第7章 Receive
#24 片想いのスパイラル
合唱部に現われた「後輩」によって、同期の「彼女」への向き合い方が変化したという
躓くばかりだが、彼はちゃんと前に進んでいる――彼が重ねる努力に、相応しい私でありたい。受験勉強、進路の研究、たまのアルバイト。どれも真剣に、ときには楽しむように、日々取り組んでいった。完璧ではないけれど、いい滑り出しだったと思う。
彼の長編『マグペジオ』は、四月の終わりから五月の連休にかけて、一気に動きだした。彼の心境の変化は、その物語にも顕れていた。
まず、ブレノンやリリファといった魔術騎士塾の生徒たちが、学園での最終局面を迎える。彼らが卒業を控え進路を探す頃、
魔術や戦術においては斬新な成果を見せていたものの、どうしても武術が身につかないブレノンは、魔術騎士の道を諦めようとしていた。しかし、彼の才能を信じるリリファは、学園のブレーンとして彼を推薦。
支え合ってきた、ときには自分を蔑みもした生徒たちの中心で、学友ならではの戦術を考案していくブレノン。彼から大役を任され、街の防衛に貢献するリリファ。
そんな二人を、トラリアをはじめとした騎士たちは高く評価。二人を含む学園の卒業生を、対ゴスモ戦闘の最前線に立つ
ここまでは良い。ブレノンとリリファが試練を乗り越えてさらなる高みへと歩き出す、王道の展開だ。彼はプロットから相当に気合いを入れていたし、私も何度も相談に乗った。その成果もあって完成度は高かったし、読者からの反応も盛り上がっていた。当然、私の思い入れもとびきりだ。流れは知っているのに夢中で読んだし、覚えるくらい読み返している。さすがに彼には言えないが、気に入ったフレーズを書き留める手帳も用意したのだ。お守りのように持ち歩いて、空いた時間に読み返している。
問題は、今プロットが練られている、舞台が移ってからの展開である……いや、小説として問題があるのではない。とにかく、彼の心情が心配になるような展開なのだ。
ブレノンたちが参加する遊撃騎士隊は、彼らの故郷だけでなく国じゅうから人材が集っている。同期として出会う若者のうち、ソルーナという少女が新たなキーキャラクターになるのだ。彼女はブレノンより年下だが、あらゆる魔術に精通しており、勉学にも武術にも長けている――作者が「天才」と言い切るキャラだ。
あらゆる点でブレノンを凌駕するソルーナは、彼が積み上げてきた自信を容易く砕いていく。その一方でソルーナは、リリファの人柄と技能を高く評価し、二人は瞬く間に交流を深めていく。
ブレノンはリリファへの恋慕は伝えないまま、無二の仲間として絆を深めてきた。それすら引き裂こうとするのが、ソルーナの登場だ。
ブレノンへの慇懃な口調と、揺らがない自信。
リリファへの純粋な好意と、彼女からの信頼。
それらの源が、和枝が「後輩」に抱く屈折した感情であろうことは、容易に察しがついた。勿論、彼には言わない。これまで通り、読者に伝わりやすいようにアドバイスし、それ以上に好きな所を褒めながら、アイデアが物語になる過程を見守っていく。それが、今の私にできる彼との最良の関わり方だ。私にしかできない特別な立場は、このうえなく誇らしい。
けれど、物語から浮かぶ彼の心に触れるたび、私の心は無傷ではいられない。彼にそんな意図なんてないのに、それで彼が癒やされなんかしないのに、勝手に糾った禍福の縄で自分の首を絞めている。滑稽なファンにも程がある、これで和枝の文が読めなくなったら今度こそ人生が詰むのに。
「……なんで嫌いになれないの、その子」
リリファとの距離に悩むブレノンを、読みながら漏れ出た呟き。それは、「彼女」への想いを募らせる和枝に言いたいことそのものだった。そして、和枝への恋を募らせる私自身へと言わなきゃいけないことだ。
分かっているのに。ブレノンが自らを嫌い恋に迷うほど、その気持ちを綴った文字を読むほど、私の中での彼は濃く深くなっていく。
幸せになってほしい、努力が報われてほしい。できればリリファと、そうでなくても素敵な女の子と、幸せに結ばれてほしい……そう願うほどに。
和枝は、自身をそれに適う男性だと認めていない、叶う恋だなんて思っていない……その予感が強くなっていった。
私の気持ちを、素直に彼へと伝える。それがお互いにとってベストな道であることは分かっている。ダメならダメで私もすっきりするし、彼にとっても自信になってくれるだろう。
けれど。
SNSに画面を切り替える。小説の話がしたくて「紡」のHNで作ったアカウントだが、思ったより多くの人と交流ができている。和枝はこうしたサイトに抵抗があるらしいので、彼の作品の宣伝も代わりに行っているのだが。
そこで知り合った女性から。ネットで仲良くなった男性と飲みに行ったら、無理に飲ませられた挙げ句にホテルへ連れ込まれそうになった、という話を聞いたのだ。危険を感じて路上で騒ぎ、運良くパトロール中の警官に見つかったので未遂で終わったらしいのだが。その先で何をされようとしたのかを考えると、到底許せるものではないだろう――少なくとも私は、許したくない。
積み上げてきた交流なんて、卑劣な下心の前にはあまりに脆い。それは男性全体の一部なのだとしても、和枝がそうじゃないなんて言い切れない。
ネット越しなんて信用しきれない――はじめから常識として理解していたはずの警戒に、少しずつ実感が積もっていく。だって高校でも、気を許した男子には裏切られてばかりだったじゃないか。
こんなに、信じたくて、触れたい彼に。
悪意を返されたなら、今度こそ立ち直れない。
「……いつか伝えるから。待っててね」
そう呟いてから、綺麗に整えた文面を彼に送信する。数年かけて上手くなった優等生のフリは、リアルではもう繕えないけれど、文面でなら再現できている。
頬をはたいて、迷いを追い出す。
彼だって「彼女」に頼らない道を模索しているのだ。
私も、ひとりで歩ける私を探そう。
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