第15章 Revival

#56 君の隣に似合う人

 電車に乗って、希和まれかずの母校である雪坂ゆきさか高校に向かう。

 校門に続く長い坂道の両脇には、桜らしき木が並んでいた。もう少し前なら、さぞ綺麗だっただろう。


 事前の約束通り、陽向ひなたは校門で待っていてくれた。一緒に女性の教員もいた。

「合唱部顧問の松垣まつがきです。ようこそお越しくださいました」

「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」


 松垣先生は、音大を出てすぐにここの合唱部の顧問になったという。

「希和くんは、初めて長く一緒に過ごした生徒の一人でした。苦手も多い子でしたけど、そのぶん頑張り屋で。指導していた一年半でこんなに大きく変われるんだと、感動させてもくれるような子でした」

 先生の話を聞いて、私は希和の自己評価を思い出す。


「希和くんは、自分が下手で周りに迷惑じゃないか、ずっと心配そうでしたよ」

つむぎさんにもそう言っていたんですね……確かに上手くはなかったな、誰と比べても。

 けどね。仲間に敬意を持って、謙虚に自分に向き合う姿勢は、綺麗だった。新しい自分に変わっていく姿も眩しかった。プロ前提じゃない、普通の高校で合唱部の顧問をやる意味は、そういうところにあるんだって教えてくれた子です」


 本当に彼は大切にされていたのだろうと、先生の口ぶりに思い知る。その愛情を、彼はまっすぐに受け取れていたのだろうか。


 音楽室では、部員たちが個人練習に励んでいた。

「しばらく続けてて!」

 先生は部員たちへ声をかける。


 部屋の奥には詩葉うたはもいた、目が合ったので手を振る。そこへ、男女ひとりずつの部員が歩いてきた。


 まず挨拶してくれたのは女子生徒の方、とても目を引く可憐な子だ。

「部長のうるし沙由さゆです。織崎おりさきさん、木坂きのさかさん、ようこそお越しくださいました」

 私と灯恵も挨拶を返す。ついでに、私からも一つリクエスト。

「できたら、紡って呼んでもらえたら嬉しいです。希和くんにはその名前で通していたので」

「分かりました、紡さん……で、彼が」

 

 隣にいた、ひょろりとした眼鏡の男子。

「三年生の清水しみずです。全体の集まりの前に、個人的にお話させていただきたいのですが」

 その理由を聞く前に、私にはなんとなく意図が察せられた。希和もたびたび話題に出していた、気の合う後輩が彼だろう。

「希和くんと仲の良かった方、ですか?」

「……僕の方は、ですけど。この部で一番、近いところにいたと思ってます」


 僕の方は、という前置きに。清水にとっての希和の大きさが滲んでいるようだった。

「分かりました、私もお話を聞きたいです」

 私が頷くと、灯恵が言う。

「じゃあ私は詩葉さんと話してるね」


 清水と共に、音楽室の外の廊下へ。窓際で彼と向き合うと、やけに私との距離を広く取るなと思った。それは相手が部外者だからか、女性だからか。


「紡さんにお聞きしたいのは、希和さんが書いていたという小説のことです。僕は一切、その小説を知らされていないので……僕が聞いていいのか分かりませんが」

「お答えしますよ。彼は私に、著作の全ての権利を預けてくれているので」

「ありがとうございます……全部、ですか。希さんは、紡さんのことをとても信頼していたんですね」

 信頼、という言葉に。嫉妬や自嘲のような感情が覗いている、気がした。


「そうですね、信頼してくれていたのは本当だと思います、私自身も不思議なくらいに」

 頭の中で、彼の著作をまとめ直す。


「彼が最初に書いていたのは二次創作です」

「二次なら……マギスクかエルシャド?」

「はい、エルシャドです」

「主役カプじゃないですよね、サブヒロイン視点とか」

「それも多かったですね。けど最初に書いたのは嗣太視点です」

「嗣太……ああ、アイツが無謀な突撃した心理の深掘りですか?」

 清水は物凄い精度で、彼の作風を見抜いていった。


「そうです……あの、本当に小説の話は聞かされてないんですか?」

「ないですね、ミュージカルの脚本でのやり取りだけです。ただ、アニメの感想の話ならずっと二人でしてきたので、ツボは分かってるかなと」


 本当は、この話を希和としたくてたまらなかったのだろう。話すたび、清水の納得と悔恨が深まっているようだった。


「それで、この後のオリジナルの方が長く書いていたんですが……」

『魔術騎士塾マグペジオ』の話をしようとして、しばらく悩む。あの物語は、希和の詩葉への感情の投影だ。しかし、詩葉がレズビアンであり陽向と付き合っていることは、他の学校関係者には知らされていない。つまり、私が清水に話すわけにもいかない。あくまで小説の説明に留めるべきだろう。


