#42 途絶えた物語は、きっといつか

 八月に入り、和枝かずえの小説の投稿ペースはグッと落ちた。私との連絡の文面も短くなっていった。

 勉強に集中したい……というより、甘えたくないと思っているのだろう。部の仲間や「彼女」にもう甘えていられない、その対象に私まで巻き込まれている気がした。


 彼に頼りきりになるのはよくないと、私だって考えていたのだ。私の中の彼を薄める――離れても大丈夫な存在にするには良い機会と思いつつ、バイトと勉強を繰り返す日々を送っていた。


 そして九月に入った頃、和枝から連絡が来た。

「楽しみだと応援してもらっていたのに申し訳ないのですが、受験が終わるまで小説は書かないことにしました」

 君の学業が優先だ、落ち着いたときに再開してくれればいい、そう励ます文面を返したけれど。


 長編『影刃かげば戦記せんき』は、盛り上がりを迎えつつあるパートで止まっている。

 主人公・椹火さわらびとヒロイン・侑桐ゆうぎりの関係がギクシャクしている間に、里に外敵が来襲。戦いの中、椹火が侑桐を愛するがゆえの苦悩が切々と綴られる――そこで止まりだ。


 和枝はもう、叶わない恋の痛みに向き合うこと自体、疲れてしまったのかもしれない。

 小説にして表現することも苦しくて、過去を切り離そうとしているのかもしれない。


 ――本当にそれだけ?

 自分のどんな感情だって、小説に込めることが和枝の生き方だったはずだ。

 受験に集中しなきゃいけないから書きたいけど書かない、それが彼らしい思考のはずなのに、書くこと自体を忌避しているようだった。「また書くので待っていてください」とすら、彼は言わなかった。


 彼に何かあった――誰かに、何か言われただろうか。

 しかし投稿サイトやSNSを回ってみても、彼の作品への否定的な言及は見当たらなかった。肯定的な言及だって減っていたが、更新が止まっている以上は仕方ない。


 なら、それ以上は私には立ち入れない。

 小説から汲み取って理解した気になっていたけれど、彼の本当の気持ちを私が理解しきれてているわけじゃないのだ。


「大丈夫ですよ、集中したい気持ちは私にも分かります。また読めるのを楽しみに、私も勉強しますね」

 また読みたい、それだけは伝えたかった。もし、私の知らないところで彼の誇りが折られていたとしても、私だけはずっと、彼の誇りの理由でいたかった。



 暑さが涼しさに移ろう中。

 孤独に、静かに、私の戦いは続く。


 この寂しさを、誰かに愛されて励まされたいという渇望を、きっと和枝も抱いている。抱いたまま、叶わないまま戦っている。なら私だって、叶わなくても戦える。

 思い返せば。彼と私はずっと、孤独でつながっていた。叶わない苦しさで響き合って、一緒に創作に向き合ってきた。それはきっと、今も変わらない。


 受験が終わって居場所が見つかれば、会いにいける私になる――それだけを希望に。


 クリスマスだけは思いっきり遊ぶことにした。咲貴さきと一緒に、元バイト先だった香子こうこさんのお店でディナーを楽しみ、家にも泊めてもらったのだ。


 寝るのも勿体なくて、並べた布団にゴロゴロしながらダラダラ喋る。人と触れ合うことが少ない一年だったせいか、意味もなく咲貴にじゃれつく私だったし、咲貴も応えてくれた。昔はそんなにベタベタしない仲だったのだが。


「それで、つむの成績はどんな感じなの?」

「今年はかなり有望よ、A判も何回か出てるし」

「その割には浮かない顔だぞ?」

 むにっと頬をつままれる。


「バレたか……あの彼のこと」

「文通してる小説家の」

「そう。まだ好きなんかいって思った?」

「ううん。なんだろ、振られない恋って終わるの難しいじゃん」

「ね。付き合いたいし好きになってほしいけど、振られるくらいなら秘密の片想いの方がいいのよ」

「そう思ってた……はずなのに?」

「咲貴は勘いいなあ」


 人に話したいのに、声にしようとすると胸が締まる。喉元に張りかけた氷が、咲貴とつないだ手の温度に溶けていく。

「彼、一つ年下らしいんだけどね。一人の女子に中学から長いこと片想いして、相手が別の人と付き合ってるのを承知で告白して、振られて。けど、まだ好きなんだよ。叶わなくていい、気持ちを変えようなんて微塵も思わない、それでも好きなんだって分かるんだよ私には。

 そんなに深い愛情が、私に向いてくれたらって……私なら応えられるのに、それ以上を返せるのにって。執着がずっと止まらないんだよ」


「今のつむは。その彼に振られる自分のこと、許せなくなりそう?」

「うん。多分、彼のことも許せない。私はこんなに好きなのにどうしてって……好きだったぶんだけ、憎みそうなんだよ。私が彼を好きな理由を、まるごと私が裏切るってことだもん」


「難儀だねえ」

 咲貴とつないだ手が、彼女の胸元に引き寄せられる。

「私に言えるのは。きっとその彼はつむを好きになってくれるよってこと……後は、もしダメでも私は絶対につむの味方だってこと」

「ありがと咲貴、頼りにしてるからね。

 奥大に受かって、また青春できる場所を見つけて……彼以外にも、私を誇れる理由をたくさん作って。それでやっと、覚悟ができるかな」

「うん、頑張れつむ――つむに掛けていいのか迷ったけど、これが本音だよ。頑張れ」



 そして、年が明ける。

 二度目の受験が、和枝と一緒に戦う受験が始まる。


 センター試験の二日前、彼にメッセージを送る。


「私は君を信じています。だから君も、私を信じてくれたら嬉しいです。

 私たちが一番似合う未来への切符、掴みとりにいきましょう!」


 試験前日、和枝から返信。

「信じていますよ、きっと紡さんが思うよりも強く。

 僕らの青春を、ハッピーエンドに書き換えにいきましょう。大丈夫、僕とあなただから絶対に負けません」

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