#45 本当の、始まり

紬実つむみちゃん、最近どうかした?」

 ミラステの帰り道、先輩の木坂きのさか灯恵ともえさんに声を掛けられた。

「いえ、」

 反射で否定しかけて、やっぱり今の私は異常だと思い直す。和枝かずえからの連絡が途絶えて三日目、まだ諦めるには早いと分かりつつも、ずっと平静じゃない。講義にも集中できないし、ミラステでの指導にも身が入らないし、そもそも寝付けない。そろそろ人に話さないとマズいだろう。


「……実は、悩んでいることがあって」

「そっか。私が聞いていいことかな?」


 灯恵さんは奥萩おうしゅう大法学部の二年生。明るいばかりじゃなく、人に丁寧に向き合う面倒見のいい女性だ。住まいも近いし、私に家庭教師センターを紹介してくれたのも彼女である。

 他の人には言いにくくても灯恵さんになら話していい、知り合ってひと月足らずでそう思わせてくれる人だった。


「少し長くなるんですけど」

「いいよ。だったら、なんか食べてこっか」

「いいんですか? 嬉しいです」

「やった……あ、奢れないからね」

「そんなこと言いませんよ私。灯恵さんが就職したらお願いします」

「むむ、油断ならないな紬実ちゃん」


 灯恵さんのお気に入りだという、個人経営の小さなレストランへ。雰囲気もいいし値段も手頃だ、近くの穴場である。

「紬実ちゃん、こういうところで働いたことあるの?」

「え、なんで分かったんですか」

「いまの、同業者の目線な気がして」

「鋭い……浪人中に喫茶店でバイトしてたんですよ、こういう個人でやってる」


 しばらく香子こうこさんのお店の話をしてから、本題である。


「あの、さっきの話なんですけど」

「うん、聞かせて」

「はい……私には、一度も会ったことないけど、好きでたまらないって人がいるんです。ネットで知り合った男の子で」

「へえ、一度も……すっごく趣味の話が合うとか?」

「それもあるんですけど。彼、ウェブで小説を書いてて」


 灯恵さんの目が大きく開く。彼女にも馴染みのあるワードだったのだろう。

「うん、それで?」

「その小説がすごく好きで……あの、そもそも私、高二のときに学校で嫌なことあって、不登校になってたんですけど」

「そうなんだ、大変だったね」


 不登校のことは初めて言ったが、灯恵さんは深入りしなかったし、特に驚いたふうでもなかった。

「はい。それでメンタルが落ち込んでいたときに、彼の小説に救われて。メッセージのやりとりもするようになって……大げさじゃなく、この三年間くらい、ずっと一番の支えなんです」

「素敵な出会いだね。けど紬実ちゃんは、ネット越しに文通するだけじゃ物足りない」

「そうです、だから告白したくて……けどその前に、ちゃんと顔を合わせて話したいんです。だから、一度会いませんかってメッセージ送って、けど返事が全然来なくて」

「なるほど……それは、辛いね」

 灯恵さんは深く聞き入ってくれた。たかがネットの知り合いとか、返事が来ないくらいとか言うことなく。


「彼が高校にいた頃は、忙しくて返事が来ないこともあったんです。今だって、どう答えるべきか悩んでいるのかもしれないですし。ただ……予告なくこんなに間が空くと、何かあったんじゃないかって心配になるんです。別にそんなことなくて変わらず元気だとは思いますけど」

「それは、」


 灯恵さんの声が震えて、すぐに引っ込む。彼女は深呼吸してから話を続けた。

「縁起悪くてごめん、けどその彼の身に何かあった可能性だってあるから。心配になるのは当然だよ」

 灯恵の声で察する。昔、大切な人との別れに直面したのだろう。


「はい、だから心配で。

 けど、それ以上に、彼に嫌われたのかなって……ネット越しの関係だけで十分で、直に会うことなんて考えてないから、どう断るか迷ってる、そんな気もするんです」

「女性側が会いたくないってのは分かりやすいけどなあ。それか、彼には会えない理由があるとか? 実は病気とか、ハンデがあるとか」


「話を聞く限りは、そういう事情はなさそうなんですよ。元気な高校生で、合唱もやってて……それとも、私に語っていたことが嘘だから、バレたくないって可能性もあるじゃないですか」

「経歴詐称か。騙されていたら嫌だもんね、紬実ちゃん」

「あんなに回りくどい詐称の意味も分からないですけどね。ただ私は、彼が語っていた身の上が、嘘なら嘘だって知りたいんですよ。夢を見せてくれたこと、私に生きる力をくれたことは事実ですし、そのうえで向き合おうとも思えますし」


