#45 本当の、始まり
「
ミラステの帰り道、先輩の
「いえ、」
反射で否定しかけて、やっぱり今の私は異常だと思い直す。
「……実は、悩んでいることがあって」
「そっか。私が聞いていいことかな?」
灯恵さんは
他の人には言いにくくても灯恵さんになら話していい、知り合ってひと月足らずでそう思わせてくれる人だった。
「少し長くなるんですけど」
「いいよ。だったら、なんか食べてこっか」
「いいんですか? 嬉しいです」
「やった……あ、奢れないからね」
「そんなこと言いませんよ私。灯恵さんが就職したらお願いします」
「むむ、油断ならないな紬実ちゃん」
灯恵さんのお気に入りだという、個人経営の小さなレストランへ。雰囲気もいいし値段も手頃だ、近くの穴場である。
「紬実ちゃん、こういうところで働いたことあるの?」
「え、なんで分かったんですか」
「いまの、同業者の目線な気がして」
「鋭い……浪人中に喫茶店でバイトしてたんですよ、こういう個人でやってる」
しばらく
「あの、さっきの話なんですけど」
「うん、聞かせて」
「はい……私には、一度も会ったことないけど、好きでたまらないって人がいるんです。ネットで知り合った男の子で」
「へえ、一度も……すっごく趣味の話が合うとか?」
「それもあるんですけど。彼、ウェブで小説を書いてて」
灯恵さんの目が大きく開く。彼女にも馴染みのあるワードだったのだろう。
「うん、それで?」
「その小説がすごく好きで……あの、そもそも私、高二のときに学校で嫌なことあって、不登校になってたんですけど」
「そうなんだ、大変だったね」
不登校のことは初めて言ったが、灯恵さんは深入りしなかったし、特に驚いたふうでもなかった。
「はい。それでメンタルが落ち込んでいたときに、彼の小説に救われて。メッセージのやりとりもするようになって……大げさじゃなく、この三年間くらい、ずっと一番の支えなんです」
「素敵な出会いだね。けど紬実ちゃんは、ネット越しに文通するだけじゃ物足りない」
「そうです、だから告白したくて……けどその前に、ちゃんと顔を合わせて話したいんです。だから、一度会いませんかってメッセージ送って、けど返事が全然来なくて」
「なるほど……それは、辛いね」
灯恵さんは深く聞き入ってくれた。たかがネットの知り合いとか、返事が来ないくらいとか言うことなく。
「彼が高校にいた頃は、忙しくて返事が来ないこともあったんです。今だって、どう答えるべきか悩んでいるのかもしれないですし。ただ……予告なくこんなに間が空くと、何かあったんじゃないかって心配になるんです。別にそんなことなくて変わらず元気だとは思いますけど」
「それは、」
灯恵さんの声が震えて、すぐに引っ込む。彼女は深呼吸してから話を続けた。
「縁起悪くてごめん、けどその彼の身に何かあった可能性だってあるから。心配になるのは当然だよ」
灯恵の声で察する。昔、大切な人との別れに直面したのだろう。
「はい、だから心配で。
けど、それ以上に、彼に嫌われたのかなって……ネット越しの関係だけで十分で、直に会うことなんて考えてないから、どう断るか迷ってる、そんな気もするんです」
「女性側が会いたくないってのは分かりやすいけどなあ。それか、彼には会えない理由があるとか? 実は病気とか、ハンデがあるとか」
「話を聞く限りは、そういう事情はなさそうなんですよ。元気な高校生で、合唱もやってて……それとも、私に語っていたことが嘘だから、バレたくないって可能性もあるじゃないですか」
「経歴詐称か。騙されていたら嫌だもんね、紬実ちゃん」
「あんなに回りくどい詐称の意味も分からないですけどね。ただ私は、彼が語っていた身の上が、嘘なら嘘だって知りたいんですよ。夢を見せてくれたこと、私に生きる力をくれたことは事実ですし、そのうえで向き合おうとも思えますし」
実はそんなに達観できていない。私の知ってきた和枝が虚構だったら、どれだけ私は彼を、世界を憎むだろうか――それでも、真実を知らないよりはいい。
