#5 汚れ役でこそ人は輝く、という夢が

「ということで、織崎おりさき高神たかがみの交渉に行ってほしいんだけど……いい?」

 文化祭の運営委員長に手を合わせて拝まれ、私は悩みつつ答える。

「ダメ、じゃないですけど……やっぱり、先輩が行った方がいいと思うんです」

「本来はそうなんだけどさあ~、俺アイツに狙われてるの今。女装・男装コンのこと気に入ってないみたいだし」


 高神というのは、体育科で男子バレー部顧問の教師である。高圧的な態度と保守的な方針で、男女を問わず生徒の反発を買っている。担当の部が強豪であり、教師の中でも古参であることから、同僚教師もまともに対抗できないらしい。


 それで今はというと。文化祭でのステージ企画のリハのため、バレー部の体育館使用日を運営委員に分けてほしい、ということを顧問の高神と交渉する必要があり。その役目が私に回されようとしているのだ。


「後、私が引き受けたら、元々任されていたクラス展示の調整が遅れちゃいそうで」

「じゃあ、そっちは俺が誰かに引き継いどくから……大丈夫、アイツは真面目な子にはそんなに厳しくないし。織崎は教師受けいいからピッタリ。

 それにいほら、次の委員長は織崎にお願いする流れだし。この辺で経験積んどいてほしいのよ」


 断る口実を潰され、次への期待を掛けられると、いよいよ頷くしかない。誰もやりたがらないことこそ私の仕事、という姿勢でずっとやってきたのだ。



 翌日。

「運動部やってない女子には分からないのかもしれないけどさ。俺たちはバレーに高校生活をかけてんのよ。文化祭みたいな遊びとは気の入れようが違うの、そっちには悪いけどさ」

 

 昼休みに高神に要望を伝え、放課後に体育準備室に来いと言われ、話が始まってからもう一時間ほどになるだろうか。


 承諾ではなく、しかし明確な却下でもなく。文化祭よりもバレー部が優先されるべきだという理屈を、一方的に語られていた。

 却下なら却下で、対応策を練るほかないのだが。「別にダメだって言ってないけど」を繰り返され、そのたびに要領を得ない主張が続き。首肯と相槌で場をつなぎながら、完全に抜け道が見えなくなっていた。


 組織を代表して一人、こちらの味方ではない教員と密室で――というのは、やはり精神がすり減る。張り続けていた意識に、足の間の不快感が爪を立てる。アポの五分前には待機していようとか思わず、来る前にナプキンを替えておくべきだった。しかし、中座を言い出せる雰囲気じゃない。


 早く終わってくれという内心が顔に出てしまったのだろうか、高神の眉に刺々しい皺が寄る。

「何、俺の話になんか不満ある?」

「いえ、とんでもないです。バレー部の皆さんの情熱も、先生の熱意にも感銘を受けています。ですので、私どもも別の方法を考えようと――」

「じゃあ何、すぐに代案を思いつくようなアイデアのために、俺らの時間を取ろうとしていた訳?」


 ――という調子である。強引に話を打ち切ろうかとも思ったが、実行委員会に難癖をつけられたらと思うと、後には退けない。頼むから何か邪魔が入ってくれ、と思うことさらに数分。鳴った内線はまさに慈雨だった。


