第8章 Redeem

#28 「主人公」の行方


 和枝かずえから失恋の報告が届き、私が応援を押しつけ、月が替わり。

 真夏の暑さが盛りを迎えつつある八月。私は高認試験の本番を迎えていた。


 問題の難易度はそれほど心配してはいなかった。とはいえ、人の多い空間も、試験の「本番」も久しぶりである。パニックを起こさないか、という心配はあった。

 実際に、試験会場では少し緊張したものの。いざ試験が始まると、すぐに平常心を取り戻せた。恐らく合格しているだろうし、大学入試の予行としてもいい経験になった。


 そうして一つ懸案を越えた頃、また彼から連絡がきた。


 〉つむぎさん


 改めて、先日はお返事ありがとうございました。

 諦めを安易には認めさせてくれないこと。僕を信じてくれるぶん、甘やかしの一歩手前で留まってくれること。僕に必要だったのは、紡さんのそうした姿勢でした。温かくも厳しい、そんなあなたに打ち明けて良かったです。


 昨日、これからの合唱部の活動内容を話し合うために、地元の大学の方と会ってきました。まだ検討段階ですが、実現すればとても面白いことになりそうです。そのぶんハードルは上がるので、覚悟や自戒も必要そうではありますが。


 そこでお世話になったのは、昨年まで部にいた方です。リーダーとしても歌い手としても女性としても、努力を欠かさない強い人です。

 その先輩に個人的に相談させてもらいました。先日の失恋の話です。


「好きな人が自分と結ばれ得ないことが分かっていて、それでも好意を伝えることに、どんな意味があるのか」という僕の質問に。


「どんな結果であれ、誰かに愛されることは強さになる」という回答をもらいました。人には言いづらいであろう、彼氏さんとの間に抱える苦悩も、一緒に伝えてくれました。


 きっと、先輩なりの真剣な回答でした。無難に器用に答えることもできたはずなのに、自分の脆い一面を晒しまでして、全力で答えてくれました。おかげで少なからず、伝える勇気が芽生えました。


 紡さんが信じて、僕と彼女との可能性。恋の成否を越えた、まだ見ぬ絆の形。僕も信じてみようと思います。彼女にできることを探すべく、自分を見つめ直す日々がやってくるでしょう。


 とはいえ、時間のある夏休みであるのも確かなので。気持ちを整理する意味も込めて、マグペジオの執筆を進める予定です。

 紡さんはもう受験モードでしょうか? 時間に余裕があれば、またお付き合いいただけると心強いです。


 和枝


 *


 彼の宣言の通り、『マグペジオ』の新章は一気に加速した。

 学園を卒業し、対怪物ゴスモ戦闘の最前線に立つ遊撃騎士隊フレイズへと参加したブレノンとリリファ。部隊はただ戦うだけでなく、ゴスモが暴れ回る現象の解明を目指すようになっていた。

 ゴスモは生態系の中で生まれるのではなく、死者の怨念が生物と融合することで生まれる――という、戦いの背景に心理的な要素を絡めるアイデア。敵に人間が関わる葛藤に、謎解きの過程も含めて面白く伝わるよう、情報の置き方には議論を重ねた。


 早く物語を進めたいという焦燥が、和枝から垣間見えることが増えてきた。届けたいシーンがあるからだろうか、成し遂げたという自負を渇望しているからだろうか。

 物語の終わりを見届けたいのは私も同じだ。しかし、焦って完成度が落ちるのはあまりに勿体ない。和枝の心情を押しとどめるように、ときに厳しい返答を向けることもした。本当は甘やかしたかったけれど、それは作品のためにならないし、結局は和枝の財産にもならない。


 こんな指摘をしたら嫌がられるだろうかと、送信後に不安に襲われることもあった。しかし、議論を交わすたびに和枝の熱意が増しているのも確かだった。投稿サイトが更新されるたび、他の読者からの反応も賑やかになっていたし、私が代理で宣伝しているSNSにも反応が増えてきた。


