第20章 Review
#76 たとえ作者と会えずとも
七月末、大学最初の試験期間が終わった。結果が出るのは少し先になりそうだが、単位が落ちることはないだろう。もっとも、一年目の前半なんて専門科目もわずかで内容も易しい、後々の専門ラッシュに比べればチュートリアルでしかないと薬学部の先輩からは聞いていたが。
ともかく解放感に浸りたいタイミングに、教育支援NPOミライステップの先輩・
「
「ええ。用といえばミラステとバイトなので、灯恵さんが把握しているのが全部ですね」
「だよね。良かったらさ、うちに泊まりに来ない?」
「え~、お邪魔したいです!」
「やった。それでね……彼女も、呼んでいいかな?」
恋人、一緒に
「あの、小説を書いてるっていう?」
「そうそう。紬実ちゃんとも気が合いそうだし、あんまり友達がいないから紹介したいの」
「なら私は歓迎なんですが……むしろ私が混ざっていいんですか、カップルの愛の巣に」
女性カップルというと、詩葉と陽向のような親密すぎる間合いを想像してしまったが。
「いいのいいの、私は彼女の世界を広げたいって常々思ってるから。あとそんなにベタベタしてないよ私たち」
ということで、三人とのお泊まり会が決まった。
*
当日。私が灯恵さんの家を訪ねると、彼女さんは先に来ていた。
「はじめまして、
「はじめまして……
花織さん、灯恵さんと同じく法学部の二年生なのだが。ぼそぼそとした喋り方や合わない視線は、社交性の塊である灯恵さんとは正反対だ。灯恵さんからは「容姿のせいでいじめられて内気になってしまった」と事前に聞いていたが……確かにそんな顔立ちだな、という印象は否めない。私だってブス呼ばわりされたことはあったけど、花織が浴びてきた侮蔑はその比ではなかっただろう。
とはいえ、灯恵さんがそんな彼女を愛しく思っていることはすぐに分かったし、私の関心は別にあった。
「花織さんと小説の話できるの、すごく楽しみにしてました!」
「その……私もです、紡さんのことを灯恵から聞いて、前から気になっていました」
花織さんの小説のレベルは凄まじいと、灯恵さんから聞いていたのだ。
「でしょでしょ、料理とかは私がするから、二人でじっくり読書会してて」
「いや、ホストに任せっきりも悪いですよ」
「私くらいになると一人でやった方が効率いいから」
「達人の言葉……」
という灯恵さんの言葉に甘えて。私は花織さんの小説を、花織さんは
「花織さんは、私と和くんのことは灯恵さんから聞いていたんですよね?」
「はい……その、何て言ったらいいか」
「あんまり気を遣わないもらった方が嬉しいです。率直な感想が聞きたいですし」
同じウェブ小説作家とはいえ、花織さんのことを私は知らなかったし、希和からも聞いたことがない……と私は思っていたのだが。
「……この人の、読んだことありました」
投稿サイトの
「和くんのこと、知ってたんですか」
「他の作家さんの名前とかあんまり覚えてないので、言われても思い出せなかったんですが。タイトル見たら、これ好きだったお話だなと」
希和が高一のときに書いた、学園物の短編だ。告白された少女と振られた少年が、友達として絆を結び直していく物語。
「花織さん、どんなところが印象に残ってたんですか?」
「……すごく純粋な気持ちで物語に向き合っているんだろうなと、」
花織さんは何か言い淀んでいるようだったので「率直にどうぞ」と促す。
「良くも悪くもピュアすぎる、という感はありました。こういうターゲットに刺しにいこうみたいな気配がなくて、感性や価値観がむき出しで」
「ですね。この頃はかなり初期なんですが、マーケティング的な戦略は希薄で見せ方も不器用だったと私も思います」
「はい。男性向けと女性向けのどっちにもなりきれていないってのも、ピュアで誠実といえばそうですが、こういうサイトでは伸びにくいじゃないですか」
私に気を許してくれたのか、作家としてのエンジンが掛かってきたのか、花織さんは饒舌になる。
「だから、もうちょっと巧い作り方できてもいいんじゃってことは思ってました。けど……そういう話とは別の軸で、好きなんですよ。損得から離れた他者への愛情とか、言葉のリズム感とか」
「それです、花織さんすごく分かってくれるじゃないですか!」
これだけ読み込んでくれる人が他にいて嬉しい――けど。
「……この作者の他の話も読もうとか、ならなかったんですか?」
つい、恨み言のように口から出てしまった。こんな賞賛が届いていたなら、希和にとってどれほど心強かっただろうか。
「申し訳ないです。ただ私は以前、作家を追うという読み方をしていませんでした。作品を好きになっても作者を好きになるのは避けようって考えていたので」
「ああ、純粋に作品だけ楽しみたいから、ですか?」
「それもありますが……作者のことも好きになる心理は確かにあるんですよ。だからこそ、作者自身に否定的な感情が湧いたことで、作品への感想が巻き込まれるのは怖いんです」
私にとっても心当たりのある心境である。和枝というアカウントを見つけるきっかけとなったライトノベルの原作者だって、性的な不祥事をやらかしているのだ。
「そういう不安は私も分かりますよ。それなのに作者ごと愛しすぎちゃったんですが」
作品と作者の関係に対して、私と花織さんの感覚はそれほど遠くないだろう。近い感性から出発して、逆の答えにたどり着いた……逆というよりは裏表、だろうか。
花織さんは話を再開する。キッチンの灯恵さんが驚いた顔をしているあたり、こんなに長く話すのは珍しいようだ。
「けど灯恵は、気に入った小説を書いた私のことをすごく……家族以上ってくらい、大事にしてくれたんです。作品がきっかけで人として愛される実感があって、私も他の作家を人として好きになる勇気が湧いて。だから今は、」
彼の小説を見つめてから、花織さんは目を伏せる。
「和枝さんと。友達になりたかったなって、思います……顔のことでいじめられたせいで、同年代の男子に心開けたことないんですけど、きっと和枝さんなら大丈夫でした」
花織の過去をよく知らないなりに。彼女が異性へ抱く不信感も、容姿をめぐる苦悩も、決して浅くはないことはよく分かったから。
「この、マグペジオって長編なんですけど。実質主人公なヒロインは、顔に大きな傷のある少女なんですよ。それ以外も大好きなところいっぱいあるので、花織さんに読んでみてほしいです」
花織さんはしばらく作品ページを見てから答える。
「……楽しめるだろうとは思います。けど、全部を気に入るかは分からないですよ」
「ネガティブな指摘もあって良いです、欠点は私も和くんもよく分かっています。私は、私が知らないこの小説の表情を花織さんから聞きたいです。それに花織さんは、貶めるために作品に向き合ったりはしないでしょうし」
「そこは私も保証するよ。花織は真剣すぎてごまかせないだけで、いつでもリスペクトたっぷりだから……全力で行っていいよ、花織」
灯恵さんにも言われ、花織さんは「拝見します」と答えてから『マグペジオ』を読み始めた。私も花織さんの短編を読みにかかり、灯恵さんは料理を続ける。
集まったくせにそれぞれが没頭する静かな時間が、不思議と心地よかった――きっと希和とも、こんな心地よい時間を創れた。
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