「ちょっと失礼――はい、高神です……はい、分かりました。すぐに伺います」

 高神は立ち上がると、ちらっと手帳を開き。

「オシザキって言ったね? 明日までに考えまとめとくから、また同じ時間に来て」


 オリサキです。すみませんが、明日の放課後は予定があります――そう言えるほど、余裕がなかった。

「分かりました、お時間を取っていただきありがとうございます!」


 一礼して、部屋を出て――そこからは小走りだった。気を抜くと地団駄でも踏みそうだった。

 トイレに寄り、用を済ませ、しばらく立ち上がる気力もなく座り込んでいると、誰かの話し声が聞こえてきた。


「さっきの女子、ガミオの部屋に一時間くらいいたじゃん? 密室で何されてたんだろうね~」

 邪推に笑い声が続く。ガミオ、とは高神のあだ名である。当然、否定的なニュアンスの。

「あいつ織崎ですよ。二年の文化祭委員の……ほら、一条いちじょうくんの彼女」

 こっちの声、クラスメイトで女子バレー部だったはずだ。


「マジ? 彼女があんなおっさんに寝取られるの、一条くん可哀想すぎでしょ」

「それはそれでウケますけどね……ってかそもそも、一条くんは実家――あの病院のスタッフとデキてるって噂ですよ。受付の美人って評判の人と」

「え、じゃあなんでオリサキとも付き合ってんの?」

「アピールじゃないですか? ほら、俺は面食いじゃなくて真面目な女子がタイプですよ~って。顔と胸しか見てない大半の男より、そっちの方が好感度高い説ありますし」

「なるほどねえ……確かに、一条くんとあのブスじゃ釣り合わないでしょ」

 ゲラゲラと笑う声に、怒鳴り返しそうになる自分の声を必死に呑み込む。私はいい、けど一条の真心は侮辱されたくない――けど、こんな話にどう返せばいいか分からない。


 スポーツは得意じゃない、けれども観るのはそれなりに好きだった。バレー部だって、前に応援に行ったときは興奮したし、負け試合は自分も悔しかった。これからしばらく、関係ない人の試合を観ても今日を思い出すのだろうか、だったら悲しい。


 もうしばらく個室に座り込んでから、報告のために運営委員の部屋に戻ると、もうみんな帰ったらしかった。アプリで報告を入れ、そのまま一条とのトークルームを開く。明日約束していたデートに行けなくなってしまったことを伝えるべく、謝罪の言葉を探してから。無性に声が聴きたくなって、電話をかける。


 数回のコールの後。

「……もしもし、織崎?」

「急にごめん一条くん、今いい?」

「いい、けど」

 我ながら疲れの滲んだ声で呆れてしまったが、向こうも抑えた声だった。勉強中に邪魔してしまっただろうかと、今さら思い至る。

「明日の放課後、一緒に帰ろうって約束。行けなくなっちゃった、ごめんなさい」

「そっか、文化祭の仕事?」

「うん。どうしても、他の人に頼めなくて」

「分かった。織崎も大変だもんな……また今度、予定聞かせて」

「うん、お願い」

 私を責めないことに安堵しながら、妙に寂しがっている自分に気づく。


 どうも私は。声に滲む憂鬱を分かってほしくて、明日の予定が動くような環境をもっと労ってほしくて、その言葉が彼氏からないことが寂しいらしい。そんなワガママなのに自分から慰めてほしいなんて言えない、頑固すぎて嫌になる。


 さっきトイレで聞いた言葉が頭を過ぎる。私が思うほど、一条は私を好きではない、のかもしれない。あんな無責任な陰口で揺らぐ自分が嫌で、それを一条には悟られたくなくて。


「じゃあ一条くん、また明日ね」

 急いで別れを口にしてしまった。

「ああ、また明日……あれ、まだ」

 一条が何かを言いかけたのを無視して、電話を切る。人を疑うことに、少し疲れてきた。


 学校を出て、バス停で本を開く。

 鞄にはいつも小説を二冊入れている。新しく読み進めている一冊と、何度も読み返しているお気に入りから一冊。今のように心を落ち着かせたいときには後者を開いて、美しい言葉の手触りを、胸躍る世界の熱を確かめる。こんな喜びを創る人が世界にいる、その実感を確かめる。

『Light of Shadows』という、TVアニメも放映されているライトノベルだ。人の精神と直結した異空間で戦う高校生たちの物語、世界観の異色さと感性の等身大さが好きだった。私は魔法も使えない、ヒーローに変身もできない、それでも彼らのように強く気高く。現実と戦うための勇気を取り込む。


 いまの織崎家は、あまり居心地がよくない。認知症の祖母の介護は肉体的にもハードだし、記憶がずれていくことは精神的にも応える。母は、自分に冷たい義母の面倒を見ることに疲れているし、それを目の当たりにしている弟も機嫌が悪い。父は仕事が忙しいことは理解しているが、実母に対してあれほど関心を示さないのは如何なものだろう。私だって、祖母に孫だと認識してもらえないときは、気持ちじゃなく神経機能の問題だと理解しつつも胸が痛い。


 人に必要とされるのは、人の役に立てることは、誇らしいことで。それは、自分の価値でもあって。


 けど今は、少し、色々が重なりすぎた。ちょっと、逃げたくもなってきた。


 周りの全てが他人である、バスの車内で。束の間の自由を噛みしめるように、架空の人間たちの冒険に心を委ねていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る