 しかし私が言い方を考えているうちに、清水が話を止めた。

「いや、ごめんなさい。希さんのオリジナルの話、ここで聞いたらダメですね……今なら僕も読めるんですよね、ちゃんと自分で読みます。希さんの信じた面白さ、自分で味わいたいです」


 言われてみれば、確かにそうだ。清水を読者として想定せず、ネタバレを踏ませるところだった。

「そうですね……あの、清水さんは」

 言いかけて、やはり失礼かと口をつぐむ。

「遠慮せず言ってくださいよ」

「……清水さんは真剣なオタクだな、と思いました」

「そりゃまあ、だって希さんもそうでしたし……紡さんも、そういうタイプじゃないんですか?」

「ええ、ご明察です」


 泣き笑いを浮かべながら、清水は窓越しに空を見上げる。

「きっと、紡さんは希さんと、本当にいい、」

 関係性を指す言葉を、清水は選ぶ。

「――友達になれたはずです」


 希和をよく知る人物の言葉を胸に刻んでから。

「清水さんに言っていただけて嬉しいです。けど私、希和くんの恋人になりたかったんですよ」

 きっと叶うはずだった未来を、彼にも伝える。


「……そっか。あなたは好きだったんですね、希さんを」

 清水の声が震えていく、喉を詰まらせながらしゃがみこむ。


 嗚咽する清水にどう接しようか悩んでいると、先ほどの沙由が出てきてくれた。

「すみません紡さん、うちの部員が」

「いえ、そんな……」


 沙由は屈んで、清水の背をさすりながら呼びかける。

「ほらキヨくん、もう落ち着いて。言ったでしょ、私たちは前を向いて歌おうって」

 優しい声色、優しい触れ方だったけれど。沙由の言葉には、停滞を許さないような厳しさが宿っている気がした。その厳しさが自分にも刺さるようで、私は思わず声をかけた。


「あの、沙由さん。私はいいので、ちゃんと泣かせてあげてくれませんか」

「……はい、分かりました。中でお待ちしています」


 沙由は躊躇いつつも、音楽室で戻っていった。部長として部をまとめないといけないことと、仲間として部員に寄り添いたいこと、その狭間で揺れているような背中だった。


 清水の隣に屈む。

「キヨくん……希和くんも、そう呼んでいたの?」

 沙由が口にしていた通称を持ち出すと、彼は頷いた。

「私も呼んでいいかな、その名前で」

「……はい、僕も、それがいいです」


 今の清水の姿は、どことなく、文章から浮かぶ希和を思い出させた。

 希和が泣いているときにこの手を差しのべる機会を、私は永遠になくしてしまった。言葉で何度も差し伸べてきたけど、やっぱり、この手で触れたかった。


 けど、希和が大切にしていた目の前の彼には、まだ間に合う。


「キヨくんは、希和くんのこと、大好きだったんだね」

「……はい、大好きでしたよ。初めて、本気で好きになれた、同性の友人です」


 清水が絞り出す声が、私の中の希和を照らしていく。

「僕、フィクションだけじゃなくて、現実でも根っからの百合主義者なんですよ。男は馬鹿で野蛮だから嫌いだって、いつだって綺麗なのは女ばかりだって、そう思い続けながら男の中で笑顔作ってたんです……希さんが初めてだったんですよ、本当の自分を見せられるって思ったのは」


「そっか……きっと希和くんもね、キヨくんと似たことで悩んで、苦しんで、小説で向き合ってきた。だからキヨくんも、希和くんの小説で、自分に向き合ってほしい。私もそうやって救われてきた」

 清水の肩に手を置く。この距離で男性に触れるのなんて、本当に久しぶりだ。


「すぐに笑えなくていい、たくさん泣いていい。

 だからどうか、自分の人生を呪わないで。君が生きる今を疑わないで。君が君を呪うことを、きっと希和くんは悲しむから。君のことを語る希和くんは、いつも心地よさそうだったよ」


 清水は咽びながらも、ゆっくりと立ち上がる。

「……立ち直れる気はまだしないです。けど、僕が歩いてきた道まで投げ出したら、僕が積み重ねてきたことを否定したら、きっと希さんは怒ります。滅多に怒らない人ですけど、そういう自己否定には本気で怒ります……だから、だから、僕は僕を辞めないで生きていきます」


 立ち上がった清水の背をさする。彼は深呼吸しながら、私と向き合い。


「紡さん。希和さんを好きになってくれて、ありがとうございます」

 

 彼は私に、深く頭を下げた。

 ――無駄な片想いじゃなかった。私の執着だって、誰かの支えになれる。


「こちらこそ。キヨくん、希和くんの友達になってくれてありがとう。希和くんの隣に君がいたこと、私はとても嬉しいよ」

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