#27 優しすぎる絶望の、向こうへ
〉紡さん
先日、いい報告ができたばかりで申し訳ないのですが。
紡さんに伝えてもどうしようもないことで、それも申し訳ないのですが。
以前から僕が恋慕を寄せていた、同期の彼女のことです。
彼女は、自分が女性を愛する女性であると気づいたそうです。それは恐らく、女性しか愛せない女性だという意味でしょう。本人はまだそう表現していませんが、レズビアンという括りになるのだと思います。
とあるきっかけで自覚して、最初に僕に話してくれました。動揺したまま、泣きながら、それでも自分の言葉で話してくれました。
幸運にも。例の優秀な後輩も同じ立場だったらしいことが分かったので、後は彼女たちで解決に向かっていくことでしょう。そもそも、彼女が最初に相談した相手が僕だったこと自体、正解からは遠い気がします。
ともかく。僕がいなくても心配いらないでしょう。彼女を助けてくれるヒーローは意外な所にいた、それが正解です。
僕がやらなきゃいけないのは、それでも彼女の仲間でいるために必要なのは、僕の中で深くなりすぎた恋心を終わらせることです。叶う見込みがどこにもないのに、それでも消えてくれない恋慕の息の根を止めることです。
やっと分かりました。彼女の心と体が僕を求めてほしい、その望みがどれだけ迷惑か。泣いている彼女を抱きしめて励ましたいだなんて、一瞬抱いたその気持ちがどれだけ独り善がりか。彼女と共に生きられるのを描いていた、僕の夢がどれだけ醜いか。
彼女のことを理解したつもりで、何も分かっていなかったこと。やっと分かりました。
この先、僕の望みを彼女に向けたなら、きっと彼女は苦しみます。
優しすぎる彼女にとっては、自分が拒まれ諦めさせられることよりも、誰かを拒み諦めさせることの方が、ずっと恐くて苦しいはずです。
それがどんなに正しい選択でも、拒む重さを背負わせたくないのです。友達を傷つけただなんて、思わせたくないのです。
だから僕は背を向けるしかないのに、恋を押し隠すことでしか一緒にいられないのに。
この想いで彼女を支えたいだなんて、不相応な感情が止まってくれません。
これからどうしたらいいか、それは紡さんにも答えようがないでしょうし、僕からは訊けません。
けどせめて、答えの見つからないどうしようもなさだけ、紡さんにだけは聞いてほしかったのです。
和枝
*
「……ふざ、けんな」
読み終えた私の喉から洩れた言葉。
私は、何に怒っているのだろう。
叶いようのない恋の巡り合わせに?
自己否定を募らせる彼の卑屈さに?
間接的に彼を失恋させた「彼女」に?
彼がこれほど傷ついても、好きだと言えない私自身に?
震える手をデスクに押し当てて、勝手に零れてくる涙を拭って、わななく唇を結んで、文面を読み返しながら感情を整理していく。
数年間ずっと好きだった女の子は、同性を愛する人で、恐らくは異性を愛せない。だから、彼と結ばれることはないと分かった――それはどれだけ辛い事実だろう。
辛い事実、のはずなのに。
失恋が辛い、だとか。「彼女」から自分へのカムアウトに傷ついた、だとか。彼は一言も書いていないのだ。
決して、「彼女」を傷つけた側に置かないのだ、悪者にさせないのだ。
糾されるべきは自分だ、否定されるべきは自身だ、その姿勢を貫いているのだ。
「……そっか、だからだ」
私は、彼のそんな姿勢が好きなんだ。大切な人のためを想って、危ういほどに自分を追い込んでしまう姿勢が。優しさと寛容と卑屈と自己否定が混然となった彼の心理が、どうしようもなく愛しいんだ。
そして。
それだけ想われる「彼女」が彼とは結ばれ得ないことが悲しい――?
悲しい、だけじゃない。
彼の好意に気づいている「彼女」が、真っ先に彼に伝えた――そんなストーリーが浮かんでしまって、許せないんだ。彼は一言も触れていないのに、その予感に取り憑かれているんだ。
どんな自分の一面でも、彼なら否定しないから。
同性愛者だと伝えれば、彼に恋仲を望まれることはないから。
自らに向けられる恋慕を、利用した挙げ句に蹂躙する。絶対に裏切らない味方をそばに置くために、「彼女」がそう仕組んだ。
「……分かってる、そんな人じゃない」
そんな策略は私の思い込みでしかない。
彼が好きになった「彼女」は、人の気持ちに敏感で、そのぶん自身のセクシュアリティに動揺しているだけだ。そのときに伝えたいと思えたのが彼なんだ。性別関係なく、安心できるのが彼なんだ。それだけ固い友情があったことは、喜んでいいことだ。きっと、きっと、彼の痛みは友情の証だ。
嫉妬。羨望。安堵。悲痛。喪失。愛着。
どれが何だか分からない、混沌とした脳内のまま布団に倒れ込む。
私の気持ちの整理はつかない。
なら、彼にはどうしてほしい?
セクシュアリティの壁を越えて「彼女」と恋仲になる――できない。男女の触れ合いは「彼女」を傷つけるだけだろうし、プラトニックを目指すのも苦しい道だろう。
「彼女」への恋慕を捨てて、単なるチームメイトとして過ごす――彼がいま掲げる道、それが一番楽になれるだろう。けれど、彼を支えてきた想いを消し去ってしまうのは、あまりに悲しい。
あまりに悲しい。誰が?
きっと、彼も「彼女」も。それより、何より、私が。
彼が綴る「彼女」への想いは、それが投影された小説は。
あんなに眩しかった、あんなに美しかった、だから私は救われたんだ。
それがどこにも行かずに消えてしまうのは。
本人が呪いのように消そうとするのは、呪うように消そうとするのは。
そんなの、悲しすぎるじゃないか。
顔を洗って、ふらふらとした意識のままパソコンの前に座る。
和枝くん。
君は私なんかより、ずっと強い人だから。
私の役目は、君の心が、君の物語が、もっと強く美しくなる方へ導くことだから。
身勝手な理想を押しつけなかった君へ。
身勝手な理想を押しつけさせてください。
〉
私が、誰かから聞いた話で、涙が零れるような人間だったとは思っていなかったです。
けど、君の方がずっと、ずっと痛いはずだから。もう泣かないです。
彼女から、気づいてしまった本当の気持ちを打ち明けられたときに。自分が「してあげたい」ことじゃなくて、彼女にとって本当に必要なことを優先できた君は、本当に優しい人だと思います。そんな君を、私は本当に尊敬しています。
それでも。どうしても伝えたいことがあります。向き合うべき何もかもから逃げ出した私に、言う資格なんてないかもしれません。身勝手で我が儘な押し付けかもしれません。君に怒られても当然だと思います。
私は君に、君を彩ってきた「好き」から、逃げてほしくないです。
君が彼女とできないことが、どんなに多くたって。君にしかしてあげられないことを、彼女は絶対に必要としています。それを諦めてほしくないです。
きっと君は、彼女の友達として、ずっと優しさを贈り続けていたんだと思います。
けど、友達を越えた先に、叶わない「好き」を伝えた先に、まだ君が知らない君が、君が本当に出会いたい彼女が、きっといます。
出会ってほしいと、切に願います。
だから、約束してくれませんか。
彼女との関係を、背を向けたままで終わらせないことを。
紡
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