#43 長すぎた冬の終わりと
センター試験、初日。
ビックリする科目もあったが、概ね普段通りに乗りきれた。
家に帰ったら、過ぎたことは頭から追い出し、どうしても気になるところだけを復習してから早く寝た。
そして、二日目。
会場を歩いていた私は、廊下で一人の男性とすれ違いかけ。
「――あ、」
「えっ」
顔を見て、思わず息を漏らす。
同じように私を見て驚いていたのは、
高校卒業からは一年経っているはずだが、彼は医学科志望である。浪人も自然だろう。地元の受験会場にいても、なんらおかしくない。
一条の方が先に目を逸らして、立ち去りかける。ここで声をかけるのはマズいと判断したのだろう。
けど、私は。
「一条くん!」
彼を呼び止めていた。どう向き合うかを保留したままだったら、多分、集中できない。
彼は背を向けたまま、けれども足を止めた。
顔を見たら平静が崩れそうだったから、私も背を向けたまま、彼に伝える。
「頑張ろうね、お互い」
他に言いたいことがいくらあっても、これだけは嘘じゃなかった。今の彼には、彼の最善を尽くしてほしかった。
「……うん、
それだけ交わして、また歩き出した。
二日目も、数学で意外な難所こそあったものの、焦らず点を集められた手応えだ。会場の空気からして、皆も難しすぎると感じているようだったし、失敗はしていないだろう。他の科目は九割以上を狙えているはずだ、きっと十分に二次試験で勝負できる。
全ての科目を終えたところで、一条を探す。彼も何かを察していたのか、会場に残っていた。
「一条くん、ちょっといいかな」
「うん。どこで話す?」
「とりあえずここ出よう」
係員の邪魔にならない、人目も少ないところへ移動。
彼と向き合う。記憶より背丈は伸びていたけれど、随分とやつれたようにも見える。
「――さて、」
どう話したものか逡巡していると、彼は深く頭を下げてきた。
「織崎さん。あのときは本当に、申し訳ありませんでした」
落ち着いた、しかし感情の強さがありありと伝わる声。彼は彼で、ずっと悔いてきたのだろうと分かった。謝りたくて、悩んで、それでも連絡を絶つという私の選択に合わせてきたのだろうとも。
本当は、はっきり問い詰めるのが正しいのかもしれない。私がどうして傷ついたのか、彼の言葉でちゃんと聞くべきかもしれない、けれど。
「一条くん、顔を上げてくれるかな」
今の彼を見て、私がどうしたいのかも固まった。
「私はね。あなたを許します、とは言いたくない。また仲良くしましょう、とも言えない」
「分かってます。許して、とも言わない」
「うん。けどね、これ以上、あなたが私とのことを悔いるのも、望んでいません。他の人の気持ちは代弁できないけど、忘れてほしいと私は思っています。私の心には、あなたの居場所はとっくにない。あなたの心にも私の居場所はなくていい」
「……はい」
真面目な彼のことだ。「過ちを忘れないから」と言おうとしたのかもしれない。
「一条くんは今も、医師を目指しているのかな」
「そう、今年がダメなら来年も浪人」
「そっか。それはとても険しい、苦しい道だと思う。それでも、」
無理しなくていいよ、何になってもいいんだよ――それが正しい言葉だとしても。
「私はあなたに、人を救う人になってほしい。
私はこれから、あなたを応援することも、励ますこともない。責めることだってしない、会うのだって最後にするつもり。それでも、かつてあなたと深く関わった私は、あなたが人を救う人になることを願っています」
彼との間にあったことを、子供だからと許すことはできないけど。
お互いが大人になるまでの通過点にはできる、意味合いならいくらでも変えられる。私の知らないところで、ちゃんと変えてくれ。せめて私の知らない誰かの、恩人になってくれ。
「はい。そんな俺を目指します、ずっと」
彼の返事は、きっと嘘じゃなかった。頷いて、息を吸う。
「それじゃあ。さようなら、一条くん」
彼の返事は聞かず、早足で立ち去る。遅れて、視界が涙で滲んでいく。
彼が怖かったからじゃない。辛い記憶を思い出したから、でもない。再会が嬉しかった、それも勿論違う。
向き合うのが怖かった人と、ちゃんと向き合って伝えられたから――だろうか。
かつてはあんなに愛憎を募らせた一条にだって本音を言えたのだ。和枝にも正直に言える気がした、和枝との未来が少しずつ見えてきた。
自己採点の結果、センター試験は目標通りの高得点だった。
ラストひと月、
*
和枝も国公立を受けるらしく、私と似たようなスケジュールで受験に取り組んでいた。
「センターは目標突破していたので、前期は志望通りに受けることにしました」
「ここで妥協したら、この先もずっと自分のことを信じられなくなりそうで。親や先生よりも、自分が一番こだわっています」
