#75 君へ歌おう、君と謳おう。
コンクール会場のホールにて。私は
私は中学の頃は吹奏楽部だった。合唱と吹奏楽では雰囲気がかなり違うとはいえ、コンクール特有の緊張感や静かな熱気は通ずるものがあるように思える。
……あの頃から、まだ五年くらいしか経っていないんだよな。人生の半分以上を希和と過ごしていた気がするから、不思議な気分だ。
けど、そんな感傷も吹き飛ばすくらい、ステージからの歌声は真摯さに溢れていた。
この瞬間を目指して、この仲間と積み重ねてきた。長い長い日々が、一瞬の音へとつながっていく――残酷なくらいアンバランスで、それゆえに熱く誇らしい時間。
そして、
かつての
上手側、背筋を伸ばした眼鏡の彼、前日に「僕の最高をお見せします」とメッセージを送ってきた
下手側、今の部を引っ張ってきた
指揮の
希和が大好きだった仲間たちと、その続きにいる後輩たち。
彼ら一人一人にとって希和がどんな存在か、私はほとんど知らないけれど。
希和にとって愛しくてたまらない人たちであることは、彼が今日このステージを楽しみにしていたことは、分かる。
あるいは、自分は似合わなかったかもしれないと苦い余韻を味わっただろうことも、分かる。
だから、私も全霊で見届ける。彼の、彼らの苦楽を、この魂に刻みこむ。
まずは課題曲。短い前奏に続き、四パートで詩が語られていく。
単語の、音節の一つ一つに技巧が凝らされた言葉たち。ときに心地よく、ときに不穏に、言葉を彩る和音。
それらを実現するべく心を通わせ声を重ねる、それぞれ違う命の一人一人。
それらに聞き入るうち。希和が合唱に憧れた理由が、合唱を追い続けた心情が、実感になって脳裏に浮かびあがる。
君は言葉の表現が好きだ、小説だけでなく歌の詞も。
けど、同じくらい――あるいは、それよりもっと。
人と一緒の表現を、同じ瞬間に一つを創る体験を、求め続けていたんだ。
大事な人と、違う体の声を重ね合って、異なる心を通わせ合う、その喜びを追いかけていたんだ――たとえそのたびに、悔しさや寂しさにぶつかることがあっても。
誰かを好きになるたび、自分を嫌ってしまうとしても、その先で自分も愛せると信じて。
なら、きっと、君にとって小説とは。
キャラクターを創る行為、というよりも。
自分の中に生まれたキャラクターと一緒に物語を編んでいく、そんな営みに近かったんじゃないだろうか。一緒に創る、その根っこは合唱と同じだった。
だから、君の小説はあんなに。
苦しいくらい温かくて、泣きたいくらい愛しかったんだ。
人への愛情も、自分への葛藤も、どうしようもなく嘘じゃなかった。
――分かったよ和くん、私が引き継ぐ。
私の中に生きている君と一緒に、君が大好きな人と音楽するよ。
ステージは自由曲へ。
部員たちの積み重ねてきた努力が、鍛え上げてきた誇りが、どんな現実にも負けない強靱な美しさが、和音になって私を包む。私たちの希望をつないでいく。
そうだね、次は私の番だ。
ずっと一緒だよ。だから負けないよ。
歌にして、届けるからね。
*
雪坂合唱部は金賞だった。ブロック大会への進出こそならなかったものの、二年ぶりの快挙であり、現体制にとっては悲願であった。ステージで表彰された沙由は今にも泣きそうで、けど真剣な面持ちのまま堂々としていた。
閉会式の後、会場の外で現役部員を待つ。
「ああもう、いつまで泣いてんだ」
ずっと泣き通しの詩葉の背をさすりながら、
「そんなこと言って、うたちゃんの面倒見れるの楽しいんでしょ?」
からかうように
「いくら久しぶりでも一日一緒にいると終盤は飽きる」
「ひどいよお!」
泣き顔のまま憤慨する詩葉の頭を、結樹が「分かった分かった」とかき回す。
笑いながらそれを見ていた私へ、
「和むでしょ、あの子たち」
「ですね。尊みです」
「昔は当たり前の光景だったな……戻ってきて、良かった」
希和の急逝以来の、詩葉の変容を指しているのだろう。
「懐かしい先輩たちと格好いい後輩たちに会えた、そのおかげじゃないですか?」
「それもあるとは思うけど……一番は紡ちゃんのおかげじゃないかな」
和可奈の表情、お世辞のノリには見えなかった。
「……だったら嬉しいです」
「うん。大事な後輩を助けてくれて、ありがとうね」
「ええ、私こそ。迎えてもらって……後、希和くんの先輩でいてくれて、ありがとうございます」
その和可奈も、何か心の荷物を降ろしたように見えた。大なり小なり、誰もが希和への心残りを抱えているのかもしれない。
数分後、現役部員たちも会場から出てきた。彼らが卒業生たちに近づくと、沙由が号令。
「整列、」
ぴしり、と姿勢を正す部員たち。合わせて、私たちも背筋を伸ばす。
「本日は応援くださり、」
「「ありがとうございました!」」
沙由に続き、全員で唱和して礼。こちらも拍手で応える――卒業生が驚いているあたり、以前はなかった習慣なのだろう。
続いて、三年生から沙由と陽向、二年生から男女ひとりずつ――確か
そして、和海と陽向が、沙由の背中をこちらへ押す。こちら側、結樹が詩葉の背中を押す。
押された二人はお互いへと歩き出し、目の前で向かい合う。
「さっちゃん、お疲れ様」
