#11 いつまでも、最高の運命だから


 その夜の私は、お気に入りのライトノベル「Light of Shadows」――通称エルシャドの二次創作を、小説投稿サイトで漁っていた。

 二次創作、存在は知っていたが積極的には触れてこなかった。原作者よりも上手く書ける人がそうそういるとも思えなかったし、イメージが崩れるのも避けたかったのだ。

 しかし今は、あえて原作のイメージを変えたかったのだ。


 エルシャドは、皮肉屋のようでいて熱さを抱えた主人公・隼斗はやとと、孤高のお嬢様と見られがちだが寂しがり屋なヒロイン・玲美れみのカップルがキャラクターの中心だ。現実でも同じ学校に通う高校生が異空間での闘いに巻き込まれ、日常と非日常が交互に進むという設定から、タイプも様々な女子高校生が登場し、隼斗に助けられては惹かれていく、というラノベらしい展開が続いている。


 明らかに男性向けとはいえ、私だって可愛くて格好いい女性キャラは好きだ。ハーレム構造だって、都合がよすぎるとは思いつつちゃんと楽しんでいた。

 しかし今は、大勢に慕われながら敵に憎悪を燃やす隼斗は一条に被ってしまうし、彼に愛を振りまくヒロインたちにも感情移入しにくい。ずっと彼についていく必要なんかないんだよ、などと余計すぎることを考えてしまうのだ。


 加えて。隼斗以外の男子キャラが冷遇されている――というか、隼斗の活躍のお膳立てにされていることが、どうにも引っかかる。女子キャラが辛い目に遭うよりは気が楽だが、失敗するために生まれるキャラという宿命は受容しづらい。


 私と同じような違和感を抱えた人が、「じゃあ自分はこうしよう」と二次創作に落とし込んでくれれば、そう思って探しているのだが。


 やはり、というべきか。人気ランキングには、私と趣味が合うような作品は見当たらなかった。むしろ、原作のハーレム性やヒロインの魅力を強調したような作品が多かった。美少女に承認され、心身を捧げられる、それは確かに男子にとっての夢だろう。私だってそんな子にときめいていた、そんな恋ができたら嬉しいだろうと思っていた、けれど。

 誰しもが、捧げたいだなんて思っている訳じゃないのだ――フィクションに抱くには見当違いであろう本音が、このシリーズへの愛着を冷ましていった。好きなままでいたかったけど、こればかりはどうしようもない。


 しばらく離れようかな、と思いながら作品表示を新着順に切り替えると。

 投稿されたばかりの一作、そのタイトルに目が吸い寄せられた。

「へえ……綺麗……」

 

 エルシャド二次にはやや珍しい、詩情的なタイトルは。思わず呟いてしまうくらいには好みの美しさだった。和枝――かずえ、という女性らしいHNも気になる。有名な歌姫の本名と同じだ、彼女のファンだろうか。

 何より、噛ませ男子の筆頭ともいえるキャラクター、嗣太つぐたの視点だという紹介に興味を惹かれた。彼はいじめられていた所を玲美に助けられ、彼女への好意を募らせていたのだが、その想いが暴走して突出し初の戦死者になる。ハードな作風を決定づけたという意味で重要なキャラだが、退場の早さや無謀さから、ファンの間でも揶揄の対象にされがちな子である。


 試しに本文を開いて、数行ほど読み進めて。


 ちゃんと、集中して読まないといけない――久しぶりの、電撃のような予感に、私は席を立った。


 トイレを済ませ、麦茶を持って部屋に戻り、背筋を伸ばしてパソコンに向き合う。この高揚だ、この引力だ、私を本好きにさせたのは。

 言葉の選択、文の構成、それらのリズム。一つ一つの背景に、作者の色がある。それを読み解いて、自分の心につなげていく、その共鳴ができる作品を探すのが大好きなんだ。

 忘れかけていた熱に身を委ねながら、私はその世界に引き込まれていく。



 その小説では、原作では僅かにしか触れられなかった嗣太の背景を大きく膨らませて語られていた。小学校時代からずっといじめられてきたことが、諦めるような淡々とした筆致と、短くも心を抉るフレーズで描かれる。

