第17章 Reprise

#65 Pray Back His Love -Beginning-

 希和まれかずが私へ残してくれた、歌詞のアイディア。

雪坂ゆきさか高校と、信野のぶの大のゴスペルサークルHumaNoiseとの合同ライブで歌われることを想定しており、英語詞として完成させる構想だったようだ。

 英語の短いフレーズや日本語で記されたアイデアはどれも断片的で、完成像は見えない。しかし、希和がどんなことを伝えようとしていたのかは読み取れた。


 けど、本当の意味で彼の意図を理解するためには、彼の合唱部での姿を知らなければいけないと私には思える。だから、希和の話をもっと聞きたい。


 という事情もあり、六月半ば。「また希和のことを聞きたい」という私からのリクエストで、夜に詩葉うたはと通話することになった。


「久しぶりつむぎちゃん、元気?」

「体はね」

「だよね、私もそんな感じかな」

「メンタルもそんな酷くはないんだけどね……声はもう大丈夫?」

「うん、すっかり。けど多分、昔より全然笑ってないかな」

「希和くんのことで?」

「それもあるけど、いま家と予備校しか行ってないから……家はともかく、予備校は嫌とかじゃないんだけど。合唱部にいた頃が楽しすぎてね」


 失声症が治った今の声も、映像で残っている一年前の詩葉とは重ならない。


「たまに思うよ。あの頃くらい楽しい私に、もう戻れないのかなって」

「それは……陽向ひなたさんと一緒でも?」

 あんなに仲の良い恋人となら違うのではと思い、聞いてみた。

「えっと、ヒナとのこと話してもいいの?」

「あんまりアピールされても困るけど、話の流れで必要なことまで黙られるとやりにくい」


 尖った言い方だと口にしてから気づくが、詩葉は笑っていた。

「紡ちゃん、意外とドライかもね……うん、ヒナのことはずっと大好きだよ。ヒナと一緒の時間が、一番幸せ。

 けどね。私が好きで、大事にしたいの、恋人と二人きりの時間だけじゃないの。ヒナがいて、まれくんがいて、部のみんながいて……そういう時間が好きだって、あの頃も思っていたけど。こんなに好きだって、離れてやっと気づいた」


「これからの詩葉は取り戻せるよ、取り戻してほしいよ……だってそうじゃないと、私は分からないままじゃん。私だって知りたいんだよ、和くんが好きだった景色のこと」

 言ってから、「ごめん、癖で呼び捨てにしちゃった」と付け加える。

「いいよ、私もしっくり来た……そうだよね。紡と一緒だったら、取り戻せそうだよ」


 誓うように言葉を交わして、それから。


「じゃあ詩葉から、和くんのこと聞いていい?」

「いいよ、いつから?」

「そうだな……出会った頃から。前に陽向さんからも聞いたけど、やっぱり詩葉の口からがいい」

「分かった。長くなりそうだね、今夜」


 一息ついてから、詩葉は語り始める。



「私が中一のとき、結樹ゆきと同じクラスで。一目見たときからファンになっちゃって」

 雪坂高校で会った元部長・結樹を思い出す、確かにカリスマ性を感じる女子だった。

「私が猛アプローチかけて、すぐ仲良くなったんだ。気づいたら友情が恋になってたけど」

「じゃあ詩葉は、昔は結樹さんのこと好きだったんだ」

「そう。結樹には言ってないけどね、恋抜きでも大事な友達だから。で、結樹はあの頃からクラスのリーダー役をやることが多くて、たまに私も仕事中の結樹に会いにいってたの。そのとき、別クラスで結樹と一緒に仕事してたまれくんに知り合った」


「へえ……じゃあ詩葉、最初は和くんのことあんまり良く思っていなかったんじゃ?」

「最初はね。結樹が男子と仲良くするなんてレアだったから、盗られちゃう心配してた。けどまれくん、結樹のバディとしては適任だったし、私の話も真剣に聞いてくれたから。いい人なんだってすぐに分かった……それに、あの頃は特に、まれくんは男子っぽい感じがあまりしなかったんだ。小柄だし、声変わりも途中だったし」


