#67 Pray Back His Love -Dividing-
「私たちが付き合ったこと、すぐにまれくんにも報告した。まれくんが私に向ける気持ちは、このままフェードアウトしてくれるんじゃないかって期待してた。
けど、そのすぐ後にまれくんから、ゴスペルライブで一緒にソリ……ソロパートのデュエット、やらないかって誘われたの」
「私からも言ったんだよ。詩葉への気持ちに背を向けないでって、好きだったから表現できることもあるでしょうって」
「そうだったんだね。歌の合間の二小節の空きに、まれくんが詞を書いて私が曲をつけて……すごく良いフレーズだったよ、いま思い出しても」
共作。希和らしい向き合い方だろう。
「最初は一緒に歌っててもぎごちなかったし、私もやりづらかったんだけど、段々うまくいくようになって」
「それ、詩葉は何か変えてみたの? 気の持ちようとか、和くんへの意識とか」
「鋭いなあ……うん、変えたよ。私がヒナを好きになって力が湧いたみたいに、まれくんも私が好きだから良い歌にできるんだって」
「なかなかのヒロイン思考……けどそれで成功したんだ」
「うん、自分たちでもビックリするくらい息が合った」
その頃、希和は小説の更新を止めていた。部活に集中するという判断は、やはり正解だったのだろう。
「それでね。ライブ直前に、まれくんに告白された」
それが詩葉にとってどれだけ大切な記憶か、分かってしまう声色だった。
「付き合ってほしいとかじゃなくて、ただずっと好きだったって。私と一緒にいることが幸せだって、だから私には陽向と幸せになってほしいって……私を責めるようなこと、何一つ言わないで」
苦しげな語りを支えようとして、言わないままにする。詩葉の言葉を聞きたい、詩葉に言わせたい。
「希和くんという人間がこんなに好きなんだって思いながら、恋の相手として好きにはなれないんだって伝えた。迷ってきたことも、好きになりたかったことも、全部伝えた。それでもずっと友達でいようねって約束した。嬉しかった、誇らしかった、けどね」
激しく息を吸って、涙を呑み込んで、詩葉は語る。
「それで終わる話じゃなかったんだよ、まれくんは満たされないまま、寂しいままだったんだよ。自分の望みを押し込めたままだったんだよ、それは私にとっても悲しかったんだよ。
だから。私を諦めてくれたその優しさを好きになってくれる女性がいますようにって、ずっと願ってた……
「詩葉はさ、」
私が考えていた以上に、彼女は私を待っていたらしい。
「私は
「……それが叶う出会い方なら良かったとは思うよ。けど、それが紡にとって怖いことだったのも分かる。例えば私が、ネット越しにビアンの人と知り合ったとしても、直に会おうって決めるのは難しかっただろうし。
けど、後もう少し。ほんの一歩だったはずなんだよ。まれくんと紡が幸せに出会うまで、君たちの痛みが報われるまで」
私が不登校になってからの三年間が、あるいは十九年の全部が報われるまで。
希和にとっては、どれだけだっただろうか。
あるはずだった幸せを見つめながら、詩葉は語る。
「それでもね。確かにあの瞬間、私とまれくんは幸せだった。その後のゴスペルライブだって、魔法みたいに楽しかった。まれくんだってね、見たことないくらい眩しい笑顔だった。それは嘘じゃないって今でも思っている」
眩しい笑顔。詩葉との、あのツーショット。
「私もそう思うよ……あのステージが楽しかったから、私が
『マグペジオ』の終盤戦にも、確かな希望が宿っていたのだ。バッドエンドに押し込めようとしていた夢を、別の形で未来へ繋いでみせた。繋ぎたいと思わせるだけの喜びが、詩葉との日々から生まれていた。
だから私たちも、繋げるんだ。
「で……そうやって和くんと仲直りできたから、文化祭のミュージカルで共作することになったんだ」
「そう。正確には、演劇部のリーダーがまれくんを指名して、メロはクラシック引用することも決まって、けどまれくんが手詰まりだったから私とヒナで協力したって感じ。その後のアレンジも
「周りと違うことの意味を描きたい、和くんは最初からそう言ってたよ」
