#46 His Last Voice / 柊 詩葉

 ひいらぎ詩葉うたはは、昨年まで通っていた高校で合唱部に参加していた。そこで、周りには言えない特別な関係を、二人の仲間と築いていた。


 後輩の月野つきの陽向ひなた。表向きは仲のよすぎる先輩後輩。こっそり女どうしで付き合っている彼女。

 同期の飯田いいだ希和まれかず。表向きは中学以来の友人どうし。ずっと詩葉を好きでいてくれた、付き合えないと知っても友達を続けてくれた彼。


 詩葉は高二のときに、自分が女しか愛せないと気づいた。動揺しながら二人に打ち明け、同じレズビアンであるとわかった陽向に支えられながら、やがて彼女と付き合いはじめた。

 そのあと希和から、中学からずっと好きだったと告白された。交際を求められるでもなく、ただ好きだという感情を、出会えたことの幸せを伝えられた。詩葉は、希和とは恋仲ではなく、友達を続けることを選んだ。


 高校卒業を迎えて、希和は県外の大学に進学し、詩葉は浪人して受験勉強に励んでいた。色々あったなりに、それぞれにとって明るい未来へ進んでいるのだと疑っていなかった、そんな四月の下旬のことだった。



 その夜、珍しく希和から、詩葉と話したいという連絡が来ていた。食事と入浴を済ませた九時頃、詩葉は希和に電話をかける。


「もしもし、まれくんどうしたの」

「ごめん急に、詩葉さんに意見を聞きたいことがあって」


 希和の声は緊張しているようだったけど、どこか弾んでもいた。


「どこから話すかな……僕がウェブで小説を書いてるって話はしたよね?」

「うん、去年のミュージカルのときに話だけは」

「だったね。で、その小説を通して知り合って、ずっと連絡取ってた女性がいるんだけど」

「あの、まれくんにミュージカルのヒントくれた人?」

「そうそう。ツムギさんっていう、一つ年上らしい方。高一のときから、お互いの本名とかは伏せながら、メッセージのやりとりだけしてたんだけど。会ってみませんかって、お誘いが来て」


「やったじゃん!」

 素で大声が出た。希和から詳しくは聞いていないなりに、その人が女性だったら良いなとは思っていたのだ。

「うん、嬉しい……んだけど。喜んでいいのかな、誘いに乗っていいのかなって、不安で」

「それ、今までネット越しにしか会っていなかった女性と会っていいのかって話?」

「そう。相手が不安にならないか、とか」

「えっと……その、ツムギさんからの誘いなんだよね? なら、君が乗ることは悪くないじゃん」


 詩葉だったら、知らない男相手にそういう誘いはかけないけど。その女性が思い切って誘ったことは応援したいし、相手が希和なら心配もない。 


「えっとね。紡さんが不安かって話より……そう、生の僕を見て幻滅されるのが怖いっていうか」

 希和には珍しく、要領を得ない話しぶりだ。それだけ動揺しているのだろう。

「今まで、顔を見せないで、文章だけだったからさ。素直なことも格好いいことも言えたよ。けど、この体で対面したら、ツムギさんの中にあるイメージまで裏切っちゃうだろうし。それは申し訳ないじゃん」


 あまりにも卑屈な言いようだったけど、彼がそう言いたくなる心境も詩葉には分かってしまう。一緒に過ごしていた六年間、あるいはそれ以前からずっと、男子の外見という軸で彼はずっと蔑まれていた側だ。

 そのコンプレックスに、詩葉は寄り添えない。男性だから応えられないという理由だったとはいえ、確かに詩葉は彼を拒んだのだ。


 けど、希和が自身を信じる気持ちなら、後押しできる。

「まれくんは、ツムギさんがどう考えると思うの? 例えば君の容姿が、彼女の好みからは外れていたとして、それで嫌いになるような人なの? 心に積み重ねてきた気持ちまで、崩しちゃうような人なの?」


