#18 共演へのプレリュード


 十二月。期末試験はパスしたとはいえ、出席日数からすれば留年は濃厚だった。新しい学年でやり直すのか、退学するのか、そろそろ決める頃かもしれない。

 

 とはいえ、暦で二学期が終わる頃には、なんだか心も浮つくもので。せっかくの冬休みだし、ということで咲貴さきを誘ってみた。

「そっか、つむも遊びに出かける気分になったんだ、良かった」

「買い出しなら普段も行ってるんだけど、やっぱりたまにはね。咲貴、どこか行きたい?」

「ほっとけばインドアだけの私に希望があるとでも……」

「じゃあ映画いこっか、家で観てるの続くと物足りなくて」

「いいよ~、つむは何か観たいのある?」

「年末だし何かある気が……ああごめん、また後で相談させて」


 咲貴と話している最中に思い浮かんだのだ。同じ映画を観てみたい、和枝かずえと。

 話を聞く限り、彼が好きなフィクションは小説だけではないはずだ。小遣い事情もあるぶん頻繁にではないだろうけど、映画館だって楽しみきるタイプだろう。


 何か気になっている公開作はありますか、と聞いてみると。

「まだ決めてはいませんが」「部活とちょっと被るので『レ・ミゼラブル』は興味あります」「つむぎさんの映画の見方も気になるんですよね……お互いに観てみます?」

 という回答が返ってきた。気になる、という文字に頬が熱くなる。私の執着とは全く別とはいえ、彼からだって興味を持ってくれているのだ。部活の話が出たので「演劇とか音楽でしょうか?」と聞いてみると、「合唱部です、小説とは全然関係ないですが」という答えが返ってきた。歌が好きな人間として、大作ミュージカルが気になるのも納得だった。


 咲貴も賛成してくれた。久しぶりに映画館を訪れた、帰りのファミレスで。


「……つむ、そんなに泣く人だっけ?」

「いや、自分でもビックリしてる。映画館で泣くみたいな宣伝、サクラだと思ってたのに」

 前半の山場で感情が盛大にかき乱されて以来、泣きっぱなしの二時間余りだった。


『レ・ミゼラブル』、日本語版の小説では『ああ無情』などと表現されている題の通り。強大な力に翻弄される苛酷な人生が描かれていたのだが。


「平和な時代で安全に暮らしている私の身を重ねるの、不相応なんだろうけどさ。裏切られていくの、見捨てられるの、他人事だって思えなかったんだよ」

「……ああ、そっか」

 私の感想に、咲貴は納得したように手を打つ。

「つむはそこに重ねられたんだね。私は正直、昔の外国の遠い人たちの話、までしか思えなかったんだよ。役者さんたちの演技とか歌も、撮影スケールも凄かったから、そこはずっと楽しかったけど」

「咲貴はそういう意識で観る派だったよね……それだとまず冒頭からさ、」


 久しぶりに人と会話が弾む、その楽しさでついつい喋り続けてしまったのだが。ランチを食べ終わる頃には、聞き役を続けていた咲貴も辟易としてきたようで。


「そろそろ感想戦も消化不良なんだけど……ああでも、他に話せる人いないんだっけ、今のつむだと」

「それがね……こういう話したいな、って思える人はいてね」


 これまで誰にも言ってこなかった和枝との関係を、咲貴に話した。私から彼への感情が途方もなく膨れていることは伏せ、あくまでも友人のように意識している、と伝えたが。

「……なるほど、つむが明るくなったの、その人のおかげか」

 咲貴は身を乗り出して、まじまじと私の顔を見つめる。


「念のため聞くけどさ。恋には行きそうな好意なの?」

 想定していた疑問とはいえ、やはり聞かれると驚いてしまう。コーヒーに咽せるのが収まってから、自分に言い聞かせるように答えた。


「ならないんじゃないかな? アイツとの一件でそういうの懲りたし……それに、ネット越しって何あるか分からないじゃん? だから特定につながるようなこと言わないし、あっちも言ってない。

 けどさ、異性がどうとか抜きにしてさ、いつかこうやって会えたらいいなって思う。救われたこと、小説が好きってこと、目の前で伝えられたらいいなって」


「そっか……とりあえず、つむに日々の楽しみがあって安心したよ。

 で、その彼って小説書いてるんでしょ? だったらつむの細かい感想とかもついてこられるんじゃない?」


 という咲貴のコメントにも背中を押され、観てきた旨を和枝に報告すると。「僕は明後日に行きます」「その後は時間空いてるので、リアルタイムでやり取りするのも楽しいかもしれないですね」という返答があった。いつもみたいに待たなくていい、同じ時間を共有していい……デートみたい、そう感じてしまったのも今はアリにしておく。


 自分なりにメモをまとめておき、和枝のメッセージを合図に感想の交換を始めた……のだが。私の勢いは、彼にとっても予想外に強かったらしい。小説を書けるということは、彼は筋道立ててフィクションを理解しているのではと私は思ったのだが、彼はどちらかというと感覚に頼っているらしく「圧倒されるばかりで、そんなに多くの角度から整理できてはいないですね」と言われたのだ。

 また張り切りすぎた、と恥ずかしくもなったが。


「けど、僕だけじゃ分からない部分が紡さんから聞けるの、すごく楽しいですよ。よかったら、僕の小説がどう見えるかも教えてほしいです。肯定的なことは勿論嬉しいのですが、分かりにくい所とか、参考にできそうな他作とか、それらを知ることでお互いにもっと楽しめる気がするので」


 褒めるだけでない、違和感の指摘や突っ込みまで詰まった理屈っぽさも。

 実際の歴史や他の作品まで脱線する雑多さも。

 彼は驚きつつも、私の話をずっと楽しんでくれた。それだけでなく、必要としてくれた。


 私が変なことを言って彼が書きにくくなる、それは絶対に嫌だったけれど。

 人目につかないからなのか、展開に派手さが欠けるからなのか、数字でみれば彼の小説は高く評価されているとは言えない。彼の創作の美しさが、求めている人の目に触れない、それが勿体なく感じたのも確かだった。


 彼が届けたい感情も、描きたい世界も、私なら誰よりも分かる。むしろ、彼よりも明確に整理できているのかもしれない。

 彼を理解した上で、より読者に伝わりやすい形へと導ける――ファンが小説家に向けるには、あまりに筋違いな感情だったけれど。


 画面の向こう。仲間が欲しくて、見つけてもらいたくて、ひとり言葉を連ね続ける彼の姿が、確かに浮かんだ気がしたのだ。


「私にできることであれば、是非やらせてもらいたいです!

 ただ私は、和枝さんが書きたいと思ったその言葉が何より好きです。お手伝いはさせてもらいますが、ご自分の感性はどうか疑わないでください」


 こうして、冬が更ける中、私と和枝との間に戦友のような絆が芽生えていった。

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