#66 Pray Back His Love -Turning-

 詩葉による希和の思い出話は続く。


「高一になって、私は結樹とまれくんと同じクラスになった」

「結樹さんと一緒で嬉しかったでしょ、詩葉」

「うん、それに同じ部活にもなったからね。楽しかったな……まれくんは部活じゃなくて、報道編集委員に入っていた。そこで学校新聞の部活特集を担当することになったらしくて」

「入っていきなり、そんな大役そうなのを?」

「空いてるからチャンスだって自分から飛び込んだんじゃないかな、まれくんそういうところは怖いものしらずだし」

「あるいは、そうまでして詩葉と接点がほしかった……こっちの方が自然か」

「……うん、そうなんだけど」


 少しの間を置いて、詩葉は私に訊ねる。

「紡、平気? 私からまれくんの話を聞いてるの」

「ノーダメージじゃないけど。そうやって気にしてくれる詩葉だから信用できる……それに、怒りたかったら怒るから」


 嫉妬や不満だって隠さなくていいかもしれない。私も、詩葉の心の強さを信じていいだろうか。


「分かった、続けるね。

 まれくんは実際に合唱部の活動に参加して、その中で話を聞いてました。元から男子不足の部だったし、まれくんは聞き上手だし褒め上手だったから、入ってほしいって先輩も結構いたよ」

「詩葉はどうだったの、入ってほしかった?」

「う~ん……向いてなさそうだとは思ってたよ。練習で苦労するところを見たくないって気持ちは確かにあった。けど、いてくれたら心強いとか、楽しみが増えると思ってたのも本当だよ。入るって聞いたときは心配もあったけど、やっぱり嬉しかった」

「和くんも同じこと心配してたみたいだよ。私と連絡取り始めたのその辺だったから、雰囲気は分かる」

「紡の話も聞かせてね、他のみんなも聞きたいだろうし」


 和枝としての僕の話を、家族や仲間にも伝えてほしいです――彼の書き置きを思い出す。大丈夫、その願いを叶える私でいられている。


「和くん、入部してからは苦労続きだったんでしょ?」

「うん。陽子さんたち……新しく運営になった先輩たちが、新しいことガンガンやろうって方針だったから。コンクール経験してないのに、ダンスもソロもいっぱいあるゴスペル曲やらされたから」

「自分はノイズだって書いてた」

「ノイズ、かあ……誰だって場所次第でノイズになると思うから間違ってはないだろうけど。まれくんが、自分が特別そうなんだって思ってたなら、やっぱり悲しいかな」

「思ってたんじゃない? 和くんは良くも悪くも、自分を極端に捉えがちだったから」


「だよね……けど外から見てると、まれくんは充実してそうだった。たまに涙目だったけど、私なんかは実際泣いてたし」

「結構厳しい指導だった?」

「いや、威圧的とか理不尽とかはなかった……ただ、明らかに先輩のこと困らせてるなってのは分かったから、申し訳なくて」

「和くんも詩葉も、もうちょっと図太く生きていいと思うよ」

「かもね。けど後から振り返って、ちゃんと頑張れたのは大事な経験だったなと思うよ。それはまれくんも同じだったはず」


 私に知らせてくれる文面でもそうだった、締めくくりのポジティブさを信じていた。確かめられない今も、信じたい。


「でね、その難しいゴスペルを演奏したイベントで、ヒナと会ったの」

「陽向さん……高校で会ったんじゃないんだ」

「そのイベントのお客さんで来てくれてね。すごく気に入ったらしくて、終わった後に声かけに来てくれたの」

「詩葉に?」

「まれくんも一緒だったよ。ヒナは私のことしか覚えてなかったけど」

「ええ……陽向さんらしい」

「だね。けど私は本当に嬉しかったな……『感動しました、私も来年は入部します』って、ストレートに言われたから。それからも気合い入りまくり」

「もしかして陽向さん、それきっかけで雪坂に?」

「本人はそう言ってた……元々いた中高一貫校が嫌になったとか、進路との相性も良かったとかもあるはずだけど」

「つまり一目惚れ?」

「みたい」

「情熱的……」


 希和じゃなくても、恋敵が陽向だったら尻込みするだろう。小説『マグペジオ』のソルーナの積極性にも納得である。


「その頃、詩葉は和くんのことどう思ってたの? 恋愛の気配だってゼロじゃなかっただろうし」

「うん……私のこと好きなんだろうって、部の女子は結構言ってた。私だって、そうなのかなとは思ってたよ。けどまれくんからは、私の関係を変えたいって気配をあまり感じなかったから」

