第9章 Respect

#31 約束バースデー

 〉つむぎさん


 お読みいただきありがとうございました。

 あれだけ彼らに寄り添ってくれた紡さんを裏切ってしまったかな、という懸念もあるのですが。受け止めてくださったようでほっとしています。


 お察しの通り、この展開には僕の内心が反映されています。ブレノンが一度退場することは決めていましたが、もう少し後の予定でした。それを描くなら今しかないという焦りに追われるのは、最近になってからです。


 お察しの通り、この後が本番のつもりです。風呂敷はちゃんと畳むつもりです。

 ただ、具体的な道筋はまだ固まっていないですし、十月の連休には部活の合宿も控えているので、しばらくはプロット期間になりそうです。、


 紡さんにとっては受験対策も忙しくなってくる頃でしょうか。

 学校に居場所がない中でひとり勉強に打ち込むのは、孤独な道かと思います。それに比べれば、僕の今の悩みは気楽すぎるようにも感じますが。今しかできない経験を、ちゃんと重ねていきますね。


 僕の小説が、少しでも気晴らしになってくれれば嬉しいです。


 和枝かずえ


 *


 和枝からの文面を読みつつ、眉が寄ってくる。

 どうも彼は、私に負い目を感じすぎている。確かに、マグペジオの展開には少なからず傷ついたが、彼が届けたいものなら納得しているのだ。

 それに、元不登校で現浪人である私に対して、彼が学校生活の最中であることだって、彼が気にする必要はないのだ。周りからは充実してみえても本人には過酷、その例は私がよく知っている……彼の悩みが軽いだなんて、誰にも言わせるものか。


 とはいえ。私が歩むのは孤独な道、という推量は外れてはいない。

 彼の小説は気晴らしどころか生き甲斐なのだが、執筆の裏側にまで関わる日々が続いていたぶん、読者としてのみ過ごす最近は物足りなくなってしまっていた。そのくせ、彼への感情移入は増すばかりでしょうがない。

 ただでさえ、受験本番が近づいて心が荒んでいるのだ。ここから彼の更新が減っていくと、渇望はさらに加速してしまいそうだった。


 一回、どこかで気持ちを切り替えよう。こういうときに頼れるのは咲貴さきしかいない、十月は彼女の誕生月だったしちょうどいい。


「咲貴の誕生日会をやりたい」と連絡すると、「じゃあつむの家に遊びいかせて」と二つ返事で開催が決まった。私が友達と会っていないのを気にしていたのか、親からも特に文句は言われなかった。


 当日。家を訪れた咲貴は、私を見てやや驚いた顔をする。

「つむ……なんかこう、顔つきが変わったね」

 部屋に上がってから、咲貴の手に頬を挟まれる。

「顔つきって、別れて三日すれば刮目せよみたいな話?」

「三日どころか三か月は会ってないような……喜んだり悲しんだり、色んな感情を経てきたなって気がする顔だよ」


 私の頬を挟んだ手をすりすりとさせる咲貴。昔の彼女は、こういうベタベタしたスキンシップは好まなかったと思うのだが。

「咲貴さん、甘えん坊になりましたね?」

「誰かさんが学校にいませんでしたからね……それで、つむがそんな顔してるのは、例のネット小説の彼のせい?」


 表情に出るくらいの悩みなんて、和枝のことしかない。咲貴の指摘する通りなのだろう、表情に出しているつもりはなかったが。


「そうなんだけど、勝手に拗らせているのは私の方だよ。和枝くん――その彼のせいじゃない」

 口に出して、遅れて気づく。彼の名前を声にしたのは初めてだった。


「前につむが話したときは、恋には行きそうにないって話だったけど」

「もう手遅れ、恋としか言いようがない……前に話したときも、自覚はあったんだよ。それでも、実りようがないから抑えなきゃって思ってた」


 私が開封したポテトチップスの袋に、「やるじゃん」と咲貴が手を伸ばす。健康に悪そうであまり口にしないが、こういうときはジャンクさも込みで美味しい。


「実りようがないってつむは言ってるけどさ。ネット発のカップルとか、最近は割とよく聞くよ? 女同士だけど、BLのオフ会がどうこうって言ってる人もクラスにいたし」

「うん、頑張れば付き合うのも無理じゃないよ。今は素性もはっきり分からないけど、誰かについてきてもらえば、会って確かめることもできるし。そもそも九分九厘、私に嫌なことしようみたいな人じゃないはず」

「一厘のリスクがどうしても怖い?」


「それもあるけど、大事なのはそこじゃなくてね。

 嫌い合うのが、すごく怖い」


 文面を通して浮かんできた和枝の姿を、彼がいま直面する恋の悩みを、咲貴にも説明する。


「積もった自分の望みより、大切な人の気持ちを優先できる人なんだよ。それに、男としての自信みたいなものが全然ない人なんだよ。

 だから、自分が結ばれないことをちゃんと受け入れられる人で。

 だから、感性とか趣味が合う女の好意なら、見かけとか身分とか気にしないで受け容れてくれる人なんだよ。少なからず、勝算は私にあるんだよ。


 そこまで分かっちゃうからさ。

 もし私が振られたら、私はきっと受け容れられない。私には君しかいないんだって孤独をぶつけて、君にも私しかいないんだって無礼な論法まで持ち出して、あんなに分かり合えたのにどうしてって泣いて、彼の気を引くんだと思う。


