#73 いざ、歌の真剣勝負へ / 清水礼汰

 コンクール前日。雪坂ゆきさか高校合唱部は、最後の練習に励んでいた。


「――はいオッケー。松川まつかわ、ピッチ合ってたの自分で分かった? 今みたいに、焦らず泰地たいちについていけばいいから」

「はい、ありがとうございます! ……あと福坂ふくさか先輩、Dの入りもう一回みてもらっていいですか」

「だな、俺も気になってた」


 清水しみずは自分のパートのおさらいをしつつ、男声一年生の特訓を眺めていた。昔は歌以外であまり喋らなかった同期バスの福坂。上級生になると必要に迫られたのか、積極的に後輩に指導してくれるようになった。意外と面倒見がいい。


「キヨくん、空いてる?」

「いいよ陽向ひなたさん、そっちで歌うの?」

「そう、テノール隣にいるバージョンでやっときたい」


 女声に呼ばれ、一人でそちらに入る……一年ソプラノの箭内やない、随分と固い表情をしている。今日も失敗しがちなのだろうか。

「やなちゃん」

「あ、はい!」


 びくっと振り向いた彼女に向け、自分の頬を指で押し上げるポーズ。

「はい、リぃラぁックス」

 主に松垣まつがき先生がよくやるサイン――なのだが、清水がやると。


「うわキッショ」

 アルトの香永かえに言われる、計算通り。

「ひどいよ香永!」

「ひどいのはお前の顔つきじゃい、ほらさっさと並べ」

「ぐすん」


 横目で見ると、箭内も笑ってくれたようだった……この道化モードにも、やっと復帰してきた。

 希和まれかずの訃報を受けてしばらく、清水は何をしても笑う気になれなかった。ずっと固いままの清水の雰囲気は、周囲にもよからぬ影響を与えていただろう。


 だからそのぶんも、今は自分にできることを返したかった。

 挫けかける自分を支えてくれた部員たちに、そして希和に。


 課題になっていたパートを歌う、箭内もコツを掴みきったようだった。そこへ松垣先生が戻ってきたので、全員で仕上げにかかる。


 周りに比べれば合唱に詳しくない身だが、いい仕上がりになっているのは肌で分かる。今年度は新入生も多く入ってくれた、個々のレベルも層の厚さも充実している。


「――はいオッケー。やってきたことバッチリ活かせてるよ、この通りやれば金賞は固い」

 本番直前には褒めて送り出すのが恒例の先生だが、今回はいつも以上に説得力がみなぎっている気がした。


 その上での改善点を伝えた後、先生は生徒にバトンを渡す。

「じゃあ沙由さゆちゃん、いつもの感じで」

「はい、先生ありがとうございます!」


 部長の仕切りで、各学年の代表者に話してもらう……というのが、本番前日の恒例だった。

「先生も仰ってたように、とてもいい音楽が出来上がっています。みんな、自信を持って明日に臨んでください」

 今でこそ立派な部長だが。昔の沙由こそ、周りから「自信を持って」と言われる方が多い女子だった。


「そして……二・三年生は辛いこともあったし、一年生も戸惑ったりしたと思うけど。みんなで頑張ってこられて、私は本当に良かったです。先輩たちに……これまでに出会った人に、恥じない私たちでいましょう」


 希和の件にも触れ、少しだけ間を置く。沙由は部長としては、希和について何度も言及しなかった。


「じゃあ、各学年から一人ずつ……まずはやなちゃん、いいかな」

「私……は、はい!」

 緊張した面持ちで立ち上がる箭内、一年女子で唯一の合唱未経験者だ。場慣れさせたい、という意図も沙由からの指名にはあるのだろう。


「えっと……まとまらない言葉で申し訳ないんですが、」

 先輩たちに笑顔を向けられ、箭内は段々落ち着いてきたらしい。

「私は、小学校で一緒だったナツちゃんに誘われて、先輩たちも良い人だなって思えたから、ここに入部しました。だから入ってからここまで……すごく、すごく大変でした!」


 素直な発言に笑いが、それから拍手が起きる。初心者だった以上に努力家であったことを、みんな知っている。


「ありがとうございます……この四ヶ月、この中で一番に人のお世話になったのが私だと思います。だから、ここにいる皆さんの優しいところを、いっぱい知っているのも私です。上手くなりたいって思わせてくれる、上手くなったと喜べる、そういう場所だって知ってます。そんな場所にしてくれた皆さんのこと、私は本当に大好きです」