「うん。私たちがセクマイで悩んだこととか、まれくんが周りについていけなかったこととか……紡が学校に行けなくなったことだって、きっと」
雪坂で観たミュージカルの映像を思い出す。主役を演じていた詩葉の、声や眼差しを。
「詩葉が主演だったけど、オーディションで決まったんだっけ?」
「そう。私をイメージして書いたとは全く言わなかったし、そもそもそうだとも限らないんだけど、私は使命感が湧いちゃってね。いま部長やってる
詩葉の声が沈む。
「せっかく仲直りして、最高の仲間になれたなって、私は思っていた。けどコンクールの後、まれくんは私と距離を置きたいって言って……それから卒業まで、ほんとに連絡取らなくなっちゃったの」
私との連絡も少なくなっていた頃だ。一人で向き合いたい、誰かに向き合うのが苦しい、そんな心境だったのだろうか。
「好きなのに触れられないのは苦しい、そんなの当たり前だよ。むしろまれくんがあそこまで、一緒にいたいっていう私のわがままを聞いてくれたのが優しいよ……けどきっと、それだけじゃなくて」
「何か話したんだ?」
「うん。受験が終わって、合唱部で送別会やるときに、二人で話したんだけど……私が志望進路の話したときに、気になること言ってて」
「えっと……詩葉の志望、私も聞いてない気が」
「ごめん、そうだったね。性別やセクシュアリティによって苦しい思いする人を助けたい、というのが目的。いま目指してるのが、
「ああ、
「うん。後、私がすごく助けてもらった本に『みんなのための虹色社会のススメ』って本があって、その本の編者の
そのタイトルなら私も知っている。同性愛を描くにあたって希和が参考にした本だ。
「それなら私も読んだよ、北城先生のこともちょっとは知ってる……そっか、あの人も革女大か」
「紡も知ってたんだ、良かった……でね。私がそういう進路にしたってまれくんに言ったら、」
そのときを思い出したかのように、詩葉の声が詰まる。
「男性に生まれて女性を求めるまれくんは、私たちの敵になってしまうんじゃないか。そう言われたの」
希和がそれを憂うなんて考えたことなかった――彼についてあんなに考えてきた私が、思いつけなかった。
「……和くんがそういう敵意からは遠い人だって、詩葉もよく分かってたよね」
「当然、痛いくらい分かってたよ。けど、まれくんの意思に関係なく、私たちは――女性で、セクマイで、それらの立場を代表して戦おうとする人間は、彼を味方として扱えないんじゃないか……そこまで言われると、否定できなかった」
希和は、少なくとも小説家の
「属性じゃなくて、立場じゃなくて、私とまれくんは人間どうしで向き合えたから大丈夫だって答えた。まれくんもそれで納得したみたいだった……けど。
まれくんが、亡くなる、前の夜にね。紡から会いたいって言われたこと、私と話したときにね」
恐らく、希和が生前に最後に交わした会話。そこで彼は。
「僕はまた女性を好きになっていいのかな……って、言ってました」
私は好きだよ。だから好きになってよ、私を。
伝えずじまいだった言葉が、底抜けに重くなっていく。
「……じゃあ和くんは。詩葉に振られただけじゃなくて。男性が加害者になった話を聞いて、それらと戦う姿勢を私たちが見せたせいで、そんなに自分を追いこんじゃったの?」
「断言はできないけど、それだけじゃないはず。例えばまれくんの小説が、そういうジェンダー面の批判浴びたとか、紡は知らない?」
「和くんはアカウント持ってなかったから、宣伝とかエゴサは私がやってた。そのうえで、そういう責め方されたことはなかったよ……もっと褒められるべきとは思ったけど」
「そっか……それは良かったんだけどね」
詩葉が途方に暮れる声。そこに追い打ちをかけると知りつつ、黙っていられなかった。
「詩葉の方がよっぽど知ってるはずだよね。和くんがどんな過ごし方して、どんな扱われ方をしてきたのか」
「そのはずなのにね。私には全然見えてなかったんだよ。