 そのときには、もうお互いに積み重ねてきた友情とか尊敬とか、消えちゃうんだよ。嫌悪に変わって、きっと取り戻せないんだよ」


 咲貴は何も言わず、黙って私の声に耳を傾けている。


「自分の綺麗な一面ばっかり見せようとは思ってないよ、相手には不都合な本心をぶつけるのも大切だよ。けどさ、私のそんな醜い感情を返すのは絶対に違うんだよ。

 好きな人の選択を、自分にとって不都合だとしても受け容れられる、彼のそういうところが好きだからさ。私がそれを裏切るのは絶対に違うんだよ」


「じゃあ、つむは」

 咲貴が口を開く。

「振られても大丈夫な……振られても彼を尊重できて、つむ自身のことも守れる、それくらい余裕ができてから告白したいってこと?」

「そう。大学も合格して、新しく友達もできて、勉強以外にも打ち込めることを見つけて、それくらいかな」


 半年、あるいは一年半は後の話だ。それまでに和枝が別の誰かと結ばれたなら、それはそれでいい。私もすっぱり諦められる。

 けど、そのときも和枝が独りだったら、そのときは私も覚悟を決める。未来の幸せのために、今の幸せを犠牲にする覚悟を決められる。


「きっと、つむは大丈夫になるよ。

 だって私だって、つむがいなくても大丈夫になったもん」


 咲貴は寂しそうに、それでも強かそうに、笑みを浮かべた。


「正しくて格好よくて頑張り屋の織崎おりさき紬実つむみでいてほしい、そんな人のそばでなら私も頑張れる……そうやって君に甘えてきたけどさ。

 今はもう、そばにいなくても大体は平気になった。どこかで元気にいるなら、私も頑張ろうって思える。


 だからさ。つむはつむなりの方法で、幸せになってよ」


 それから。

 お互いの進路の話をして。

 前は聞く気になれなかった、高校生活の話をした。


 帰り際。

「じゃあ、つむは遠くに行くんだね」

 私が話した志望大学の話を振り返って、咲貴は寂しげだった。

「うん。多分、就職も地元じゃないと思う……ここはちょっと、離れたい理由が増えすぎたかな」

「私も残るとは決めてないし、高校の友達なんてそんなに長続きするものでもないだろうけどさ」


 手が握られて、すぐに離れる。


「せめて一年に二回、お互いの誕生日だけはさ。元気な声、絶対に聞かせてね」

「勿論。元気でいるし、咲貴にも伝えるよ。幸せな出会いがあったよって、そうじゃなくても独りで幸せだよって」


 いつか。この大切な友達に、和枝を紹介したい――願いを心の隅に押しやって、私は手を振った。


 *


 〉和枝くん

 

 こんにちは、今日はちょっとした私の近況報告から。

 この前、高校の友達が家に来ました。中学から一緒で、私が中退することに、一番ショックを受けてくれた……と思われる、そんな子です。昔は、私をよく頼りにしていた子で、そういう「期待」「信頼」の積み重ねが私を追い詰めてきたことに、ひどく罪悪感を抱いているような。不器用で頼りないけど、優しい子です。


 私がいなくなった学校の話を、一生に一度の高三の夏を過ごしていた人たちの話を、聞かせてもらいました。彼女は躊躇っていたんですけど、私がせがんで。

 内心までは分かりませんが、みんなちゃんと青春していたんだな~と、ほっとしました。

 

「私が頑張らなきゃ、みんなが楽しめない」

 昔の私を動かしていた感覚が、やっと解れていくような。

 あそこでやらなきゃいけないことが、まだあったんじゃないかと、そんな思いが私の中にまだあったのかもしれません。私がいなくてもクラスは回ったんだと知って、解放されたような気持ちでした。

 

 その友達も、受験勉強に励んで成績をめきめき上げているようで。

「寂しいけど、君がいなくても何とかなってるよ。やりたいことに向けて頑張れてるよ。だから君も、やらなきゃいけなかったことは考えないで、歩きたい道を探してみて」

 そう言ってくれました。大学を目指すことは決めていたんですが、色々と吹っ切れた気持ちです。


 新しい私を見つけるために、愛せる場所を見つけるために、しっかり歩いていけそうです。

 

 なんでこんな話をしたのかというと。君はやっぱり、学校という場所で楽しい経験をしていることに、私に対して負い目を感じているんじゃないかと思ったからです。

 前も言いましたが。君が学校で培っている経験がなかったら、私の希望になった物語なんてなかった訳で。

 何よりも。君が今を楽しんでいる――苦悩も痛みも抱えながらも、大好きな人たちとかけがえのない充足を得ていることは。つまりは、この世界を尊く思っているということで。

 それは私にとって、このうえない希望です。

 この世界は、歩いていくに値する彩りがあるんだという道しるべです。

 

 だから安心して、今しかない君の青春を謳ってください。

 その輝きは、いずれ私も掴みます。


 差し当たって、週末は合宿とのことで。

 慣れない所なので身体には気を付けて。


 いいことたくさん、ありますように。

 いってらっしゃい!


 紡

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