「はい……ゴールド獲れましたよ、私たち」
「うん。本当に本当に、よく頑張りました。君が部長を務めあげてくれて、私は嬉しいよ。ありがとう、さっちゃん」
何度も頷く沙由を、詩葉はぎゅっと抱きしめる。
「詩葉さん……うたは、さぁん!!」
堰を切ったように沙由が涙を溢れさせ、詩葉の名前を呼ぶ。
それが合図になったかのように、他の部員たちも次々と卒業生たちへ駆け寄っていく。
「ありがとうございました、紡さん」
「お疲れ様、とてもいい合唱だったよ」
陽向と挨拶を交わしてから、抱き合う詩葉と沙由を見る。
「……ほんとは陽向さんがハグしたいんじゃないの?」
「当たりです。けど詩葉さんは、私の大好きな人ってだけじゃなくて、沙由の大事な先輩でもありますから。リーダーから一番遠かった子が部長になって、悲しみにくれる仲間をまとめてきた……その沙由が憧れてきたのも詩葉さんですし」
「そっか、意外と心が広いね陽向さん」
「お祭り気分ですからね……いや、なんで嫉妬深い前提なんですか!?」
他の部員たちにも挨拶した後、空いたタイミングを見計らったように清水に声をかけられる。
「紡さん」
「お、キヨくんお疲れ。最高だったじゃん」
「なら良かったです、みんなで頑張ってきました」
「君もとても格好良かったぞ。なんていうかな……綺麗な合唱ってだけじゃなくて、ギラっとした強さを感じた」
「マジでそういうバイブスでしたからね、ナイス解釈!」
清水はひとしきり笑ってから、空を見上げる。
「……聴いてくれてましたかね」
「聴いてたよ、けどもっと近いところにいるんじゃない?」
答えながら、私は左胸をたたく。
「ああ、確かにそっちの方がらしいや……じゃあ分かってくれましたよね、僕の気持ち」
「伝わったよ。だから私にも、もっと聞かせて」
「言うのかあ……はい、言います」
息を吸う清水へ拳を突き出す、彼も応える。骨張った体温を重ねつつ、彼は宣言する。
「みんなのおかげで、紡さんのおかげで――誰より
「私も見届けたぜ、和くん!」
ハイタッチして、やっと気づく。
「いい笑顔するじゃん、キヨくん」
「でしたか? ……そっか、じゃあ、僕の勝ちですね」
「勝ち……現実に?」
「現実に、悲しみに、死神に……自分に。色々ひっくるめて、です」
きっと勝負事とは縁遠かった彼にとっての、決着のつけ方なのだろう。
多分、そんなところも希和と似ていた。
そして、希和の家族とまた話した。
「本当に、息子がお世話になりました」
「私こそ、人生の恩人です」
「……正直、俺の理想の逆ばかりを行く息子でした。男ならもっと別のことを、そう思ったこともあります」
昌一さんは、少し離れた位置で労い合う部員たちを見ながら語る。
「けど今日ここに来て。息子は息子なりに、立派に頑張ってきたんだと……いい仲間に恵まれて強くなってきたんだと、思えました」
「なら私も嬉しいです。その強さが、私の生きる力にもなっています」
「そうか……君みたいな女性に大事に想われて、あいつは幸せな男だったよ」
「はい……希和くんを生み育ててくださり、本当にありがとうございました」
それから、自分にとって希和がどんなヒーローで、彼らにとって希和はどんな家族だったか、たくさん話した。
何度も、何重にも感謝を乗せて、節目のひとときは過ぎていった。
*
春菜の車で、
後部座席、私はずっと詩葉とはしゃいでいた。雪坂のみんなが好きだ、という気持ちが共鳴して高まりっぱなしだったのだ――結樹に「紡さんはもっと大人じゃなかったの」と突っ込まれるくらい。
しかし別れの時間が近づくと、やはりしんみりとしてくるもので。
「ねえ紡。私ね、こうやって紡と一緒にみんなと過ごせるの、本当に嬉しいんだよ」
潤んだ瞳と温かな掌で、詩葉からまっすぐに伝えられる親愛。
あんな喪失の後でも、私の心を優しく満たしてくれるもの。
「私も幸せだよ、こんなに歓迎してくれて……和くんに、触れられている気がする」
詩葉の手に力がこもる。離れないように、確かめるように。
「これからも、私にね。紡が心から幸せだって思えるための、お手伝いをさせてくれないかな」
何が実現したらそう思えるんだろうな、とか。
いま幸せを感じられていることも本当なんだよな、とかは思ったけど。
「うん、お願いね」
それが詩葉の願いなら――希和が心から大事にした人の願いなら、私だって叶えたい。
「……幸せに、なってね」
また泣き出した詩葉を、よしよしと抱きしめる。
ねえ和くん、君が彼女をほっとけなかったのがよく分かるよ。
その心配は、守りたいって願いは、私が継ぐからね。
駅に着いて、私はひとり新幹線に乗り込む。アイスコーヒーを飲み干して、持ってきた講義ノートを読み返す。そうは言ってもテスト期間中である、現実はすぐそこだし肩は重い、けれど。
「……頑張ろうね、詩葉」
彼女も進路実現のために励んでいるのだ、なら私だってやれる。
まだ胸に残る温度に励まされて、目と頭はよく動いた。
その後。詩葉と決定的に対立するなんて思いもせずに。
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