#29 私と誰かの未来

 伯母の紹介で春から始めた、喫茶店でのアルバイト。そこの店主の中川なかがわ香子こうこさんが、珍しく進路のことを聞いてきた。


紬実つむみちゃん、志望校ってもう決めてたんだっけ?」

「いや、まだ具体的には……国公立で薬学とだけ決めて、後は絞りきれてないです。成績から目星つけている所はありますけど」

「じゃあ、入れればどこでも良いって感じ?」

「できればレベル高くしたいってのはありますけどね……後、通ってた高校の人間とは離れたいので、遠い方が良いです。西海さいかい大だけは嫌ですね」

 実家から通える大学に行きたくない、という贅沢すぎる悩みだが。今でも、街で元クラスメイトを見かけると逃げ出すくらいなのだ、また学友になるのはまっぴらだ。


「じゃあさ、奥萩おうしゅう大とかどう?」

 宮城の奥萩大。東北を代表する大学で、レベルもかなり高い。科学研究はかなり盛んだったはずだ。

「奥萩……立派な大学だって勿論わかりますけど、どうしてです?」

 香子さんは、あまり勉強のことを聞いてくる人ではない。店で扱うコーヒーや料理の話だったり、好きな俳優の話だったり――学校や進路のことを意識して避けてくれている、のかもしれないが。


「うん、確かにあたしは受験のこと全然分からないんだけど……まず、奥大おくだいの工学部は旦那の母校なんだ、大変なりにすごく力つくっていう話で、まわりの街も住みやすいって言うし。

 それともう一つ、紬実ちゃんはこういうの興味あるかなと思って」


 香子さんが見せてくれたチラシは、「ミライステップ」というNPO団体のものだった。被災や貧困により勉強に支障が出ている児童への学習支援を行う、宮城が拠点の団体らしい。

「学習支援、ですか?」

「そうそう。要は無料の塾みたいなものかな。先生役はボランティアが主で、その中でも学生スタッフが多いの。似たような団体は他にもあるけど、ここの力の入り方は相当だ……ってのは、関係者の友達からの受け売りなんだけどさ」


 どんな場所からでも、未来へ自由に踏み出せるために――チラシにはそう書かれている。


「……確かに、こういうの大事だって思いますけど。正直、やりたいってはっきり考えたことはなかったですよ?」

「それは、まだ高校生だったからじゃない。けど大学生になって、自分からあげられるものが増えたとき、紬実ちゃんはどんなお姉さんになりたいかなって……ああ、いらっしゃいませ!」


 香子さんの話の途中で来客があり、仕事に戻る。調理のうち重要な過程は香子さんが担当し、私は細かい雑用や給仕を任されている。元々は香子さんが一人で担当していたのだが、「アラフォーで体力なくなってきた頃にお客さんも増えちゃったから」バイトを募ったのだという。

 やや高めの価格帯もあって、訪れるのは大人が多い。常連さんと香子さんの話に混ぜてもらううちに、少しずつ人との関わり方に自信がついていった。


 別に、人と関わるのまで嫌いになった訳じゃない。

 それでも。どうしても、あの学校には戻れない。


 仕事が終わり閉店後、まかないのトーストとコーヒーをいただきながら、さっきの話の続きになる。


「香子さん、さっき教えてくれた……」

「ミライステップ?」

「それです。自分なりに考えてみたんですけど、」


 香子さんは作業を終えたのか、私の向かいに腰を下ろす。


「私、高校にいけなくなってからずっと、自分のことを損した側だと、恵まれない側とばかり思ってたんですよ」

「……追い込まれたちゃったのは紬実ちゃんでしょ?」


「ええ。勿論、あの頃に私に関わってた人たちのことは許せてないですし、損だったのは確かだと思ってます。

 けど、その先で。家庭教師とか塾とか、学校以外に勉強できる場所を用意してくれる環境もあったんですよ。大学だって、多少の縛りはあっても、お金の心配しないで好きな分野目指せているんですよ。香子さんみたいに味方してくれる人とも会えたんですよ。

