#55 だから今度は、君が私を

 それから、翌日に詩葉うたはたちと合唱部を訪れる約束をした。希和との別れにみんなで向き合う時間に、私も混ぜてもらうことにしたのだ。


 飯田いいだ家に戻る。孝子たかこさんは「きっとあなたの方が詳しいから」と、希和まれかずの遺品であるパソコンを預けてくれた。

紬実つむみさん。また来てちょうだいね」

「はい。きっと、長いお付き合いをさせていただくことになりそうです……ですので、どうかお元気で」


 灯恵ともえと一緒に、月野つきの親子に駅前まで送ってもらった。薦められていた蕎麦屋で夕食を摂った後、ホテルにチェックイン。灯恵と二人部屋だ。


「灯恵さん、本当にありがとうございます。貴重な連休に、泊まりで出かけるなんて」

 一泊二日の予定とはいえ、学生とっては少なくないコストだ。

「いいの。紬実ちゃんとは仲良くなりたかったし……それに、ちょっと他人事とは思えなくて」


 灯恵も何かあったらしいが、私から深く聞くのは憚られた。

 しかし灯恵は、しばらく迷うそぶりの後。

「うん、そうだね、一緒に泊まる人には言わなくちゃね……あのね紬実ちゃん。私、女の子と付き合っているんだ」

「……わお」

「ビックリした?」

「ええ。ただ、同性が好きな人だってことより、恋人がいることの方が意外です」

「あれ、そんなふうに見えてた?」

「灯恵さんほど勉強にもボランティアにもバイトにも真面目だったら、恋人つくる余地なさそうで」

「そういうことか。うん、それに関しては私、要領いいからさ」


 それがビッグマウスではないことは、私も実感している。灯恵は極端に何かに秀でているわけではないが、何をやっても人の手本になれる人だ。


「けど、私に言っても良かったんですか? 他の人にはあまり言ってないでしょうし」

「そうだね、彼女以外の大学関係者だと初かな。二人きりで泊まるなら、言っておくのも礼儀だと思って。だって普通、女どうしならそういう心配しないじゃん?」

「かもですけど……灯恵さんなら、どっちにしろ心配しないですよ。人に悪さする人じゃないですし」

「ありがとう、私も紬実ちゃん相手だからすぐ言えたよ」


 二人で笑みを交わす。しかしその後、灯恵の表情に苦さが覗く。

「……というのが前提で、ここからが本題。

 私の初恋、小学校のときに一番仲良かったナオちゃんって女の子なんだけどね。その頃に、事故で亡くなったの」


 雰囲気で察せられたとはいえ、告げられた事実は重い。

「それは……辛かった、ですね」

「辛かったね。今だって毎日、思い出す。ナオちゃんより先に死ぬべき悪い人間なんていくらでもいるじゃないかって、毎日思う」


 悪人を呪う言葉には、強固な実感が込められていた。灯恵は紛れもなく優しい善人だけど、優しさも善さも全人類に向くわけじゃない。


「あの子が亡くなってから十年くらい、心の一番深いところが欠けたままだった。私は要領が良すぎるからさ、欠けたままでも上手く立ち回れちゃうんだよ。だから友達には慕われていたし、先生にも評価されてた。親にとっても理想の娘だったと思うし、そういう自分を目指していたのは本当だよ。

 けど、やっぱり……偽物っていうのかな。本気で自分がやりたいことが、なかった。我慢してたんじゃなくて、本気が見つからなかった。だってずっと、ナオちゃんに会いたいって願いしか一番じゃなかったから」


 喪失を語る灯恵の声に、大きな動揺はない。

 その平静さを保つために、どれだけの葛藤を経てきたのだろう。


「それで大学に進んで、いまの彼女に会ったの。

 クラスメイトとして知り合ったんだけど……彼女、小説を書く人なの。彼女の小説が、彼女の小説だけが、私の喪失を救ってくれたの」


 相反する感情が、胸を締めつける。

 そしてその心境すら、灯恵は言葉にしてくれた。


「だからね。紬実ちゃんが小説に人生を救われた、その気持ちは分かるつもり。

 けどね、救ってくれたヒーローに二度と会えない、その辛さは絶対に分からない。この点で、私は君と反対の立場にある。私と彼女の関係そのものが、君を怒らせるかもしれない。

 それでもね、」


 灯恵は私の手を取って、言い聞かせる。


「分かってあげられない側の私だけど、君を支えたい。希和さんを喪った悲しみと向き合う君の、助けになりたい。すぐに立ち直れなんて言わないから、君の人生まで呪ってほしくない」


 私はすがりつくように、灯恵へ答える。

「助けて、ください……だって灯恵さんは、喪ってからも乗り越えてきた人じゃないですか。その力を、今度は私にください」


「うん……うん、任せてね。助けるよ、紬実ちゃんのこと」



 それから夜遅くまで、希和との思い出を灯恵に聞いてもらった。

 孝子さんや詩葉の前では言えなかったことまで、灯恵になら全部話せた。


 どこが好きで、どれだけ愛しくて、どんな未来を描いていたのか。

 心が、体が、どれほど彼を求めていたのか。

 彼が何に悩んで、私はどう向き合ってきたのか。私は本当は、どう寄り添いたかったのか。

 三年間の思い出を、片想いを語り続けるうちに、疲れ果てて眠りに落ちた。眠りに落ちるときまで、灯恵はずっと私を見守ってくれていた。


 翌朝、灯恵に起こされる。


「……まだ少し早くないですか?」

「そうなんだけどね。ちゃんとメイクしてあげたいなって。すごく目が腫れちゃってるし」

 言われて鏡を見ると、確かに。


「判断は紬実ちゃんに任せるけど。私はね、好きな人に会いにいくときは、見てもらいたい自分でいくの。たとえ、その天国にいる人が相手でも」


 灯恵に言われて、目を閉じて考える。

 これから希和に会いにいく――とは、正直いまは思えないけれど。

 彼を愛する人として、彼の隣にいるはずだった人として、彼を知る人に会いにいくのだ。


「……はい、お願いします。弔いに合わせて上品に、けど」


 希和の遺影を思い出す。きっと似ていた、隣り合う私たちのことを考える。


「黒縁の眼鏡によく合う感じがいいです」

 

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