まれくんには私の痛みが分からないって思うばかりで。私がまれくんの痛みを分かれないこと、ずっと気づいてこなかった。ただ、本当に大切なことを話さないままでいたってことは確かだから。せめて紡とはちゃんと話したい」
「……ごめん詩葉、きつく言い過ぎた」
「いいんだよ」
詩葉が進もうとする道をイメージしてみる。
きっと。そこで語られる「男女」は、希和と詩葉のような関係性からは遠い。希和のような男性がいたことではなく、希和がずっと避けてきた道を歩む男性がいたことに注視し伝える道だ。希和がなりたくてなれなかった夫婦という形を問い直す道だ。
「詩葉は今も、その進路がいいの?」
「……今だからこそ、進みたいって思う。自分に都合いい解釈かもしれないけど、それがまれくんの想いを継ぐことだって信じてる。まれくんの選択が正しかったこと、証明したい」
やっぱり、詩葉は頑固だ。対立の真っ只中に踏み入るなんて詩葉には向かないと私は思うが、彼女が決めたなら仕方ない。
「そっか。詩葉がいいならいいんじゃないかな?」
「うん。そのためにもね、まれくんとの間にあったことを他のみんなにも話したい」
他の人に話すということは、つまり。
「合唱部の人たちにもカムアウトしていくってこと?」
「そう。もちろん、今すぐってのは厳しいけど……世間の大勢にセクマイを認めてほしいって願うなら、私がみんなに言わなきゃ始まらないって思ったの。それにね、まれくんがどんな人だったか知ってほしいの。こんなに優しくて格好いい人だったよって、私の言葉で伝えたい。ヒナにも話したら、賛成してくれた」
「私もそうしてほしいと思うけど、詩葉は怖くないの?」
「怖いよ。今まで一緒に過ごしてきた人との付き合い方が壊れたり、避けられるかもしれないから……けど、大好きな人たちだから信じたい。まれくんが私たちを信じてくれたこと、無駄にしたくない」
「分かった……もし誰かに嫌って思われても、私がついてるからね」
ありがと、と詩葉の声が綻ぶ。その柔らかな耳触りは、やっぱり心地いい。
「そうだ。紡、コンクールのときにこっち来るでしょ。まれくんのご家族に一緒に会いにいかない?」
「いいけど、そこでさっきのこと話すの?」
「うん。素敵な息子さんでしたって伝えたい……だから紡からも、まれくんへの気持ちを伝えてくれないかな」
もっと早く本人に伝えてくれたら、そう責められるかもしれない。
けど、本人に届かなくても、せめてご家族には伝えたい。早すぎた人生の終わりに、どんなささやかでも花を贈りたい。
「分かった、伝えるよ……伝えよう、一緒に」
「うん、よろしくね」
日程の確認をして、一時間以上も続いた通話は終わった。
ふと気になって、北城先生のSNSアカウントを探してみる。一年くらい前は勉強に使っていたが、最近はほとんど見ていなかった。
「――あれ?」
記憶にあるより、殺伐としていた。
本人の投稿も、他ユーザーの拡散も、やけに攻撃的だった。女性への犯罪や差別への批判という点では以前と共通しているはずなのに、言葉たちの醸す雰囲気が随分と違う。その批判対象だって明らかに広くなっている……イラストやマンガまで平然と巻き込まれている。
気分が悪くなって、すぐにサイトを閉じた。
「……これか?」
希和を追い詰めたもの。自分の作品でなくとも、詩葉たちが目指す正義の下に、誰かの表現が激しく非難される状況。
創作に拠り所を求めていた希和ならあり得るかもしれない、けれど。
私が彼に贈ってきた言葉はそんなに無力だったろうか、そう悔しくもなる。
彼の感性を、小説を、女性と男性の描き方を、私はずっと讃えてきたのに。その積み重ねは、他所での対立に負けてしまうのか。
過ぎたことは仕方ないとしても、詩葉のこれからは。
彼女もいずれ、創作や感性を正そうと裁く側に回ってしまうのだろうか。
不安と悔恨がぐるぐると脳裏に渦巻き。結局私は、また希和の小説に指を伸ばす。
ねえ和くん。
他の誰が何を思おうと、私は一生、君の物語を愛してるよ。
君は最後まで、君が描いた物語を愛せていましたか。
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