「私が聞いてても、好きな人と一緒にいられて嬉しいってばかりで、彼氏になりたいとは言ってなかったよ。理想はともかく、現実的には友達のままが良いだろうってのは、詩葉と一緒だったんじゃないかな」

「いや私だって、付き合えたら良いって思ってたよ」


 そうだ。詩葉の自宅で話したときも、陽向づてに「希和を好きになりたかった」と言われたじゃないか。

「あの頃の私は、自分が同性愛者じゃないって信じようとしてた……心当たりはあったけど、認めたくなかった、周りに思われたくなかった。普通の女性みたいに男性を愛せるんだって期待してたし、その相手はまれくんしかいないはずだった。両親だって、まれくんと付き合った方がいいって何度も言ってたし」

「ああ、ご両親は同性愛には厳しいんだっけ」

「全否定とまではいかないけど、娘がそうだってのは絶対に認めないだろうね」


 詩葉には珍しい、冷え切った声色。両親との関係は諦めているだろうと察せられただけでなく、肉親以外に理解者を求める感情も分かった。


「けどね。私にとってまれくんとパートナーになるのが良いってのは、間違ってないの……結樹にも、他の先輩にも言われたことあるし。男と結婚するならまれくんが良いって、気持ちが通じ合えたら幸せだろうって、何度も思った。

 ただ。性的な関わりを持ちたいとは、どうしても思えなかった。抱かれるイメトレして、そのたびに吐きそうになりながら。いつかちゃんと、抱かれたい気持ちになれるんだって信じてた」


 何度も、何度も、本気で。希和との関係に向き合って、悩んできたのだろう。その積み重ねを納得させる声だった。


「……詩葉が深く悩んできたのは分かった。じゃあそこから、どうして陽向さんと付き合うことに?」

「新年度、ヒナはすぐに合唱部に来てくれたの。お互い覚えていたからすぐに仲良くなったし、ヒナが入部決めたのもすぐだった」

「で、晴れて後輩部員になった陽向さんは、詩葉に猛アタック」

「ずっと隣にいて、あざといくらい慕ってくれた。けど練習にはすごく真剣だったから、私も励みになってたよ。ヒナと一緒にいて、こんなに自分のこと好きになれるんだって気づいた……そうやってコンクールを迎えて、三年生が引退する七月に、私は自分の本心に気づいた。結樹に恋してるって気持ちに」


「うん、そこの話ずっと気になってたの」

 希和にとっても浅からぬ傷となった、詩葉のカムアウトだ。


「まず結樹は、三年の男子の先輩のことずっと好きだったの。けどその先輩には婚約までしてる彼女さんがいたし、その仲は結樹も応援していた。だから、結樹は恋心を伝えないままでいるんだろうって私は思ってた」

「けど、結樹さんは告白しちゃった」

「そう、やっぱり先輩には振られたんだけど……それを私に報告してね。結樹が泣いてるの、はじめて見て。

 結樹が、私じゃない誰かのこと、泣けるほど好きだってこと。その気持ちは、私に向ける友情とは全然違うこと。悔しくて、許せなくて……私は結樹に恋しているんだ、女しか愛せない女なんだって気づいた」