 しばらくの沈黙の後。

「……違うはず。僕がどんな見てくれでも、理想から遠くても、受け容れてくれる人だよ。そもそも、僕のこんな劣等感だって、聞いてくれた人だし」

「うん、だよね。なら、胸を張って会いにいけばいいんじゃん」


 スマホ越しの、長いため息。

「紡さんは。僕のこと、すごく深く分かってくれる人なんだよ。僕が一番僕らしいって思える面を……怖くて学校じゃ見せられない面を、ずっと褒めてくれた人なんだよ。あの人がいたから、僕は最後まで部活を続けられたし、また詩葉さんに向き合えた」

「素敵な出会い、だね」

「うん、文字だけでもそうだった。だから、直接会って、女の子の声と体で、あんなこと言われたら。多分、僕は好きになっちゃうんだよ。恋になっちゃうんだよ」


 あちこちに脱線していたが。どうやらここが、今夜の話の核心だ。


「まれくんは。ツムギさんにそのつもりがなくても、恋の対象として求めてしまう、それが怖い?」

「……そうだね、怖い。これまでに積み重ねてきたこと、壊しちゃいそうで」

「同年代の女子なら、高校でたくさん出会ってきたじゃん」

「本気で好きになったのは君だけだよ、またそれくらい好きになりそうなんだよ」


 詩葉は唇を噛む――希和が向けてくれた恋慕の重さに、軽い返事はできない。

 中高の六年間、そのど真ん中。詩葉は、彼の心を占め続けてしまった。


 今度こそ、彼の恋は実ると信じたいけれど。この年代の女子の全員が男子との交際を望んでいるわけじゃないことなんて、ビアンの詩葉こそよく分かっていることだった。


「確かにね。ツムギさんが、まれくんとの恋仲は望んでいないかもしれない。

 けど、私は何となく分かるよ。顔も知らない人に会いたいって誘うのは、女にとってすごく勇気が要ることで……ツムギさんにとって君は、それだけ大切な人なんだよ。だから、君が恋心を抱いても、ちゃんと受け止めてくれる、」


 一瞬だけ迷ってから、詩葉は付け加えた。

「きっと、両想いになれるよ。そうなってほしいって、私は願ってる。いつか君と結ばれる女性がいるって私は言ってきたでしょ、今がそのときなんだって信じてる。だから、まれくんにも信じてほしい」

 希和からの恋慕を拒むときに。彼にはもっと似合いの女性が現れるからと、詩葉は宣言したのだ。そのツムギさんこそがその人だと、不思議な確信があった。


 けど、彼は。

「……ねえ詩葉さん、僕はさ、」

 絞り出すように、希和は詩葉に訊ねた。

「僕はまた、女性を好きになっていいのかな」

「いいのかなって……いいに、決まってるでしょ?」


 答えながらも。以前にぶつかって乗り越えたはずの悩みに、彼がまた囚われていることが気にかかった。

「まれくん。自分の恋の幸せを願うのが、また怖くなった?」

「怖いっていうか……僕が誰を好きになっても、責められるだけだって、」


 詩葉が思いもしなかった言葉を零しながら、希和の声に涙が混ざっていく。

「ねえ……まれくん、泣いてる?」


 離れてもいつでも話せると思っていた、確かに今は話せている、けど距離がもどかしい。

 どんな顔で泣いているのか知りたい。震えている肩を、この手で支えたい――できないまま、彼の悲しみに釣り合う言葉を探していると、先に彼が立ち直った。


「ごめん、ちょっと、色々あって」

「うん。まれくんが人を想う気持ちは、君自身が考えるよりもずっと、綺麗で優しいんだからね。自信持ってほしいよ」

「ありがとう。紡さんに、会ってみようと思う。今の僕で、ちゃんと向き合う」


「良かった、頑張れ……・ねえ、君がそんなに追い詰められちゃった理由、いつか聞かせてくれるかな」

 卒業の頃に渡した手紙にも、そう書いた。彼が抱えこんできたものを、詩葉にも分けてほしいと。

「ちゃんと話すから、ひとまずは心配しないで。君に話せて良かった、また報告するから」

「待ってます。きっとね、君の色んな気持ちが報われる日が来たんだよ……いい報告、楽しみにしてるからね」

「うん、また。ありがとうね」


 彼らしい穏やかな声で、電話が切れた。


 

 それが、詩葉が希和と交わした最後の会話だった。

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