 実はそんなに達観できていない。私の知ってきた和枝が虚構だったら、どれだけ私は彼を、世界を憎むだろうか――それでも、真実を知らないよりはいい。


「私は、本当のことを知りたいんです。私の誘いを迷惑に思ったならそれでいいし、嘘だったなら受け止めます。ただ、今の、彼がどうなってるかも分からない状況は……辛いです、やっぱり」

 固く組まれていた私の手に、灯恵さんの指がそっと触れる。

「私に分けてね。不安でも、寂しくても、怒っても。ちゃんと私に分けてほしい」

「はい、ありがとうございます……なんか灯恵さん、五年くらい前から知り合ってた気がします」

「えへへ。悩める女の子の味方は得意なんだよ」

「やだ、かっこいい!」


 心が軽くなったところで、料理が運ばれてくる。

「さあさあ、何をやるにもまずはご飯だよ」

「はい、食って寝てから考えます!」


 きっと和枝は迷っているだけだ――そのときは確かに、そう思った。



 その二日後、ミラステの活動を終えた土曜日の夜。

 祈るように投稿サイトを開くと、メッセージ欄に通知。和枝からだ。


「あ、やった!」

 思わず声を上げ、文面を確認し――。


「――え?」


つむぎさま


 はじめまして。

 和枝さんの友人の月野つきのと申します。彼の許可を得て、代理でメッセージを送らせていただきます。


 和枝さんのことで、大事なご報告があります。都合のいいときに、下記の電話番号へおかけください。

 できれば、他のお知り合いと一緒にいるときにご連絡いただきたいです。



「つきの……?」

 当然、知らない名前である。

 彼のアカウントを使っており、電話番号まで記している以上、イタズラではないだろう。友人の月野さんが連絡しないといけない状況になった、つまりは彼に何かあった。


 他のお知り合いと一緒にいるときに――聞いた私が動揺しても対処できるように。つまりは。


 考え出すと止まらない、急いで灯恵さんに電話をかける。

「もしもし、紬実ちゃん?」

「はい。あの、すみません、今から会えませんか」

「……何かあったね」

「はい、例の彼のこと、らしいです」

「分かった、部屋にお邪魔していいかな」

「お願いします、あの、散らかってますけど」

「いいよ、じゃあ待っててね」


 灯恵さんが近所で本当に良かった、彼女は十五分ほどで来てくれた。もう入浴してメイクも落とした後に、着替えだけして駆けつけてくれたらしい。

 挨拶もそこそこに、先ほどのメッセージを見せる。


「うん、うん……どうする、私が代理で掛ける?」

「いや、私が話します。けど、多分、私が荒れるような内容なので」

「分かった。絶対に私が守るから、聞いてあげて」


 記された番号へ発信、長めの呼び出しの後。


「はい、月野です」

 やや低めだが、女性の声。恐らく近い年代。

「あの、紡です……先ほど連絡いただいた、和枝さんの」

「はい、ありがとうございます。月野ヒナタと申します。ツムギさん、で宜しいですか?」

「はい。あの、和枝くんに、何か」

「お話しします……その前に、近くにお知り合いの方は」

「大学の先輩が一緒です」

「分かりました。では――」


 息を吸う気配。


「和枝さん。本名、イイダ マレカズさんですが。

 先日、亡くなられました」


「……なくなられた?」


 なくなられた、亡くなった。死んでしまった?


「ええ。不慮の事故、でした。少なくとも、故意の他殺や、自殺でないことは分かっています。

 ただ和枝さんは、もしものときに備えて、書き置きを遺していました。それに従って、紡さんに連絡を差し上げています」

「はい……彼は私に、なんて?」

「それを説明するためにも、一度こちら、長野県に来ていただきたいのです。彼もそれを望んでいるそうですので」

「行きます」


 理解は追いつかない、実感はない。けど、確かめなくちゃいけないことだけは分かる。

 

 月野さんと相談して、来月の大型連休に和枝の地元を訪れることになった。元々、和枝に会うために空けていた期間だ。


 電話を切り、灯恵さんに知らせる。

「彼。亡くなった、みたいです」

 灯恵さんは私の手を握って、背中をさする。泣きたい気がするのに、涙も出てこない。

 彼のためだったらいくら泣いても足りないはずなのに――ああ、そうか。


「いきなりそんなことを言われても、わかんないですよ。

 だって私。和枝くんが生きている姿だって、まだ確かめてないんですよ?」

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