#33 昨日を踏んで、明日に踏み出せ
十一月。
「それじゃあ
「私こそ、本当にありがとうございました。また社会に出られそうって思えたの、
春から勤めていた喫茶店でのアルバイト、今日は受験前の最終日だった。センター試験まで二ヶ月、そろそろ引き際だろうと相談して決めたのだ。
「ささやかだけど、卒業祝いに特製ケーキよ」
「うわ、かっわいい~! やっぱり香子さん大好きです!」
私の好物をふんだんに取り入れたケーキをいただきながら、これまでの思い出話が弾んでいく。関わるのは大人ばかりだったとはいえ、青春らしい居心地がここにはあったのだ。
「そういえば、ミライステップの体験会はどうたったの? 先週だったよね」
「ええ、貴重な経験できました。
外面がよくても、中身が合わなさそうだったらダメだ……と心配していたが杞憂だった。むしろ、馴染みすぎて驚くくらいだった。
「じゃあ、奥大が第一志望になりそう?」
「ですね、大学まわりも良さそうでしたし、モチベはかなり上がりました。けど、」
言いかけて、少し迷う。部外者が気軽にしていい話、だろうか。
「言いにくいこと?」
「……香子さんになら良いか。
一番驚いたの、生徒の子たちの元気さだったんですよ」
ミライステップの活動は、主に二種類。
まずは、宮城県の中心地にある拠点に生徒を招くタイプ。近辺の経済的に困窮している家庭の児童が主な対象だ。
もう一つは、遠方まで講師が出かけていくタイプだ。そしてこちらの場合、対象はいわゆる「被災地」の児童だ。今回の体験会でも、津波の被害にあった地域の中学校を訪れていた。
震災からおよそ三年。三年経ってもボランティアが必要になるくらいだし、悲痛なムードなのではと想像していた。実際に、「普通の街並み」には遠い景色でもあった。
しかし、彼らは元気だった――内心は分からないが、私には元気そうに見えた。
ミライステップが来れば賑やかに出迎え、顔なじみのメンバーとは気の置けない会話を交わす。勉強に詰まって悩むのも、勉強そっちのけで雑談が盛り上がってしまうのも、実に中学生らしい姿だった。
「部外者が軽々しく言っていいか分からないんですけど。この子たち、すごく強いなって……私が見習いたい強さだなって、思ったんですよね」
「外から美談にしちゃダメってのは確かだけど、私もそういう気持ちは分かるよ……というか、みんなそういう欲はあると思うの。逆境で頑張ってる人から勇気をもらいたい、みたいな」
「ですよね……これからボランティアするとき、どうやって気をつければいいんですかね。ちゃんと、助けたい人の助けになるために」
「例えばさ。私は、紬実ちゃんのこと助けられたかな?」
「助けてもらいましたよ、たくさん。言ったじゃないですか」
「じゃあ、私なりの正解も言えるかな……結果が出ることと、真心が伝わること、それだけ守れればいいんじゃないかな。
だって私も、自分のためにあなたに来てもらったからさ。若い労働力が欲しい、娘はいないから女の子がいい、寂しい思いしてる子の力になりたい……要は、頼られたり慕われたりする大人になりたい。そういうエゴも確かにあったよ」
だとしても。私はここで救われたし、香子さんから身勝手な要求をされた覚えもない。ならこれでお互いに結果オーライだ……ということだろうか。
和枝の真心なら伝わってくる、私にも「彼女」に対しても。
私は、真心を返せているだろうか。
「なんか分かった気がします。迷ったら香子さんのこと思いだしますね」
「嬉しいけど、私だけだと不安だよ。頼れる大人を……大人だけじゃないか。心が頼れる人とたくさん出会ってね、それが人生だから」
*
香子さんには言えていないが、ミライステップの体験会では強く記憶に刻まれた出会いがあった。
津波の被害が甚大だった沿岸部の中学校。そこで私が指導を担当した、
「日本語を読むのは好きなんですけど、英語ができなくて」と相談されたので、一緒にテストの直しに取り組むことにした。私は元々、あまり苦労せずに英語ができるタイプだった。完全に理解していなくても、フィーリングでなんとかなることが多かったのだ。
しかし高校に入って文法が複雑になってくると、おろそかにしていた箇所が失点に響いてくる。その頃から改めて、ちゃんと理解して理屈で解くスタイルを身につけてきたのだ。
……という経験があるので、疑問の乗り越え方には覚えがあった。生徒の目線に立って、焦らず地道に、こまめに労いながら課題を解いていく。
「紬実さん、教えるの上手いですね……学校でも友達に教えるタイプですか?」
「風香ちゃんの成果だよ……昔はそうだったかな。今はずっと独りだけど」
「浪人ってやつですか」
「そう。年齢でいえば高三なんだけど、もう高校やめちゃってるんだよね」
ミライステップでは、満足に登校できない児童への支援も行っている。私が不登校から中退を選んだことも、「逃げていいと、やり直せるという提示になる」から児童に伝えていいと言われていた。
「へえ……意外です。紬実さん、皆勤賞で学級委員長とか、そういう人だと思ってました」
