#69 君と手をつながなかった、あの頃 / 武澤 結樹
寝付けずにいた
結樹の歴史趣味を聞いた紡が紹介してくれたのが『
確かに、結樹が好きなテイストの舞台だ。時代小説らしい雰囲気も多少はあり、戦闘描写も迫力がある。彼が生きていたらいくらでも語り合えただろうし、高校生でこれだけ書けているなら将来は大化けしたかもしれない。
しかし、どうも結樹は楽しみきれなかった。
主人公の少年である
守るべき少女であり、戦いの要である千里眼を持つヒロイン・
ただ、そうした心理描写が多すぎる。多い割に関係の進展が少ない。
せっかく舞台が面白いのだから国々の情勢なんかを絡めてもいいし、アクション描写が巧いから戦術の話題を広げてもいい。ラブストーリーにしたいなら、もっと甘い雰囲気にしてもいいだろう。
そもそも結樹は悩みすぎる男は好きじゃない、小説の主人公なら尚更だ。希和や紡には悪いが好みではない、そう判断しかけていたが。
詩葉から希和との話を聞いて、納得がいった。
希和がどうやって自身の悩みを投影してきたのか、詩葉への執着と向き合ってきたのか、やっと分かった。
きっと希和は、詩葉と夫婦になる道を諦めきれなかったのだろう。恋人として結ばれなくてもパートナーに、自然な交わりでなくても父と母に、なれる可能性を捨てきれなかったのだろう。どう割り切ろうとしても、詩葉以外を目指せなかったのだろう。
結樹はいずれ、母親になろうと決めている。今度は自分が産み育てる側に回る、それが生きる意味の一つだと考えている。大人に言われたからじゃなく自然に、小さい頃から。
――という話を同年代の女子にすると受けが悪い、言葉の上では同調されたとしても内心で引かれているのが分かる。それは仕方ない、自分の思考が保守に偏っていることくらい自覚している。親にだって「もうちょっと自由に考えていい」と言われるくらいだ。
そんな話題も、希和とは何度か話した。彼とは政治や社会にまつわる話もよくしたし、主張は違っても関心は共通していることが多かった。
出産にまつわる希和の信条は結樹と似ていた、ただ彼は「けど決めるのは奥さんでしょ」よいう結論を徹底していた。それはそれで真っ当な思考だっただろう。
それだけなら良かった、この手の話をできる異性の友人というのも貴重だろう。
ただ。同時に結樹は、男子としての希和を、希和が持つ男性という側面を、ずっと軽視してきた。恋愛や性愛の対象になりうる人物であることを、ずっと否定してきた。彼と恋人になるのはあり得ない、と。
言い訳がましいが、結樹から進んでそう言ったわけじゃない。
中一の頃、委員会で希和と一緒に行動することが増えたときに、「夫婦みたい」と言われたことがあったのだ。単なる冷やかしなのか、息が合っていることへの賛辞だったのかは知らない、とにかく結樹は嫌だった。だから何かにつけ、「飯田は恋愛対象じゃない」と言い張ってきた。
勝手にカップルに喩えるのは失礼だ、だから嫌だった――それも間違いじゃないが。
自分の心理を振り返る、別の男子との関係についてだったらと想定してみる。
相手によっては嬉しかった。かつて恋い焦がれた部の先輩のような、見目麗しく堂々として有能な男子となら、カップルに喩えられて光栄だっただろう。
自分は希和を弾いていた、それが答えだ。
だいたい腰が低くて、たまに妙に頑固。人を拒むのが苦手、特に女子には従順。弱気そうで、実は粘り強い。頭は回るが、お人好し。
彼のそうした個性を気に入って、仕事仲間に相応しいと思った――自分の理想にとって都合いい部下だと思った。彼もそうしたポジションを気に入ってると考えていた。
それと同じ頭で、それら個性を理由に、恋愛の対象から弾いていた。男女の仲を意識してくれるなと釘を刺してきた。
方針が間違っていたとは思わない。
男女の間でしょっちゅう恋愛を意識するなんて、面倒でやってられない。もめ事のリスクを摘んでおくことも、自分のスタンスを明言しておくことも、お互いの居心地のために必要だったと思えている。彼が合唱部という女子多数の空間に適応できたことにも、プラスの影響になったはずだ。