 そこに玲美が掛けてくれた、たった数秒の言葉から、彼の世界は変わっていく。感謝と憧憬で溢れた恋慕は、息詰まる毎日に風穴を空けていく。

 しかしその恋慕は同時に、自分は決してつり合わないという絶望を連れてくる。片想いでいい、ただ同じ時間にいるだけでいい、けどそれ以上を望む恋は止まらない――胸焦がす想いは外側にも洩れていく。洩れてしまった所で、それは日陰者の不相応な羨望としか取られない。大多数が気味悪がり、玲美だって戸惑っていた好意は、どこにも行き場がない。行き場のなさを人にぶつけたりしない、それが彼なりの矜持でもあった。


 諦めるしかないと、道化に徹して外面を取り繕い、内面で自己否定を繰り返していた日々に、異空間での戦闘という非日常が飛び込む。

 未知の世界、迫る脅威、そして怯える玲美が頼ろうとするのは隼斗。

 嗣太の天秤は、身の安全よりも人生の実存に、理性よりも意地に傾いてしまった。ここで状況を打開することが、自分の人生を変える唯一のチャンス――非合理的で無謀な選択を、凄まじい説得力と等身大の切実さで描き出す。


 僅かな手がかりで悪霊に挑み、敗北へと転がり落ちていく一瞬一瞬。攻防の緊迫感と、極限状態で初めて抱いた生への渇望。

 最期の瞬間、玲美への祈りが捧げられ、途切れていく断片的な文章で、小説は終わっていた。



 最後のフレーズをしばらく見つめて、高鳴る心臓を落ち着けるように深呼吸をして。初めて、泣いていたことに気づく。

「……まだ小説で泣けるんだ、私」


 いつぶりだろうか、少なくとも今年ここまで気持ちが震えることはなかった。ゲロの味がした教室での涙が、今の温かい涙で上書きされたような気すらした。

 悲しくて、痛々しい話だったけれど。彼が抱いたかもしれない孤独や葛藤を見つめ、無謀さの裏を汲み取った眼差しには、優しさが根付いていた。人の痛みが分かる、それか実際に痛みを抱えて生きている、そんな眼差しに思えた。

 何より。人を恋しく想う感情を、久しぶりに美しく思うことができた。見返りもなく、希望もなく、それでも純粋に捧げられる祈りに、心の欠落が満たされていた。


 書いたのはどんな人だろうか。文の雰囲気は大人びていたし、女性らしい印象だったが、十代男子の心理描写には当事者らしいリアリティがあった。作者のプロフィールへと飛んでみると。


「……マジ?」

 性別、男。職業、学生。18歳未満。しかもこのサイトでは初投稿で、挨拶文を見る限りは小説自体もビギナー。


 ついこの間まで教室で一緒に過ごしていた――過ごしながら嫌な所が目立っていた彼らと同じ、十代男子である。

 作品と作者がイコールではない、とは分かりつつも。この作者、和枝という人物への興味が抑えられなかった。この人の言葉が読めるなら、それだけで日々に意味を見いだせそうだった。


 ひとまず、感想をコメントで送ろう。そこに至って、アカウントを作っていなかったことを思い出す。

 ハンドルネームをどうしようか、この手のアカウントを作るのは初めてだが本名はよくないだろう。しかし愛称なんて特にない……と考えるうちに、ふと思い立って小説を読み返す。


 ひときわ心が鳴った一節、そこで用いられていた「紡」の文字。意味も響きも紬実つむみと似た、この字にしよう。読みは使わないだろうけれど、「つむぎ」ということにしておこう。


 感想を書くのに、しばらく時間が掛かった。喜んでもらいたくて、自信を持ってもらいたくて、けど戸惑わせるほど熱烈になるのも避けたくて。

 まるで恋文を記すよう、そんな喩えが頭を過ぎって笑ってしまう。男子との恋だなんて懲りたはずだ、そもそも相手との接点は作品しかないのだ。

 恋とは程遠い、尊敬と共感、だったけれど。


 好きになるなら、好きになってもらうなら、和枝さんみたいな男の子が良かった。

 恋仲じゃなくてもいいから、友達になりたかった。同じ教室にいてほしかった。

 そんな夢を見てしまうくらいには、久しぶりにときめいてしまっていた。



〉はじめまして。忘れられがちな彼の想いが優しく汲み取られていて、とても嬉しかったし感動しました。文章にも引き込まれて、夢中で読みました。また投稿されるのを楽しみにしています。

 


 凝った言い回しを考えようとして、結局はシンプルに落ち着いた八十文字あまりが。私たちの文通の、人生で一番長い恋の始まりだった。

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