「私は、本当のことを知りたいんです。私の誘いを迷惑に思ったならそれでいいし、嘘だったなら受け止めます。ただ、今の、彼がどうなってるかも分からない状況は……辛いです、やっぱり」
固く組まれていた私の手に、灯恵さんの指がそっと触れる。
「私に分けてね。不安でも、寂しくても、怒っても。ちゃんと私に分けてほしい」
「はい、ありがとうございます……なんか灯恵さん、五年くらい前から知り合ってた気がします」
「えへへ。悩める女の子の味方は得意なんだよ」
「やだ、かっこいい!」
心が軽くなったところで、料理が運ばれてくる。
「さあさあ、何をやるにもまずはご飯だよ」
「はい、食って寝てから考えます!」
きっと和枝は迷っているだけだ――そのときは確かに、そう思った。
*
その二日後、ミラステの活動を終えた土曜日の夜。
祈るように投稿サイトを開くと、メッセージ欄に通知。和枝からだ。
「あ、やった!」
思わず声を上げ、文面を確認し――。
「――え?」
〉
はじめまして。
和枝さんの友人の
和枝さんのことで、大事なご報告があります。都合のいいときに、下記の電話番号へおかけください。
できれば、他のお知り合いと一緒にいるときにご連絡いただきたいです。
*
「つきの……?」
当然、知らない名前である。
彼のアカウントを使っており、電話番号まで記している以上、イタズラではないだろう。友人の月野さんが連絡しないといけない状況になった、つまりは彼に何かあった。
他のお知り合いと一緒にいるときに――聞いた私が動揺しても対処できるように。つまりは。
考え出すと止まらない、急いで灯恵さんに電話をかける。
「もしもし、紬実ちゃん?」
「はい。あの、すみません、今から会えませんか」
「……何かあったね」
「はい、例の彼のこと、らしいです」
「分かった、部屋にお邪魔していいかな」
「お願いします、あの、散らかってますけど」
「いいよ、じゃあ待っててね」
灯恵さんが近所で本当に良かった、彼女は十五分ほどで来てくれた。もう入浴してメイクも落とした後に、着替えだけして駆けつけてくれたらしい。
挨拶もそこそこに、先ほどのメッセージを見せる。
「うん、うん……どうする、私が代理で掛ける?」
「いや、私が話します。けど、多分、私が荒れるような内容なので」
「分かった。絶対に私が守るから、聞いてあげて」
記された番号へ発信、長めの呼び出しの後。
「はい、月野です」
やや低めだが、女性の声。恐らく近い年代。
「あの、紡です……先ほど連絡いただいた、和枝さんの」
「はい、ありがとうございます。月野ヒナタと申します。ツムギさん、で宜しいですか?」
「はい。あの、和枝くんに、何か」
「お話しします……その前に、近くにお知り合いの方は」
「大学の先輩が一緒です」
「分かりました。では――」
息を吸う気配。
「和枝さん。本名、イイダ マレカズさんですが。
先日、亡くなられました」
「……なくなられた?」
なくなられた、亡くなった。死んでしまった?
「ええ。不慮の事故、でした。少なくとも、故意の他殺や、自殺でないことは分かっています。
ただ和枝さんは、もしものときに備えて、書き置きを遺していました。それに従って、紡さんに連絡を差し上げています」
「はい……彼は私に、なんて?」
「それを説明するためにも、一度こちら、長野県に来ていただきたいのです。彼もそれを望んでいるそうですので」
「行きます」
理解は追いつかない、実感はない。けど、確かめなくちゃいけないことだけは分かる。
月野さんと相談して、来月の大型連休に和枝の地元を訪れることになった。元々、和枝に会うために空けていた期間だ。
電話を切り、灯恵さんに知らせる。
「彼。亡くなった、みたいです」
灯恵さんは私の手を握って、背中をさする。泣きたい気がするのに、涙も出てこない。
彼のためだったらいくら泣いても足りないはずなのに――ああ、そうか。
「いきなりそんなことを言われても、わかんないですよ。
だって私。和枝くんが生きている姿だって、まだ確かめてないんですよ?」
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