#32 焦がれる優しさに追いつけない
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今日は一つ、お知らせ……というよりもお詫びがありまして。
しばらく、具体的には二か月ほど、小説を休もうと思います。
勿論、辞める訳ではなくて、あくまで一時休止です。
というのも。合唱部で十二月に大きめの演奏会があって。それまで、いくらか見切りをつけかけていた自分の歌に、ちゃんと向き合い直そうと思ったんです。
前も話しましたが、僕にとって向いていると思えるのも、求められているって思えるのも、部活よりは小説なんです。気に入ってくれた皆さんに、何よりあなたに、感謝してもしきれないです。
ただ、やはり、自分の至らなさから逃げるように小説を書いているという感情は確かです。どこにいても、物語が頭の中にあること……何かの妨げになっていることも確かです。
それは僕にとっては、必要なことで。多分、小説に手を出していなかったらこれほど落ち着いて生活できていなかったとも思うのですが。
それでも。このまま、歌にも小説にも中途半端なままでいるのは嫌だと、ここに来てようやく気付きました。
僕の大好きな人たちと一緒に創ろうとしている、今しかできない音楽だから。
僕がなれる、一番に格好いい僕で、そこに居たいんです。
もう一つ、大きな理由があって。
僕がこの部に関わるきっかけでもあった、彼女のことです。
別の女の子と……彼女を救えるような、強く美しい素敵な女の子と結ばれたと、報告がありました。
それでも。やはり僕は、自分の気持ちを、彼女に彩られた自分の世界のことを、伝えたいと思うのです。
あなたが言ってくれたように。彼女のために、僕にしかできないことがあると。僕にしか照らせない彼女の一面があると、信じたいのです。
だから、その前に。伝えるのに恥ずかしくない自分で、君のおかげで変われたんだと胸を張れるような自分になりたい。
頑張れば上手くなれるって信じられるのも。僕の想いは伝える価値があるって信じられるのも。僕の小説を気に入ってくれた、紡さんのおかげで。
そんなあなたを、こういう形で待たせてしまうことは申し訳ないのですし。 そもそも、ここまで詳らかに理由を話すこともないのかもしれませんが。
紡さんには、全て分かった上で待っていてほしいので。誰にも言ったことのない内側まで、伝えさせてください。
……ということで。
お詫びというよりは、決意表明のような文になりましたが。
受け止めてくださると、嬉しいです。
和枝
*
一度読み終えて、立ち上がる。
キッチンでミルクを温め、部屋に戻ってゆっくりと飲みながら、情報と感情を整理する。
来たる大事な舞台のために、小説を休む――それはいい、寂しいけど仕方ない。どっちも中途半端のままで終わるのは、私も辛い。
そして、想いを寄せていた「彼女」は別の女性と結ばれた――春から語られていた優秀な後輩、「マグペジオ」のソルーナのモデルになった人のことだろう。
再び。間接的に、彼の恋は破れてしまった。
辛くないはずはない、嫉妬がないはずはない、けれどもそれらは読み取れない。
記されているのは前向きな決意だ。結ばれないとしても伝えたい、そのために自分を変えたい、だから上手くなりたい。
今の彼にこのうえなく相応しい再生の道だ。私が彼に押しつけたエールへの回答として、実に美しい昇華の在り方だ。その決意の支えとして私を挙げてくれたのも、誇らしいはずなんだ。
それなのに。
どうしても、素直に喜べない。
どうしようもなく、胸の棘が消えてくれない。
しばらく読みかえして、ようやくその正体に思い至る。
私があんなに、彼と一緒に創ってきたこと、心を通わせてきたこと。
そこで育まれた彼の感情が、私が望むものには向かないんだ。
自分でも変われる。自分だからこそできる。
私と一緒に積み上げてきた自信は、私への恋につながりはしない。それらが導くのは、「彼女」との絆の結び直しだ。
それでいいのに、それを望んでいたはずなのに。
やっぱり、悔しい。妬ましい。私が何より欲しいものが、要らないのに手に入ってしまう「彼女」のことが、憎い。
それに劣らず、否、それ以上に。
和枝みたいに、成否を問わず人のそのままを受け容れられる彼みたいに、優しくなれない私が憎い。肥りすぎたエゴが、彼の真心の前では、あまりにも醜い。
「……書かなきゃ」
せめて君の前では、君を純粋に応援する私でいるんだ。
顔や声はごまかせないけど、文章でなら取り繕える。まだ、取り繕えている。
〉和枝くん
君が気を悪くすることなんて、微塵もないですよ。
私が続きをすごく楽しみにしているのは確かだけど、楽しみにしているのは私の勝手だし、何より大事なのは君が楽しんで書いてくれることです。だから、君が他に優先しなきゃいけないことがあるなら、喜んで待ちます。
それに、そうやって和枝くんが変わろうとしてくれていることが、私にとってはとても勇気づけられることですし、私がきっかけとなれたことが誇らしいです。たとえ私には見えない一面であっても、君が新しい輝きを帯びることは嬉しいのです。
たとえ恋人として結ばれることは叶わなくても。その女の子も、君が好きでいてくれることを、君が変われたことを、他の何にも代えがたい絆として受け取ってくれると思います。君が選んだその子のことを、信じてあげてください。
他の人と、どんなに違う色であっても。
君は、君が考える以上に、強く美しい素敵な人です。
誰かの世界を、鮮やかに彩れる人です。私は知っています。
だから、自分にしかない色で、その子の世界を彩ってあげてください。
紡
*
「君は、君が考える以上に、強く美しい素敵な人です」――この言葉を、いつか、目の前で、この声で、伝えるんだ。
君が、自分を変えてから伝えると決めたのなら。私も、生まれ変わった私で伝えるんだ。
未来の私たちのために、ちゃんと今を積み重ねよう。
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