 認めたくなかった自分の一面を、気づかされること。

 大好きな人の恋の対象に、自分が入れないと突きつけられること。


「……辛かったね、それは」

「うん、情緒グチャグチャだった。グチャグチャのまま、まれくんに伝えた」

「いやそこが分かんないんだよ、和くんから聞いたときから」


 鋭くなってしまった私の声に、詩葉は姿勢を正したようだった。


「はい、紡の疑問を受け止めます」

「じゃあ……仲良いとはいえ、なんで男子に? 結樹さん以外にも、仲良い女子ならいたでしょ」

「むしろ女子にこそ知られるの怖かったからだよ。私の性欲が女に向くんだって知られたら、今までみたいに近くにいさせてもらえないって思い込んでた」

「確かに気まずいかもしれないけどさ……詩葉からの性的な意識を、男性から向けられるそれと同じくらいに警戒する女性、あんまりいないと思うよ。体の差があんまり無いわけだし」

 ましてや詩葉は見るからに華奢で害もなさそうだ――という理由は呑み込む。さすがに、ここで言うのは違う。


「紡の言うことも今なら分かるけど、当時の私は全然だった。

 だから女子には言えないし、そこまで弱み見せられる男子もいない。唯一の例外がまれくん……私がレズビアンだと知ったところで、彼の安心感が脅かされることはないと思った」

「彼に言うことで、間接的に彼を失恋させるだろうってことは、分かってたの?」


 受話器の向こう、迷いに揺れる息づかい。


「……そこまで気が回らなかった、そう言ってもバレないかもだけど。

 分かってたよ。まれくんに失恋を突きつけることになるって、傷つけることだって、気づいてた。それでも良いじゃんって、私は許されるって思ってた」

「和くんからの友情は、そんなに固いと思ってたの?」

「思ってた、けどそれじゃなくて……私が女子で、まれくんは男子だったから。苦しいことも怖いことも、私の方がずっと多いはずだから、今は私が優先されていいって思ってた」


 きっと希和も、ずっとそう考えてきたのだろう。好きな人だからじゃなく、好きな女の子だから、否定も強要もできない。

「なるほど、そういうことね」

「ひどい言い訳だってのは分かってるよ」

「私は、詩葉の辛さを理解できるわけじゃないから。それが不当だって言う資格はない」

「……そうだね、」


 詩葉の声が沈む。私に詰られた方が詩葉は楽だったかもしれない、私が寄り添うのが正しかったかもしれない。けどそのどちらも、フェアだとは思えなかった。


「で、詩葉が和くんに打ち明けて?」

「そこにヒナが乱入してきたの」

「え? 陽向さんは呼ばれてないのよね」

「私の本心、私より先に察していたらしくて……部活での様子で理解して、私のこと探してきたらしい。私がまれくんに話してるのも聞こえたんじゃないかな」

「はあ……あの子、エスパーとかその手合いでしょ」


 月野陽向、あまりにもスパダリが過ぎる。希和でなくても敵わないと認めるだろう。


「うん、私もたまにビックリする……とにかく、ヒナも同じビアンだってそのときに分かった。ヒナが一緒に支えてくれるなら大丈夫だって……それからしばらく、ヒナに話聞いてもらった。まれくんとは、直後は気まずかったけど、表向きは今まで通りだったはず」

「秘密にしておきたいのは彼も一緒だったからね」


 きっと希和は、積極的に人を騙すのは苦手でも、本心を隠して忍ぶことには慣れていたはずだ。ましてや、詩葉のせいで悩んでいるだなんて、彼女を知る人には絶対に言えなかっただろう。


「ヒナからセクマイのこと教えてもらいながら、HumaNoiseのライブで一緒にリードボーカルすることになって」

 HumaNoise、雪坂高校合唱部と信野大有志によるゴスペルプロジェクト。

「十月だったかな。信野大の人たちと一緒に合宿に行ったときに、ヒナに告白された」

「おめでとう、良かったね」

「うん、ありがとう……いま思い出しても、やっぱり、とても幸せな記憶です」


 希和の喪失を経験した、今となっても。

「いいんじゃない? 和くんは、君たちの幸せを邪魔したくなんかないでしょ」

「……だね」


 時計を見る、もうそれなりに遅い時間だ。

「もうこんな時間だね。どうする詩葉、続き後日にする?」

「ここまで来たら最後まで話しちゃいたい、紡が平気ならだけど」

「いいよ、語り明かそうぜ」

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