのは仕方ないけどさ。自分の生活を自分で回すくらいは、できるはずだしできなきゃいけないって思うから」
「……うん、頑張るよ。大学にいる間に、ちゃんと身につける」
大学にいる間。就職したら離れて暮らすかもしれない、という意識は二人で共有しているのだろう。
どこかしんみりした空気になりそうだったので、前向きな話題に切り替える。
「けど花織さんの小説、ほんとに凄いですよね。一つ一つの深さだけじゃなく、描き分けの幅広さも。感服しきりです」
「でしょ!? 紬実ちゃんならよく分かってくれると思ったよ、花織の凄さ」
花織さんに『魔術騎士塾マグペジオ』を読んでもらっている間、私は花織さんの短編をいくつか読んでいたのだ。
「花織さんは……読者の心をどう動かせばいいか、その動かし方のためにどんな文章が必要かを、完璧に理解しているんだろうと思いました。技巧の塊みたいで、けど無味乾燥にもなっていなし文の味もあると言いますか」
美少女ラブコメからBLまで、戦記ファンタジーから日常系まで、花織さんの執筆ジャンルは多岐に渡っていた。文体の軽重や硬軟の調整も自在である。
「和くんは話の作り方も文の組み立ても癖が強めだったので、対照的でとても面白かったですよ」
私が言うと、花織さんは安心したように息を吐く。
「そこ、紬実さんに気に入ってもらって良かったです。ビジネス臭いとか、打算的すぎるって反感を抱く人もいそうで」
「そういう反感もちょっとは分かりますが……やっぱり、人の心を支えられるような作品を送り出せるのは正義だと思いますよ、私は」
ジャンルやプラットフォームは違えど、花織の作品には多くの賞賛が寄せられていた。作品を励みに生きているんだろうな、と思えるような言葉の数々。
「作り方は違えど、私だって小説に支えられた人間ですから。応援したいですよ」
「……ありがとう、ございます。嬉しいです」
照れつつも頭を下げる花織さんの頭を、灯恵さんが撫でる。初恋の幼馴染を喪った痛みを花織さんの小説に救われたのだと、灯恵さんはかつて語っていた。
「ところで紬実ちゃん。私はね、花織の小説はどれもここが好きって思えるポイントがあるんだけど、分かる?」
灯恵さんに問われ、私は読んできた作品たちを思い返す。
「まだ分からない……ので、もう少し考えていても良いですか?」
「うん、じっくり考えてくれたら嬉しいな」
花織さんのことを応援したい、理解したいという感情が強まっていく。純粋に作家として惹かれる……のに加えて。きっと希和も、絆を結びたいと願うような人だからだ。
*
夕食後、交代で入浴しつつも読書の時間が続き、夜九時頃。
「あ~……そっか……」
無言でパソコンに向かっていた花織さんから、呻くような声。
「どの辺ですか」
「十三章が終わりました」
『マグペジオ』主人公のブレノンが任務から帰還できなかった――希和がブレノンの死を選んだパートだ。花織さんは天を仰いで呟く。
「主人公が途中退場して意志が仲間に引き継がれるの、展開としては好きなんですけど……そこまでの心理描写、とてつもない刺し方じゃないですか」
「ああ、花織さんもそう思います? 私は作者に感情移入しすぎて、冷静な評価できていないもので」
「これは感情移入させられますよ。この空気感にここまでついて来ている人なら、ですが」
「……やっぱり和枝節、読者をふるい落としがちですかね? PVから察してはいましたけど」
「私だったらこうはやらないですね……いや、やろうとしても無理かな。技術や模倣じゃ肉薄できない、その人が感じてきたからこそ出せる心理描写の引力ってあると思うんですよ。和枝さんはそれをずっとやってる、紬実さんが惹かれるのも納得です」
希和の作品を、私の心に深く根ざした体験を、こうして理解してくれる人がいるのはやっぱり嬉しい。
「けど花織さん、読むの早くないですか?」
『マグペジオ』の当該パートまでは十五万文字ほどある、独自の設定も多いのでそれほどサクサク読める部類ではないと思ったのだが。
「読書スピードはかなり速いですし……単純に、引き込まれるので読めますよ」
「お、嬉しい反応。このペースなら今日中に行けるんじゃないですか?」
「ですよね、一気に行きます」
その宣言通り。十時を回り布団が敷かれた頃、花織さんの声が上がる。
「……読了です!」
「おお、ありがとうございます!」
花織さんは伸びをしてから、背中から布団に倒れ込む。灯恵さんが真似するように横になったので、私も便乗した。子供みたいで笑えてくる、川の字なんていつぶりだろうか。
「読破お疲れ様でした、ファンとしても作者の盟友としても本当に嬉しいです」
「実際疲れました、こう……特濃な読み応えですね」
「私が二年近く味わっていたものを一日で駆け抜けたらそうなりますよ」
花織さんはしばらく天井を見つめてから、ぽつぽつと感想を語り始める。
「私はすごく好きですよ。私はいくつかの軸に分けて作品の評価を整理しているんですけど、好みと独自性の軸でここまで食い込んでくる小説は久しぶりです」
巧さや技術の軸ではそうでもない、というのは私も察している。
「私は良くも悪くもカメレオンみたいな書き方しているんですけど、和枝さんは……作家性の原液って言うんですかね」
花織さんの形容に吹き出してしまう。
「ですね、ドロドロでこってりな原液を飲んで育ちました」
そのせいで心の味覚が狂ったんだぞ、責任取らなきゃダメでしょ和くん?
