#52 君が愛した人のため
それから私は
「そう……
「ありがとうございます。希和くんが居てくれたから、ここまで来られました。本当に、人生の恩人で、希望でした」
「お下がりのパソコンに向かって、何か熱心にやってるとは思ってたけど……そっか、小説だったのね」
記憶の中の希和に呼びかけるように、孝子さんは語る。
「昔の希和はね、しょっちゅうお話を作っては聞かせたがる子だったの。そういう遊びは段々しなくなっていたけど、作りたいって気持ちはまだあるんじゃないかなって、私は思ってた。だから部活で脚本を任せられたって聞いてたときも嬉しかったな。好きに小説を書く場所があって、それが誰かの元気にもなっていたなら、親としては幸せです」
孝子さんは涙を拭いながら、私を見つめる。
「紬実さん。あの子を見つけてくれて、ありがとう」
「こちらこそ。希和くんを育ててくださり、ありがとうございました」
悲しいだらけの日々の中で、一つだけ安堵したこと。
きっと孝子さんは、希和に愛を注いで育ててきた。嬉しいばかり、好きばかりではなかったのかもしれないけれど、優しく愛されたと言えるような息子だったはずだ。
愛されていたからこそ、余計に悲しいのだとしても。そのことは私には喜びだった。
「そういえば、
孝子さんが口にした響きに直感する。ウタハちゃん、希和が恋していた「彼女」だろう。
「はい。紬実さん、もうひとり会っていただきたい方がいます」
「構いませんよ、どちらへ?」
「ここから歩いてすぐです。紬実さんがよければ、そろそろご案内しようかと」
希和の話をもう少し聞きたかったが、人を待たせているなら頃合いだろう。
「そうですね……では孝子さん、」
「ええ、来てくれてありがとう。良かったら、また来てちょうだい」
「はい、またお邪魔します……希和くんに、会いにきます」
私と陽向がウタハさんと会う間、灯恵は飯田家に残ることになった。「もう少し孝子さんと話したい」とのことだ。
ウタハさんの家に向かう途中、陽向に言われる。
「これから私がお伝えすることに、ウタハさんも希和さんも同意している……という前提で聞いてほしいのですが」
「はい」
「ウタハさんは、希和さんが片想いしていた相手です。中学からの知人で、同じ合唱部でした」
「和くんからも聞いています。振られると分かっていて告白したことも、ウタハさんが……」
「女と付き合っていることも、ですよね?」
「はい。私が知ってしまって良いのかは分かりませんが」
「アウティングの心配なら、今は大丈夫ですよ。希和さんも書き置きで懸念していましたし、私たちは知られることを承知で紬実さんをお呼びしたので……ああ、ウタハさんの彼女が私です」
言われて、改めて陽向の顔を見る。やや小柄ながらも凜とした雰囲気――優秀な後輩、と希和は語っていた。『魔術騎士塾マグペジオ』に登場したソルーナを思い出させる、彼女がモデルなのだろう。
そして今から会いに行くのは、同作のリリファのモデルである。私があれだけ妬んで、呪いかけさえもした人。同時に、私が希和をこれだけ愛する理由の中心でもある人。
私が、ウタハと会って。彼女と冷静に話し合えるだろうか。貯めこみすぎてしまった醜い感情を、ぶつけてしまわないだろうか。
しかし、その後の陽向からの言葉は。
「ウタハさんは、希和さんの訃報に強いショックを受けて……今、声が出せなくなっています」
――しばらく、返事に詰まった。
「……心因性の失声症、ですか?」
「大まかな理解としては合っているはずですし、病院での診療も受けています。私も詳しいことは分かりませんが」
陽向の目元に滲む無力感、今日彼女がみせた最も強い感情。詩葉のことを本当に大切に想っているのだろう。
「紡さんをお呼びしたのは、ウタハさんの強い希望でもあるのです。あなたが知っている希和さんのことを、伝えてあげてください……ただ、」
言いかけて迷う陽向に、続きを促す。
「遠慮せず言ってください」
「はい。失礼を承知で伺いますが、あなたが希和さんに向けていた好意に、恋愛感情は入っていましたか?」
孝子さんに聞かれたら答えに迷ったが。陽向が求めているのは本音だろうとも理解できた。
「恋でしたよ、私にとっては」
「正直な回答に感謝します。恋だったことは、ウタハさんには言わないでいただけませんか」
陽向に頭を下げられる。道義に反する頼みだと、本人も分かっているのだろう。
「私が恋していた彼を振ってしまった、そして私と彼は会えずじまいだった――その事実はウタハさんを余計に後悔させてしまう。だから言わないでほしい、と?」
陽向は頷く。
「ひどいお願いだとは理解しています。それでも私は、ウタハにこれ以上、人の悲しみを背負ってほしくないのです。彼女の声が出せなくなってしまったのは、それだけ希和さんを想っていたからです、もっと自分にできることがあったと悔やんでいるからです。その重荷が増えることを、私は認めたくありません」
希和がどうして陽向を信頼していたのか、少しだけ分かった気がした。一番大切なウタハのために、他のことを犠牲にできる割り切りのよさ。その俎上に自らが上げられたとき、希和は陽向の強さに気づいたのだろう。
希和がずっと自分を後回しにしてきた。その選択が間違いだったと、ウタハには思ってほしくない――きっと希和もそう考えるから。
「分かりました。私が希和さんに向けていたのは、あくまで友情と敬愛だった、ということにします」
「お気遣い、ありがとうございます」
柊という表札のついた一軒家に到着、陽向に続いて中に招かれる。応対したウタハの母は、しきりに「娘が迷惑をかけて」ということを口にしていた。子供はやりづらそうだな、という印象があった。
陽向と共に、子供部屋へ。
「ウタハ、来たよ」
陽向が声をかけると、ドアの向こうで立ち上がる気配――嫉妬をぶつけるな、そう自らに言い聞かせる。
ドアが開く、「彼女」と目が合う。
――ああ、この子か。
ぎゅっと結んだ唇、悲しみを色濃く残す瞳、こわばった頬の女の子が、私へ会釈する。
素直に笑ったら、とても可愛いのだろうという予感。
そして、こんな顔を見せられたら放っておけないのだろうという納得。
部屋に入り、クッションに腰を下ろす。
ウタハの隣に陽向、向かい合って私。
「ウタハ。この人が紡さん、
「はじめまして」
ウタハは頭を下げると、スマホを取り出す。
〈声が出せないので、筆談で失礼します〉
〈はじめまして、柊詩葉です〉
ウタハ、詩葉。
詩はlyric、葉はleaf、くっつけてリリファ。
私が焦がれてきた君の物語も、君の名前も。全部、彼女がきっかけらしい。
「――よろしくお願いします、詩葉さん」
ねえ、和くん。
やっぱり私はね、この女が妬ましいよ。いつ憎しみに変わってもおかしくないよ。
それでも、君が青春全部かけて愛した人なら。
「少しでも。詩葉さんの助けになれたらと思っています」
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