#53 傷の名前

 詩葉うたはの筆談で、話は進む。

つむぎさんにとって、希和まれかずくんはどんな人だったか、それを教えてもらえませんか〉


「はい。私は高校二年のときに、不登校になりました。理由は色々ありましたが、人間への不信感が主です。家に引きこもって、未来なんてどうだっていいと思いかけていたとき、和くんの小説に救われました」


〈どんなところに?〉

「言葉が綺麗なのは勿論、視点の置き方がすごく好きなんです。強さや出会いに恵まれなかった人の感情に寄り添っているのが伝わってきて。こんなふうに人の心を思いやれる人に、私は出会いたかったんですよ」


〈はい、まれくんらしいと思います〉

 詩葉はそう記して、少しだけ笑みを見せた。まれくん、希和はそう呼ばれていたらしい。


「それから、投稿サイトのメッセージ機能を使って、私たちは連絡を取り合うようになりました。私が細かい感想を送っていたら、和くんに執筆の相談をされるようにもなったので、アドバイスさせてもらったりもしました」

〈いいコンビだったんですね〉

「私にとっては最高でした、彼にとってもそうだったなら嬉しいです。小説の話だけでなく、他の趣味や学校の話もしてきました。和くんが合唱部にいることも、練習で悩んでいたことも、」


 ちらりと詩葉を見る。彼女は真剣に聞いていた、ごまかさなくていいだろう。

「――恋愛に悩んでいたことも、聞いてきました」

〈私は彼とのことを、周りの人には言いにくかったので。彼の話を聞いてくれる人がいて良かったです。まれくんを支えてくれて、ありがとうございました〉

 そうやって私に礼を言えるのも、詩葉の美徳なのだろう。

 

「いずれ私は、ネット越しだけじゃなくて、和くんと直接会って話せる関係になりたいと願っていました。一緒に、皆さんに会いにいけたらと思っていました……だから、こんなことになって、本当に残念です」

 俯く私に、詩葉はゆっくりと手を伸ばし、肩に触れる。


「わたしも、です」

 ささやき声。いまの彼女にできる限界の肉声で、私に寄り添おうとしている。

 深すぎる痛みを堪えつつ、危ういくらいまっすぐに、私と向き合おうとする眼差し。希和が彼女を愛した理由がまた一つ分かった、私の中で凝り固まった嫉妬が少しだけ溶けた。


〈私たちにとってのまれくんの話も、聞いてもらえますか〉

「はい、聞かせてください」

 私が答えると、詩葉に促されて陽向ひなたが口を開いた。いまの詩葉に長い説明は厳しいからだろう。


「先ほども言いましたが。希和さんは、自分の関わる思い出について、誰に話してくれてもいいと書き残しています。その前提でお聞きください。

 詩葉と希和さんは、中学の頃に知り合いました。共通の友人がいたこともあり、行事の実行委員会なんかで一緒に過ごすことが多かったそうです……その頃から詩葉に恋していたと、彼は言っていました。詩葉にとっては友達でしたが」


 詩葉がスマホを差し出して補足。

〈とても大切な友達でした。男性の中では唯一と言っていいくらいの〉

 希和が語る詩葉との関係、詩葉が語る希和との関係。希和の重みが増しているのは後者だった。


「高校に進学したところで、詩葉は合唱部に入りました、そこで希和さんは」

「部を取材していたら、雰囲気に惹かれて自分も入った?」

「ええ、そこも語られていたんですね。同じ部に入って、距離が縮まって、詩葉にとっても希和さんの感じ方は変わったそうです。彼のことを好きになりたかった、そう振り返っています」

「好きに……なりたかった?」

「そのときの詩葉は、女しか愛せないという自覚がなかったので。男女で付き合う話を周りがする中で、仲の良い男子と付き合うことがゴールだと考えていたんです。思い込まされていた、というべきかもしれませんが」


 やや非難するようなニュアンスを込めた陽向。詩葉は陽向の肩をたたいて、またスマホに入力する。

〈周りからの圧力もありましたけど。まれくんの気持ちに応えたいって想いも確かにありました〉

「……ごめん詩葉、嫌な言い方して」

 謝る陽向の頭を、詩葉が撫でる。息の合ったカップルだけど、希和への態度は食い違っていたようだ。陽向は彼を警戒していたのだろう。


「続けますね。詩葉たちが高二になったとき、私が合唱部に入りました。そして夏頃、詩葉は自分がビアンだと気づいて、そのことを私と希和さんが知りました」

「その辺りからは、私もよく覚えています。和くんも頻繁に言及していたので」

「はい。その後、私と詩葉が付き合うようになって、それから希和さんが告白して……振られたというか、友達でいることを選んだそうです」


 希和の文面を思い出す、失恋報告とは思えない晴れやかな言葉選びだった。

「和くんは。振られたことで、やっと本当の意味で友達になれたと。そう言っていました」

 詩葉は目を伏せて、音もなく呟く。動いた唇は「ありがとう」をなぞっている気がした。


「高校三年目になっても、合唱部にいる間は、私たち三人の距離は近かったです。ミュージカルの企画も一緒に考えたり……あのとき希和さんにヒント出していたの、紡さんですよね?」