「当たり、昔はね。けど途中で我慢できなくなっちゃったんだよね……周りが間違っているのに、正しい自分でいようって頑張るのが」
「う~ん……周りが間違ってたら、自分も間違ってていいの?」
風香ちゃんの顔色が変わる。何か抱えているらしい、もう少し話を聞いてみよう。
「人を傷つけるのは良くないよ。周りの人だけじゃなく、自分を傷つけるのもダメ。
けど、距離を取ったり、逃げたりするのは良いはずだよ……いくら大事だと思ったものでも、苦しいときは苦しいから」
風香ちゃんはしばらく俯いてから、私に訊ねた。
「あの。人がいないとこ、いっていいですか?」
ミライステップの職員に了解を取り、学校の外へ。海風に吹かれながら、石段に座って風香ちゃんの話を聞いた。
震災前。風香ちゃんは、幼馴染の男子と付き合っていた。当時はまだ小学生だったこともあり、交際といっても子供らしいものだったが、彼女にとっては大事なつながりだったという。
「昔から一緒で、ずっと助けてもらってたんです。私、ひとりで踏み出すのが苦手だったので、何やるにも彼についててもらってました」
しかし、彼らが小学校を卒業する頃、震災が起こった。
「お互い、命だけは助かりましたけど。家は流されるし、原発も事故ったとかで……」
怖かった、辛かった、苦しかった――続くはずの言葉は、語られなかった。今の彼女にとっては、どんな言葉でも足りないのだろう。
「親も避難の対応で駆け回っていたので、ずっと彼のそばにいました。ほんとに心強かったんです。
けど、しばらくしてから。彼の両親が、ここを出ていくって決めたんです。親戚を頼って東京に避難するって……あいつは、私の前では反対してましたけど、結局行っちゃいました」
「それは、」
寂しかったね、と答えようとして。彼女の横顔に戸惑い、語尾を変える。
「寂しかった、のかな?」
「……勿論、寂しかったです。離れてほしくなかったです。
けど、それ以上に。嫌いになっちゃったんです……たぶん、憎い、って世間で言われるくらい、嫌いでした」
にくい。きっと、その言葉が似合う感情なんて知らなかったのだろう。あの季節までは、人を愛して、故郷を愛して生きてきたのだろう。
「あいつは悪くないんですよ。彼氏とか言ったってただの子供です、大人には逆らえないし大人の代わりもできない子供です。あいつを責めたって意味ないです。
それでも、やっぱりムカついて……私たちがここで踏ん張って、少しずつ立ち直っていく間、あいつは東京で恵まれた暮らししてるんだ、あっちで知らない女子と過ごしてるんだって思うと許せなくなって。メールでくる優しそうな言葉も信じられなくなって。
気づいたら、どうしようもなく嫌いになってました。
それで、あいつのこと嫌いになった自分のことも、大嫌いです。だって、小さいころからずっと、ずっと私のこと助けてくれた奴なんです。迷惑かけてばかりだったんです、せめて好きって気持ちで返したいんです……なのに、もう嫌いにしかなれない」
いま向き合うべきはこの子の苦悩だ、それは分かっていたが。
私が和枝に告白した先、結ばれなかった場合の自分を見ているようだった。
それ以前に、私がかつての「彼氏」に、一条に抱いている憎しみにも通じていた。
「あのね、風香ちゃん。
好きだったものを嫌いになるのは、大好きだったぶんだけ大嫌いになってしまうのは、仕方ないことだよ。そういう嫌い方、私にも経験はあるから」
「……紬実さんのも、オトコのせいですか?」
「それもある、かな。
けどね、その所為で自分まで嫌いになっちゃうの、それは悲しすぎるよ。自分の気持ちは、自分で認めてあげてほしいよ」
波の音が聞こえる。寄せて、返して、単調なリズムを刻んでいく。海水の滴も砂の粒も、そのたびに入れ替わっていく。
「誰かにもらった優しさとか温もりに、そのぶん愛情を返そうとするのは綺麗な生き方だと思うよ。けど、返そうとして苦しくなるくらいなら、背を向けるのは間違ってないはずだよ。結局、自分を生きていくのは自分だから……自分が生きていくために、人を思い出にしまっていくのは、間違ってないよ」
「……彼のこと、忘れちゃっていいですか」
「忘れるのって大変だと思うけど、ね」
風香ちゃんと話しながら。いつか、和枝と結ばれない未来がきたら、今日のことを思い出そうと決めていた。ちゃんと忘れられるように、胸にしまいこんだ。
「紬実さん、大学はどこにいくかって決めてますか」
「奥大は目指してるよ、あんまり自信ないけど。今回の体験会も、奥大に受かったらここに入ろうって思ってたからだったし」
「ミラステ、紬実さんには入ってほしいです。
紬実さん、人の悩みに向き合うのも、勉強教えるのも、得意だから……この辺の子供に必要な先輩だから」
「……ありがとう、受験頑張るね」
教室に戻る前、風香ちゃんは海へと振り返って。
バイバイ、と叫ぶ彼女の声が、寒そうな波間へと消えていった。
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