 詩葉から聞いた話と、彼の小説を重ねていく。

「和くん、怖がられたりしない人だったんだろうね」

「ずっとそうだったよ、私が知る限りは」

「その裏返しとして、舐められやすくもある」

「そうは言いたくないけど、実際そうだったな……だから面倒ごとは押しつけられやすかったし、直接不満を言われることも多かった。結樹はオーラが凄かったから、陰口が多くなるタイプだったね」

 希和と結樹、正反対だからこそ良いコンビだったのだろう。


「後は……私ね、まれくんと一緒にいるとき、一番泣きやすかったの。リラックスして、思い切り泣けた」

「そんなに辛いことだらけだったの?」

「いや、昔の私は感情表現バグってたから。私が何かされたんじゃなくて、結樹が陰口叩かれてるの聞くと我慢できなかったんだよ。なのに本人は大して気にしないから、私が結樹の前で泣いても呆れさせるだけなんだよね。けど、まれくんは真剣に聞いてくれた」

「ああ……じゃあ和くんは、好きな子が他の誰かを想って泣いている姿を、ずっと見てきたわけだ」

「うん。あの頃の私は、まれくんに恋されてるとか思ってなかったけど。やっぱり、都合よく扱ってきちゃったよ、私はまれくんを」


 自負と無力感のバランス。必要とされているが、十分ではないこと。

 希和の小説から読み取れた心情が、詩葉の話からも浮かび上がる。


「それでも和くんは、詩葉に必要とされることが嬉しかったんだと思うの」

「……そうだと良いな。だとしてもね、私がそれを頼りに、自分がしたことを棚上げにするのは、やっぱり違うよ」

「詩葉のそういうところ、私は好きだよ」

「ふふ、ありがと」

 痛みを共に背負おうとする詩葉の姿勢は、きっと希和を救っていたのだろう。


「えっと、中一の話までしたよね。中二のとき、私は結樹とまれくんと同じクラスになった。二人でクラス代表やって色んな仕事してたから、私がまれくんと過ごすことも増えたよ。一緒に帰ることも多かった」

「結樹さんがグイグイ引っ張ってたの?」

「中身はね。表向きはまれくんが長で結樹が副。あれこれ言われるの、さすがの結樹にも堪えたみたいだから、代表を替わってほしかったみたいで……そう考えると全部結樹リードだね」

「なんかその、傀儡政権みたいな?」

「あはっ、まれくんも同じこと言ってた。結樹も歴史モノ好きだから、紡とも話合うんじゃないかな」

「そうなの、最近連絡取ってるけどいい感じ」


「やっぱり……私が高校で合唱やろうって思ったのもその頃。クラス合唱の指導で先生と揉めて、練習を少なくしようって決めるとき、二人が辛そうだったから、練習してた歌は好きだよねって私が歌い出して」

「そこで和くんが褒めてくれた?」

「うん、綺麗な声だねって。けど私は、じゃあ結樹も褒めてよってねだってばかりで。結樹は高校で合唱部に入りたいとか言ってたから、じゃあ私も一緒に入るんだって宣言した……まれくんはどうするって話、全然出なかったな」

「けど結局、三人とも雪坂を志望したんでしょ?」

「私にとっては大チャレンジだったけどね、あそこ結構難しいんだよ……二人は成績良かったから順当だっただろうけど。まれくんに至っては、私に教える時間もたくさん取ってくれたし」


 少しだけ黙ってから、詩葉は続ける。

「あの頃はね。結樹と同じ高校に行きたいっていう私の願いばかり考えてた。私と一緒がいいってまれくんの願いのこと、全然考えなかった……きっと、返せなかった」

「詩葉が悔やむことないよ。大切な人を支えることで自分が助けられる、詩葉はそういう存在だったはず。それに、たとえ自分が関係なくても、好きな人の幸せに真剣になれるのが和くんでしょ」

「……そうだね、信じるよ」


 受話器越しの溜息、やり場のない寂寥。


「ちょっと、飲み物とってくるね」

 詩葉に告げてから、冷水で顔を洗う。


 希和のことを知りたい、詩葉にとっての希和を伝えてほしい。その気持ちに嘘はない。

 けど。今も、嫉妬が消えない。苦く情けない感情を麦茶で流し込んでから、電話に戻る。

「お待たせ」

「うん……高校に入ってからだよね」


 途絶えてしまった青春の話は、折り返しに入った。

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