「そうです。嬉しい体験でした」

「はい、お世話になりました」


 陽向と詩葉がお辞儀をし、つられて私も頭を下げる。つかの間の温かな空気の中、陽向が重そうな口を開いた。


「ただ、合唱部を引退してからの希和さんのことは、私たちもよく分かっていません。詩葉と距離を置きたいと、彼から申し出があって……卒業の頃から交流が再開して、またお互いに頑張ろうってタイミングだったので」


 彼が部活を引退したのは、去年の夏頃。小説の投稿も、私との連絡も減った。それまでの交流を絶とうとしていたのは、学校まわりでも同じだったらしい。

「その頃、投稿サイトの方でも、和くんの活動は減っていたんです。受験に集中したいからだと聞いていましたが、それだけじゃないだろうと……本当のところは、私も分からずじまいでした」


 一転して沈痛な空気が立ちこめる中、詩葉がスマホを差し出す。


〈私から紡さんに聞きたいことが、二つあります。

 一つ目は、まれくんは私を恨んでいなかっただろうか、ということです〉


「恨んで、ですか?」

 聞き返した私へ、陽向が補足する。

「希和さんは詩葉に対して、振ったことを責めるような発言はしていないんです。ただ、そんな感情が皆無だとも言い切れないはずで。

 それに詩葉は、彼の恋が叶う幸せを、未来に先延ばしにしてきました。その未来が来なかったことで、彼を裏切ってしまったと感じているんです」


 しばらく、希和の綴ってきた言葉を思い返す。小説の展開、私とのやり取り。

「和くんは。私の前でも、詩葉さんを悪く言うことはありませんでした。むしろ、自分が詩葉さんを傷つけていないかの心配をずっとしていました。

 ただ。私に見せてくれた彼の感情は、意図された言葉だけです。内心では詩葉さんのことを恨んでいた可能性も、否定はできませんし……もう誰も、知りようがないです」


 真剣に聞き入る詩葉を見つめながら、ふと考える。

 希和は詩葉を恨んでいた、そう解釈した方が詩葉にとっては楽なのかもしれない。実は彼に嫌われていた、だから自分が深く悼むこともないと考えた方が。


 けど、嘘はつけなかった。私から伝えなきゃいけないことは、まだある。

「ただ、和くんの小説には、失恋の代償のような展開がありました」

『マグペジオ』のブレノンとリリファの話だ。


「その小説の主人公とヒロインは、和くんと詩葉さんに似ているんです。性格もたぶん近いですし、恋愛の構図はほとんど同じです。それで……かなり省略してお伝えすると、その主人公の男子はヒロインに想いを伝えないまま亡くなってしまうのです。

 けど、亡くなって悲しむだけの終わりじゃなくて。彼は一時的に精神だけ生き返って、ヒロインと対話するんです。ヒロインは死別を嘆くけど、彼の恋慕に応えられないことは後悔してなくて。私は愛する女性と生きていくんだ、けど君からの愛情は礎なんだ、そう告げて彼を送りだして」


 そこで気づく、急にまくし立てすぎだ。

「……早口でごめんなさい」

「いえ。分かりやすい説明でしたよ」

〈まれくんの小説、大好きなんだって伝わりました〉


 二人にフォローされつつ、話を戻す。

「つまり和くんは、小説でもお二人を応援していたように感じます。元から百合が好きだったのもありそうですが。

 一方で。恋が叶わないからといって、自分の存在が詩葉さんにとって浅くなるのは嫌だったのかなと……死んだら嘆かれるくらいには深い存在になりたいとは、思ってたんじゃないでしょうか」


 死んででも気を引きたい、という解釈はさすがに言えなかった。彼は最後まで生きたがっていた、その言葉を信じたかった。

「だから、詩葉さんがそれだけ悲しんでいることは、きっと和くんにとっていい供養になるはずです」


 しばらく考え込んでいた詩葉が、ゆっくりとスマホを打つ。

〈まれくんは、彼に似た主人公がヒロインと幸せになる話を、書いていましたか?〉


 ――あなたがそれを聞くのか、という怒りに似た感情と。

 あなただから気になってしまうのだろう、という納得と。


「温かな失恋の話なら、友情を守る話なら書いていました。

 けど、ヒロインと恋人として結ばれる話なら……書いてなかった、ですね。そういうハッピーエンドは、百合でしか書けなかったのだと思います」


 その事実を、詩葉はどう解釈しただろうか。

 俯いた詩葉は、やがて肩を震わせて泣きだした。陽向に抱きしめられながら咽ぶ詩葉を見ながら、彼女は本当に希和の幸せを願っていたのだと思い知る。


 陽向と出会い、女どうしで惹かれ合うよりも前から。希和の好意を察して、応えたいと願ってきたのだろう。他の女性と同じように、男性を愛する気持ちを探してきたのだろう。

 それでも、詩葉は男を愛せなかった――心身が理性についていかない感覚なら、私だって嫌というほど味わってきた。セクシャリティとストレス性障害を一緒に語るのも問題だろうが、やろうとして出来ないのは私も同じだった。


 それでも。

 詩葉に恋した希和の結末は、どうしようもなく、苦い。二人が分かり合おうとする過程がどれだけ優しく温かなものだったとしても、あまりに報われない。

 詩葉を責めるのは間違いだと分かっているけれど。あなたは悪くないとは、今の私にはどうしても言えない。


 そして、落ち着きを取り戻した詩葉は、もう一つの質問を私へ投げかける。


〈私が聞いてはいけないことかもしれませんが、どうか教えてください。

 あなたが希和くんに向けていたのは、どんな好意でしたか?〉

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