 彼と私で、もっと面白い物語を創れる。お互いの自信が強固になっていくのとは対照的に。

 小説に、主人公ブレノンに投影される和枝の孤独は、より深くなっていた。


 リリファの相棒として存在感を増すのは、新たに登場したエースの少女ソルーナだ。学園で培ってきたリリファの特性は、ソルーナとの共闘によってさらに研鑽されていく。戦士としてでなくプライベートでも、リリファとソルーナの絆は特別になっていく。

 二人の間には、友情を越えた恋慕のニュアンスも濃くなっていた。和枝が百合的な関係性を好んでいるのは前から分かっていたが、最近は特にそれが顕著だった。


 一方のブレノンは、ゴスモ化現象の分析や研究に関わるようになった。彼は元から、戦闘能力よりも知識や思考力を評価されていたため、適材適所の展開だ。しかし、学園で共に歩んできたリリファとの距離は遠のくばかりである。ブレノンは意識して距離を置いていくし、リリファはあまり意識しなくなっていく。

 そして、ブレノンは自身を追い込むようになった。ソルーナと共に目覚ましい成果を挙げるリリファに触発されて。あるいは、リリファへの恋心に蓋をするため。


 作品は面白くなっている。

 リリファ視点で、目まぐるしい戦闘と甘い百合を。

 ブレノン視点で、世界の謎解きと屈折した心理を。

 どちらの描き方も、執筆開始時からすれば格段に充実している。


 けど、その根底にあるのは和枝の喪失だ。現実の想い人を巡る悲痛だ。

「彼女」の隣にはいられないと納得するために。「彼女」なしでも自分を高められると自身を鼓舞するために。自身を投影した主人公に、ヒロインとの離別を背負わせている。執筆の原動力としては、どうしようもなく悲しい感情だ。


 夏休みが終わる頃、和枝からのメッセージにはこう書かれていた。

「何度も相談に乗ってくださり、本当にありがとうございました。おかげで、自分でも驚くくらい良い流れができています」

「本作でのプロットの相談は、ここで一区切りとさせてください。ここから先の終盤戦は、紡さんにも純粋に読者として楽しんでほしいのです。僕なりの恩返しのつもりです」


 事前に共同作業を行う編集者役を降りて、最初から完成版に触れる読者でいてほしい――その気遣いは至極真っ当だ、彼が私を楽しませるためにそう提案しているのも理解できた。

 けど、私は裏の意図を想像してしまった。


 和枝がキャラクターに与える運命は、私がキャラクターに望む未来から外れていく。望まないシナリオを精査する、そんな辛い共作はさせたくない――あるいは、私に口を挟んでほしくない。

 今までだって、私はシナリオの大筋を変えさせようとはしてこなかった。構成を入れ替える、あるいは補足の描写を入れるよう提案したことはあったが、それも彼のアイデアが伝わりやすくするためだ。

 

 けど、執筆に関わる中で、私がキャラクターに抱く感情も膨れ上がっていく。キャラクターを待つ結末があまりに悲しいなら、もう素直には受け止められないかもしれない。考え直しませんか、この結末じゃなきゃダメなんですか――変更を願う言葉を、私は我慢できるだろうか。

 その葛藤に苦しむくらいなら、定まった物語を受け止めてほしい。和枝が貫きたい構想と私への配慮、その妥協点はこれしかない。


 そこまで考えて、自ずと展開も浮かんでくる。

 

 彼は、ブレノンを死なせるつもりだ。

 膨れていく自己否定を、叶いようもない恋の痛みを、自らを投影した主人公ごと葬るつもりだ。


 ――間違いであってくれ、どうか生き抜いてくれ。

 ヒロインへの望みが叶わなくても、他に大切な財産ができた、そんな主人公として生かしてくれ。


 和枝に伝えたい感情は止んでくれない、けれど。

 読者として言えるのは、これだけだ。


「分かりました、一旦は読者に戻らせてもらいます。

 君の物語のお手伝いをできたこと、このうえなく誇らしい財産でした。和枝くんさえ良ければ、また協力させてくださいね。

 この先、マグペジオの彼らがどんな運命を辿っても、私は最後まで見届けます、全力で応援を続けます。

 だから、君が届けたい物語を、ちゃんと信じて描き上げてください」


 送信し終えてから、書けなかった言葉をひとり吐き出す。


「気づいてよ。君は、ハッピーエンドが相応しい男の子だよ」

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