 そういう所で、私は恵まれていたんですよ。与えられている側なんですよ………それがない同年代の子は、多分たくさんいます。私が想像できないくらい、たくさんいます。だったら、その子たちの手伝いをしたいです。私ができることなら」


 言い終えた私へ、香子さんは柔らかく笑って。

「ねえ、ぎゅってしていい?」

「ぎゅう……良いですけど、そんな話の流れでした?」

「いいからいいから、はい」


 エプロン越しの温もりと、厨房から連れてこられた芳しい匂いと共に、香子さんは語る。


「あたしね、子供の頃は割と貧乏でさ。勉強は得意だったけど高校までしかいけなかったの。大学行く金は兄貴に取られちゃったし、塾も行けなかったから受験どこじゃなくて」

 言われて気づく。家の経済力で学業が制限される人がいるのは勿論知っていた、けど目の前の人がそうだと私は思えていた?


「高校の先生がすごく頑張ってくれたから、いい会社にも入れたし。そこで優秀な旦那にも見つけてもらえたし……まあ、嫌な所もある夫だけどね。

 お金の心配しないで子育てできたし、今は夢だった自分の店も開けてる。それは幸せだし、旦那にはすごく感謝してる。

 けどね、たまに思い出すんだ。子供の頃は悔しかったなって。お金の悩みがなければ、もっと格好いい大人になれたかなって」


 きっと、それだけじゃないはずだ。自分が兄だったら、あるいは一人っ子だったなら――それを口に出さないのが、今ある誰かのことを否定しないのが、香子なりの矜持なのだろう。


「紬実ちゃん、奪われたこともいっぱいあるけれど、恵まれた所もあるんだって。あたしから伝えようと思ってたけど、あなたは自分で言葉にしてくれた。あなたがそんな子で嬉しいよ、あたしは」


「ありがとうございます……けど私、香子さんの事情とか想像もしないで自分のこと話してましたから。あんまり胸張れないです」

「だったら、これから人に分けてあげればいいじゃない」

「……誰かの力になれますかね、私」

「それは分からないけどさ。力になりたいって手を差し伸べてくれるお姉さんがいたら、昔の私は嬉しかったよ。それにね」


 香子さんは私の背をポンと叩いてから、じっと目を見つめる。


「高校での話を聞いて思ったの、紬実ちゃんは一人で理想を追いかけても潰れちゃうタイプだって。だったら、一緒に追える人がそばにいたらいいじゃん」

「……個人プレイじゃなくてチーム戦、ですか?」

「そうそう」

「それ、ずっと知りたかった答えな気がします」

「お、乗り気だね? 良かった、良かった……そうそう、これ見て」


 香子さんが差し出してきたスマホには、ミライステップのイベントの情報が載っていた。十一月に、高校生以上であれば誰でも参加できる体験会を開くらしい。

「オープンキャンパスも言ってないでしょ? 奥萩大の下見も兼ねて、行ってみたら?」

「良さそうですね……遠いので親と要相談ですけど、私は行きたいです」


 帰り道。香子さんの話を振り返りながら、和枝のことを考えていた。

 前から続けているレビュー記事に、今回のNPO団体に。和枝が一緒じゃなくても、自分らしさを歩めそうな道が増えてきた。

 けれど。


「……一緒がいいな、やっぱり」


 和枝の小説に関わらない文章だって、彼には読んでほしい。共感しあってもいい、意見が分かれたって楽しい。

 和枝だって困ってる人の味方はしたいだろうし、勉強を教えるのも得意なはずだ。離れた場所で同じ理想を追えたら、どれだけ誇らしいだろう。


 そんな人とだから、恋人になりたい。

 そんな人であれば、恋人でなくとも素敵な関係だ。


 どっちも確かで、それでも心は前者に傾いていく。

 社会に向ける姿、創作を通した姿、人を特別に慕い求める姿。

 全部、全部、私と分け合ってほしかった。

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