和枝は自分を追い込んでいる。その焦燥が彼の力になると分かっているから、優しそうな言葉をかけるのも違う気がした。
「私も、諦めたくないです。ここで負けるのは世界に負けることだって気分です、最後まで一緒に戦い抜きましょう。
けど。どんな結果でも、進路がどこになっても、君は君で、私は私です。積み上げてきた強さも優しさも、一つも無駄にはならないと信じています。自分を責めそうになったときは、その悔しさを私にも分けてください」
そして二次試験、本番。
一年ぶりの奥萩大は、なんだか懐かしかった。志望したきっかけでもあるミライステップに顔を出そうかとも迷ったけど、浪人生は気を遣われそうなのでやめておいた。新たに住みたい宮城の街を歩きながら。和枝と一緒に歩いたなら、そればかり考えていた。
ずっと会うこともなくこれだけ心を通わせてきたのだ、多少の遠距離はいくらでも我慢できるだろう。けど、やっぱり、すぐそばにいたい。温もりも表情も分かる距離で一緒にいたい――いられるために、今は勝ち取るしかない。
私は戦っているんだ、それを人生で一番強く感じた二日間だった。
ブレノン、リリファ、ソルーナ、
二浪は避けたかったので、第一志望の試験が終わると滑り止めへの準備である。国公立の後期もあるし、薬学部なら公立の中期もある。奥萩大の結果を待ちながら、中期試験も受けにいった。
三月上旬、私が後期試験の対策に勤しんでいた頃。和枝から合格の報告が届いた。
「――いよっしゃあ!!」
部屋で歓声をあげて、そのまま涙が出てきた。彼にとって、報われないことも多い青春だったのだろうけれど、確かに一つ報われたんだ。
とはいえ、ストレートにお祝いのできる心境でもなかったので、労いと共に「私がハッキリしてからゆっくりお話しましょう」と返した。
奥萩大の合否発表の日も、家庭教師のみゆき先生と後期試験の対策をしていた。 発表時刻の十分前になって、勉強を切り上げる。
「どうしよ、私が受験してたときより緊張する」
「先生くらいは落ち着いててくださいよ!」
「ごめんごめん……けど、長かったね」
「三年かかりましたからね。今までの教師の中で一番長い仲ですよ、みゆき先生」
「私もそうだなあ……けど、本当に、あなたと出会えてよかったよ、私」
「それは嬉しいんですけど、なんか負けフラグっぽくて怖いです!」
「わーごめん、えっと、あと五分?」
時刻ジャストにアクセスしたが、すぐには表示されない。これも前年に経験している、アクセス集中でつながりにくいのだ。
「拍子抜けだねえ」
「現地に見に行ける距離だったら楽なんですけどねえ」
何度か更新ボタンを押し、ついに画面が切り替わる。
「――あっ」
「あった、」
「ですよね?」
受験票と画面を見比べること三度、確かに私の受験番号は合格者の中にあった。
まだ実感が追いつかず、私はしばらく画面を見つめていた。
「おめでとう、本当によく頑張りました」
「……頑張りましたよね、私」
「うん、すっごく頑張った」
答えようとした喉が、涙で詰まる。
泣き出す私の背を、みゆき先生がさすってくれる。その温度がもっと欲しくて、先生に抱きついて泣きじゃくる。
もう慣れたけど、寂しかった。もう忘れかけていたけど、悲しかった。
確かにあの頃、私は人生を呪っていた。続きなんて要らなかった。
それでも。また歩きだした、続けてきた。
もう弱い自分じゃないって、まだ人生は何も終わっていないって信じるために始めた旅は、ちゃんと春に続いていた。
何もかもが敵になったと思っていたけど、味方になってくれる人は大勢いた。
努力に意味なんかないと思いかけたけど、ちゃんと実った。
大丈夫。私はこれからも、この人生を生きていける。
〉和枝くん
第一志望、受かっていました。
晴れて春からは大学生です。
多くの人に支えてもらいながら、私が私を信じ直して、歩いてきた三年間でした。
前よりずっと、私は私を、私の人生を信じられています。
けど、他の何より、誰よりも。
和くんに出会えたから、また歩き出せました、ここまで来られました。
君は確かに、一人の女の人生を救ったんだよ。
そんな君と、私のこれからは。きっと、とても楽しい日々になるよ。
本当にありがとう。
紡
*
〉紡さん
合格おめでとうございます、本当にお疲れ様でした!!
僕もめちゃくちゃ嬉しいですし、心から安心しています。
僕も紡さんに救われてきました。
自分の心は、創作は、支えになれるんだ。それがずっと僕自身の支えになった三年間でした。僕が僕を信じられる源が、紡さんでした。
そうですよね、きっとこの先は楽しい日々です。
胸を張って、春に歩いていきましょう。
和枝
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