花織さんのレビューは続く。
「自分が女子同士で付き合っているからとか、自分は男には愛されない女だって認識が強いからとかの影響で、私はあんまり男女の恋愛に感情移入する読み方はしないんですよ。技術とかセンスに感心して自作に活かすことはあっても」
「ほんとに職人肌ですね」
「みたいですね……けど、ブレノンとリリファには感情持ってかれましたよ。顔に傷があるヒロインがあんなにエネルギッシュで魅力的に描かれているところか、すごく好きですし……顔にコンプレックスがあっても可愛いと思われて良いってことを、男子の不器用な憧れに絡めて表現してるの、嬉しい読み味でした」
そういえば、希和は誰の影響でリリファの顔の傷を設定したのだろうか。合唱部関係者にはそんな人はいなさそうだったが……また詩葉に聞いてみよう。
「だから私は、ブレノンとリリファで幸せになってほしいとずっと思ってました」
「リリファとソルーナの百合エンドよりも、ですか?」
花織さんは女性同士で付き合っているくらいだし、推しも百合に傾くのではと思ったのだが。
「カップリングに大事なのは特異性だと思うんですよ。キャラ単体でどれだけ魅力的かというより、この二人でくっつかないとどっちも満たされないと思えるような関係……ソルーナが出てくるまで、ブレリリはそれが強かったじゃないですか」
「……ああ、そういう見方もできますね。十回以上は読んでますけど、初めて気づきました」
希和の小説のことなら全部理解できていると思っていたけど、全然そんなことなかった。ちょっと悔しくて、とても嬉しい誤算だった。誰かと分け合うたび、何度だって新しい希和を見つけられるのなら。
「勿論、リリファが本当に愛したいのは女性で、そこにソルーナが現れたって展開も好きですよ。ただ、ブレノンは最後まで、リリファ以外に愛する人を見つけられなかったので……そうなるとやっぱり、私は彼に感情移入しちゃいます。私は愛される人間じゃないって思い込んでいた、昔の自分を思い出すので」
目を閉じて、花織さんは呼びかける。自分の中にいる、その少年へ。
「君は、愛されるに値する人間なんだって。君を愛する人はその世界にいるんだって……私にいたんだから、君も信じてほしいって」
花織さんの語りに、私の記憶も刺激される。
「ずっと思っていたんですよ。君はハッピーエンドが相応しい男の子なんだって、ブレノンにも和くんにも」
「同感です。ただ……ブレノンが別の女性と出会って結ばれたのなら、これだけ胸に迫る読み味にはならないんだと私は思います。ハッピーエンドではない、けどバッドエンドと言うのも憚られるような、喪失の後に他者へ継承されていく意志の物語。そこに前向きさを見いだせたのが凄いというか……その前向きさしか縋るものがなかったのでは、とも思えて」
「……そうですね。和くんが縋るような心境だったのは、確かだったと思います。けど、ちゃんと本音も籠もっていたはずです」
「ええ、強固な自信に裏打ちされていました。喪失や劣等感と引き換えに得られるものは確かにあったと思わせてくれる、そういう小説が私は好きなので」
花織さんの言葉に、私はやっと気づく。
「さっきの問題の答え……どんなジャンルでも花織さんの小説に入っている要素、その構造ですよね。キャラの抱えるマイナスを軸にした縁や努力が、得られるプラスに結びつくようになっている。喜怒哀楽の交換や対比が明確になっている」
「はい、正解!」
灯恵さんが手をたたく、一方で本人は。
「私はただ、面白いと思った物語にはそういう構造が多いと思ったから模倣しているだけだって」
確かに普遍的な傾向かもしれないが、花織さんは人並み以上に強く意識しているように思える。苦しんでいたキャラが報われたという読者の納得につながりやすいだろう、それに。
「花織さんは……信じたいんじゃないですか? 因果応報というか、人が報われる巡り合わせを」
「それはあります、あんまり強く推すと世界公正仮説みたいになって嫌ですが」
しばらく灯恵さんを見つめてから、花織さんは続ける。
「その哀しみは喜びの対価だって。誰かかから言われるのは嫌でも、自分で信じるのは強さにつながるんだと思うんです。私はいじめられない方が良いに決まっていたし、灯恵の人生に大好きな友達との永訣なんて無い方が良いに決まっていた。それでも、その痛みの先でいま一緒に居られるのはやっぱり幸せで……その痛みが私たちをここに連れてきてくれたんだと、私は思うことにしてます」
希和は詩葉への恋に悩んだから、私は学校にいられなくなったから、インターネットの片隅でかけがえのない絆を築けた。灯恵さんと花織さんの出会い方にも、共感はできる。けど私は、そうして見つけた希望すら奪われてしまった――という悲痛を、どう言葉にすべきか悩んでいるうちに。
花織さんが口にしたのは、意外な言葉だった。
「だから。私と灯恵が別の人生を歩むことになっても、その先まで導いてくれる希望はきっとあるんだって……和枝さんの描いたブレノンとリリファの別れを読んで、私にはそう思えたんです」
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