そうだとしても。
結樹のそうした態度は、希和を傷つけていなかったか。
彼の男としてのプライドを、砕いていなかっただろうか。
惹かれた女に近づき成就を目指す、その自信を折っていなかっただろうか。
ただでさえ希和は、女子に舐められやすいのに。近くにいた結樹がこんな扱いをしていたからこそ。
例外だった、何かにつけ自分を頼り評価してくれた詩葉に、救いを求めすぎてしまったのだろうか。その道が行き止まりであることを知っても、引き返せないくらいに。
「……分かるよ飯田、」
結樹は十分すぎるくらい、胃がもたれるくらい、詩葉に求められてきた。たまに本気で鬱陶しかったけど、ずっと愛しかった。感情を全開にした彼女の、笑顔が、涙が、眼差しが、どう心を動かすか知っている。
同性の――異性愛者で同性の結樹だってそうなのだから。希和にはどれだけ、それらが眩しかっただろう。友達という距離を守るのに、必死だっただろう。
希和の小説を読み返す。合唱部での日々を思い出す。
彼に失礼だと分かりつつも、薄々思っていたことが確信へ変わっていく。
「もっとあっただろ、お前には」
合唱ではなく小説に時間を割いていたなら、もっと評価されただろう。
詩葉と接する時間が減ったなら、別の女子と仲良くなる道もあっただろう。
もっと紡と近づくことだって、きっと難しくなかった。
二十三時、人に連絡を取るには遅い時間だけど。どうしても落ち着かなくて、紡にメッセージを送る。
「紡さん、いま起きてる?」
「そろそろ寝ようとしてた」
「だよねごめん」
「何か話したいことあった?」
「そう。できれば二人で」
「いいよ、通話しよっか」
紡に電話をかける。
「結樹さん、どうしたの?」
応じた紡の声が、見守るように優しい。
「うん……さっき詩葉と会って。聞いたんだ、
「そっか。ついに、だね」
詩葉は一連の話――自身の性指向と希和との経緯――について、届く範囲を厳密に管理しようとしている。紡は先に聞いていると、詩葉から伝えられていた。
「詩葉から聞いて、驚いたり反省したことは沢山あったんだけど。私も飯田のこと追い詰めたのかな、みたいに思ってさ。そうしたらどうしても、紡さんに話したくなった」
「結樹さんが和くんを? ……うん、話聞かせて」
自分と希和が仲良くなった経緯、希和への態度とその意図について説明する。最近の紡はこうした話を何度も聞いているかもしれないが、自分で説明したかった。
「だから、私が飯田のことを弾き続けたせいで、あいつは自信なくして。詩葉以外の誰かを好きになろうとか思えなくなって、紡さんにもハードルを感じていた、そういう心理にしちゃったような気もしたんだ」
自分の、周りにいた女子たちの、彼への接し方を思い出す。
「これは強すぎる喩えかもしれないけどさ。私たちが……少なくとも私があいつにやってきたことは、メンタルの去勢みたいなものなんだよ」
「ああ、そう言われるとしっくり来るなあ……」
紡はしばらく考え込んでから、答える。
「確かにそれはあり得るかもね。和くんのもう一つの長編に、主人公に厳しくしてくる先輩みたいなキャラがいるんだけど、結樹さんの面影あるし」
「私がそんなところまで……嫌な奴なのそいつ?」
「厳しいけど悪役じゃないなあ、割と大事な立ち位置だし心強い味方。こっちは完結してるし読んでよ」
「洋風なファンタジーはなんか苦手で……ってその話じゃなくて」
「ごめん脱線した」
メッセージのやり取りでも、紡との話はよく脱線する。その広がりは心地よくて、懐かしい温度がする。それは多分、希和と過ごした記憶のせいだ。
「結樹さんが和くんを追い込んだのか、だよね。それは私も否定できないし、少しは影響があったと解釈するのが妥当だと思う。けど私に結樹さんの非難はできない」
「どうして。あんなに好きだったんでしょ、飯田のこと」