「やったあ」「私も~」などと女性陣が賑わう。微笑んでから、箭内は続ける。


「最後に……会ったこともないので話していいか迷ったんですけど。

 希和先輩が書いた学校新聞の記事、この前読ませてもらったんです」


 読んでみてはと提案したのは清水だった。ということは、彼女が言いたいのは。


「そこで思ったんです、合唱への向き合い方はみんな違っていい、そういう人たちの心がつながるから音楽は楽しいんだって」

 周りみたいに歌への感性が鋭くない、という箭内の悩みに。かつて希和が合唱部から汲み取った視点は答えになるのでは……そう清水は考えたし、実際に響いてくれた。


「私は、皆さんみたいに上手じゃないし、細かい違いも分かりません。それはこれからどんどん身につけたいけど、追いつけるかは分かりません。

 けど、皆さんのことが好きって気持ちなら、自信を持って言い切れます。明日、もっと好きにさせてください! 箭内でした!」


 お辞儀をして座った彼女を、三年の香永が「本当にいい子~」と抱きしめていた。香永、三年間でオカンみが板についてきたな……


 沙由の進行に戻る。

「箭内ちゃんありがとう。じゃあ二年生からは、次の部長の海ちゃん!」

「はい!」


 伊綱いづな和海なごみ、二年生アルト。小学校の頃から合唱を続けている大ベテランである。

 自分が指名されたことを予想していたらしい彼女は、すっと立ち上がると淀みなく語り出す。


「手短に行きます。今さら主張するのもなんですが、私は負けることがすっごく嫌いです」

 今の合唱部は、従来までのエンタメ路線から大きく舵を切り、コンクール重視の実力派路線を歩むようになった。それは三年生の意向だったものの、最も共鳴していたのは和海だろう。

「音楽は勝ち負けじゃなくてもコンクールは競争で、だから明日は絶対に金賞ゴールド取りたいです」


 和海たちが部を運営するようになると、そうした姿勢はより強まるのだろう。それはそれで活躍が楽しみである。実際、今の自分たちの演奏は誇らしい。

 ただこれまでのような、ゴスペルやミュージカルといった舞台にも邁進する機会は減っていくのだろう。希和のように創作面でこそ輝く部員の居場所は、どれだけ残るだろうか。あの頃こそ合唱部としてはイレギュラー、なのだろうか。


「――けど、本当に大事なのって、そこでもなくて」


 和海の話の転換、清水は感傷から引き戻される。


「周りに負けることより、自分に負けることが、一番嫌です。

 悲しいとか虚しいとか怖いとか、そういう感情に心が負けちゃうことが、一番悔しいです。私の場合も、仲間にとっても。

 だから、そこだけは絶対に絶対に勝ちましょう。一番格好いい自分で会いましょう、和海でした」


 拍手の後、沙由は三年生を指名に移る。


「じゃあ、最後――」

 沙由の視線が清水に向く、清水は小さく頷く――大丈夫、僕に任せてよ。

「キヨくん、お願い」


 思い出せ、あの人が居た頃の自分を。


「はい、後輩二人が良いこと言ったせいで出番のない三年生です」

「情けねえな!」

 すぐに香永から突っ込みが入る、みんなが笑う、これでいい。


「という冗談はさておき……まずはみんな、春からここまで僕を支えてくれてありがとうございました。人生で一番辛かった時間、なんとか乗り切れました」

 ちゃんと頭を下げる。理由が理由とはいえ、迷惑をかけたのは確かだ。

「やっぱり僕は希和さんのことが好きで、希和さんがあんなことになったのは許せないです。それを仕組んだ奴の事、殴れるなら殴りたいくらいには。けど……それを仕組んだのは、死神とか運命としか言いようがないわけで」


 希和の人生を潰した少女は自らも死んだ。少女を追い詰めたらしい父親も、その少女に殺された……もっとも彼らが生きていたところで、復讐する機会も資格もないだろうが。


「だから、それに仕返しするってどういうことかなって考えたら。それはせめて、僕らが幸せに過ごすことだと思うんです。好きだから辛かったとしても、好きで良かったと言い切ることだって……出会えた先にいる自分に胸を張ることだって思うんです」


 つむぎと話して、希和の小説を読んで、合唱部で過ごして。自分なりに出した結論だった。


「きっと僕らは、これから先、好きだったものを何度も奪われることになって。

 それでも、そのたびに。好きになったから幸せになれたことを、強くなれたことを、誇れる自分でいようって僕は思います。死神をぶん殴るのは笑顔で、バッドエンドを覆せるのは誇らしい続きです」


 自分の言葉は、まだ実感には程遠い。会いたくて、悔しくて、戻りたい。

 それでも、これから少しずつ、本当になっていけばいい。本当にしていく、ために。


「だから明日は、楽しくて誇らしい、愛とハーモニーで輝くリベンジの日にしましょう。

 天国にも届けるつもりで、聴いてもらえるつもりで。

 届かなくても、僕らがずっと覚えていられるように。みんな、よろしく」


 何度も心で整理したからか、泣かないで言い切れた。

 拍手で応えてくれる部員たちの間、やっぱり希和がいる気がした。きっと明日も、客席の中にいる気がするのだろう。


「よし、みんな起立!」

 沙由の合図で全員が立ち、円陣を組む。


「コールはみんな覚えてるね、じゃあ私に続いて」


 今年の掛け声。希和がミュージカルのときに書いたフレーズのアレンジだ。せっかくなら韻を踏めと、清水も考えた。



「よし、みんな――お届けしましょう、」

「至上のShow!!」


「スーパーチーム」

「from 雪高ゆきこう!!」


「超bestieな」

「君と合唱!!」


「それでは奇跡を、」

「始めましょう!!」 


 いえーい!


 と歓声を上げながら、人差し指を空へ掲げる。


 その先には確かに、あの人がいる気がした。

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