第14章 Reveal

#51 最後の手紙

 時計を見るに十分間近く、私は仏壇の前で泣き続けていたらしい。

 ひどい顔になっていそうだったので、洗面所を借りた。崩れたメイクを直すのが礼儀なのだろうけれど、とてもそんな気になれず、全部落とすことにした。


 リビングに戻ると、孝子たかこさんがお茶を用意してくれていた。

「飲んで、リラックスしてちょうだい」

「ありがとうございます……本当に申し訳ありません、あんなに取り乱して」

「いいの、私だって警察の皆さんに散々ご迷惑かけたから、」


 孝子さんは言葉を切ってから、しばらく俯いて。

「あの子が亡くなったときの話、してもいいかしら」

「ええ、お母様がよければ」

「じゃあ、話すね」


 横からそっと、陽向ひなたが口を挟む。

「私からは、不慮の事故とだけお伝えしています」

 孝子は頷くと、ゆっくりと話し始めた。



 希和まれかずは大学に向かう途中、マンションから飛び降りてきた女子中学生の下敷きとなり、二人ともその場で死亡した。その中学生は父親と二人暮らしだったが、その父親は部屋で腹を刺され死亡していた。娘は包丁で父を刺し、そのまま飛び降りて希和を巻き添えにしたのだ。

 父娘の間に何があったか、マスコミや世間は強く注目しているようだった。近隣の住民からは、父による虐待を示唆するような証言も出ているという。


「きっと、その女の子もね、可哀想な子なの。けど……」

 叫びをこらえるような孝子さんを前に、私は三年前のことを思い出していた。


 進路を巡って家族と揉めて、嫌になった私はマンションの最上階へ逃げた。そのまま飛び降りようかと思って、けど和枝かずえの新作を読んで持ち直した。飛び降りようとしていた先には、何も知らない人たちが歩いていた。


 自殺まで考えた私を、あるいは巻き込まれかけていた誰かを、救ってくれた和枝が。自殺に巻き込まれて、亡くなった。


「……本当に、お母様もお気の毒でした」

 なんとか私が答えて。しばらく、嗚咽だけが響いていた。


 やがて孝子さんが顔を上げた。

「希和から紬実つむみさんに、手紙を預かっているの」

 差し出された二枚の便箋が、陽向も言及していた書き置きなのだろう。

「拝見します」


 受け取って、何度か呼吸を整えてから、目を通す。あまり字が得意ではないなりに、丁寧に書いただろうことが察せられる、そんな肉筆だった。


* 


 つむぎさんへ

 

 この手紙まで辿りついていただき、ありがとうございます。

 こんなお別れになってしまい、本当に残念です。まだ書きたい物語がたくさんありました。もっとあなたに読んでほしかった、あなたと創りたかった。これまでの僕らが驚くくらい素敵な物語を、一緒なら紡いでいけると信じていました。


 紡さんが良ければ、直接お会いして、お友達になりたかったです。小説だけじゃない、色んな楽しいことを、二人で経験したかったです。あなたの声と笑顔で、僕の小説を語ってもらうのが夢でした……なんて、僕には贅沢すぎたかもしれませんが。


 どんな理由だったかは分かりませんが。こんな早くに命を落とすのは、やはり無念です。

 それでも、生きていた最後の日まで、僕は幸せでした。紡さんのおかげで、僕は僕の未来を信じて生きてこられました。途絶えたその日まで、あなたは人生の恩人でした。


 だから、紡さんも自分を信じて、胸を張って未来を生きてください。

 あなたが思う以上に、あなたは強く美しい人です。その輝きを見つけてくれる人は、大勢います。あなたの未来は、きっと明るい方へ続いています。


 僕を見つけてくれて、本当にありがとうございました。


 もし、紡さんがまだ僕を必要としてくれるのなら、もう一枚をご覧ください。


 

 一枚目を読み返す間もなく、私はすぐに二枚目を開いた。

 君が必要に決まってるじゃないか――君も、私が必要なんでしょう?



 紡さんにお願いがあります。


 まず、僕の小説についてです。投稿した作品と、パソコンに残っている原稿やプロット、全ての権利を紡さんに託します。放っておいても、紡さんが続きを書いても、他の作家に預けてもらっても構いません。僕の小説を誰より理解してくれる紡さんなら、きっと、小説に残った僕を導いてくれます。


 次に、僕の家族や、合唱部の仲間たちについてです。

 和枝としての僕のことを、彼らにも伝えてほしいです。僕との別れに苦しんでいる人がいたら、あなたにとっての僕を教えてあげてください。僕らが交わしたメッセージも、あなたが許せる範囲で公開してもらって構いません。それが、思い出と向き合う道標になると、僕は信じています。

 そして、飯田希和としての僕のことも、僕が好きだった合唱部のことも、紡さんに知ってほしいです。もし紡さんが、人と人の集まる場所を怖く感じているのなら、合唱部のステージが力になるはずです。この場所を紡さんにも知ってほしいと思いながら、僕はずっと歌っていました。


 最後に、僕がやり残した約束についてです。

 合唱部で共演していたゴスペルサークルで、オリジナルの歌を作る話が出ており、僕は作詞で関わる予定でした。その役目を、紡さんに受け継いでほしいのです。

 表現したかったことや歌詞のアイデアが、パソコンに残っています。僕が仲間たちと歌いたかったことが、きっと紡さんになら分かってもらえるはずです。


 お願いします。僕の物語を、あなたの手で続けさせてください。



 読み終えて、しばらく無言で反芻する。

 あなたの声と笑顔で、僕の小説を語ってもらうのが夢でした――彼だって、私と直接会いたいと思ってくれていた。私からの誘いを、彼は読んでいただろうか、喜んでくれたのだろうか。


 和枝が、希和が託してくれたもの。小説の再生、作詞の継承、全部やろう。私の人生を懸けて引き継ごう。

 けど、その前に。


「お母様。月野つきのさん。

 希和くんのことを、私に教えてください」


 頭を下げると、孝子さんがすぐに答えた。

「私も、教えてほしい。

 あの子は、小説のことも紬実さんのことも、ほとんど私に教えてくれなかった。けどね、打ち込める何かがあることも、支えてくれる誰かがいることも、あの子の様子から分かってた……きっと紬実さんの前で、あの子は自分らしく生きていられた。だから、教えてちょうだい」


「はい、お伝えします。希和くんがどれだけ私を支えてくれたか、全部」


 そして陽向に目を合わせる。

「月野さん。合唱部の皆さんに、会わせてもらえませんか」

「私からもお願いします。紡さんと話すことで、希和さんと向き合える人も大勢いるでしょうし……私も、その一人です」


 灯恵ともえの手が、私の背中をさする。背中を支えてくれる。


 ずっと、希和が生きる希望だった。その希望に、永遠に手が届かなくなってしまった。

 けど、その希和が、大切な役目を私に託してくれた。


 生きる希望が潰えても、生きる意味はまだあるらしい。

 ハッピーエンドは永遠に来ない、それでもまだ終わりじゃない――自ら終わらせることなんて、私に許されやしない。


 続けるんだ。君と私の物語を。

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