「私はつけ込もうとしてたんだ、和くんのコンプレックスに。モテないって思い込んでいるなら、私が彼女になるのも簡単だって……詩葉以外の誰かと結ばれたら困るって。だから結樹みたいなスタンスは都合よかった」
「それは……悪いけど、ずるい発想だよね」
「うん。そのくせずっと告白しなかったから、本当にずるい」
けど、そのずるさを誤魔化さないのは正しいと結樹は思う。ずるさは誰もが抱えているけど、自身のそれを直視できるのは全員じゃない。
「ただ、紡さんには一つ訂正したい。飯田が他の女子からどう扱われたかに関係なく、きっとあいつは紡さんを好きになったよ。詩葉よりも、ずっと」
本音だった。初めて会ったときから、何度も思わずにいられない。二人はどれだけ、似合いのカップルになっただろう。
「そっか……私はずっと、本当の意味で和くんを詩葉から振り向かせるのは難しいって思ってたよ」
「あいつ、求めてくれる人には応えたいって思う奴だから。それに何より、誰よりもあいつの個性に価値を見いだせるのは紡さんだ。あいつにとってそれは、」
言いかけて、喉が詰まる。
「結樹さん?」
「……紡さんは、飯田が合唱部を選んで良かったと思うかな」
言葉足らずな問いだったが、紡は意味をくみ取ってくれた。
「良かったよ。私が好きになった、私を救ってくれた和くんの小説は、和くんが合唱部にいたから書けたお話だって分かるから。
歌が向いていなくて、けど好きで。恋の形が合わなくて、けど好きで。それでも自分の居場所を作りたいって足掻いた経験が、居場所を見つけられた喜びが、物語になったんだよ」
紡の言葉には淀みがない。多分、結樹に聞かれる前からずっと考えていたのだろう。
涙を飲み込んで、結樹も答える。
「私は厳しく接しすぎたし、傷つけたかもしれないけどさ……飯田希和は、本当に良い奴だったんだよ。大事な友達だった、心地いい相棒だった。あいつとだから、私らしい私でいられた」
希和に抱いてきた感情が、一瞬のうちに脳裏を駆け巡る。
頼りになると、リーダーらしいと言われるのが好きだった。
けど、いつか母親になる人間であることも分かっていた。仕事の第一線から退くときが来ることも理解していた。
間違っているとは思わなかった。仕事に生きる自由な道も選べるだろうと知った、一人でも寂しくないだろうと分かった、それでも母親になる道が性に合うと思えた。
だからせめて、子供でいるうちは理想の自分を追いたかった。武将のように人を率いる立場に憧れた、体は貧弱だったから心を強くしたかった。
その理想を追うのに、希和はいい味方だった。
男子特有のがさつさや意地っ張りなところもなく、女子にありがちな同調圧力とも無縁。ついでに趣味の話も合うし、意見が食い違うことも多いから良い刺激になる。
けど、それだけじゃなかった。
彼がもっと大柄だったら、あそこまで遠慮のない態度は取らなかった。
彼が凜々しく勇ましそうな雰囲気だったら、むしろ彼を立てようとした。
ひ弱そうな男子を従える女子、そうした見られ方をすることに快感を覚えていた。
彼をコントロールした気になって、優越感を覚えていた。
誰かに尊敬されたとしても、誰かの役に立ったとしても、彼が望んだことだとしても。自分は彼を都合よく利用した、理想に巻き込んで望みを押しつけてきた。
「――あいつにワガママ言ってきただけ、幸せになってほしかった。
こんなにあいつに幸せになってほしかったなんて、会えなくなってやっと気づいたんだよ」
「……遅くないよ、だって私が聞いているんだから」
紡は言う。結樹に、自身に、刻むように。
「和くんに言えなかったぶんまで、私に教えて。
一緒にいた喜びも、言えなかった心残りも、全部知りたい。君の中にいる和くんに、たくさん会いたい」
「私も、たくさん聞いてほしいよ……私の中にいる飯田に、もっと胸を張ってほしいんだ」
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