#4 春めく笑顔は哄笑に濁る

 学園の王子様が堅物の委員長と付き合った、という噂はすぐに広まった。

「おい一条いちじょう、嫁さん呼んでっぞ!」

「ほらあの人、一条先輩の彼女」

「ねえ織崎おりさきさん、一条くんって」


 接点のなかった誰も彼もに話しかけられ、私の周囲は俄かに騒がしくなった。私的な交流の少なかった日々はそれなりに快適だったぶん、返しには困ってばかりだった、とはいえ。


 人気者と付き合ったならギスギスとした空気に囲まれるのでは……という懸念は、意外にも杞憂だった。華やかな女子が一条の取り巻きのようにいたものの、どうも「ウチらと完全に別のタイプとくっついた、なら仕方ない」と解釈されたらしく、騒ぎ立てるだけで、嫌がらせなどは来なかった……陰口ぐらいはありそうだが、気にしたって仕方ない。


 周りが騒がしいのは疲れるが、一条本人は特にペースを乱すこともなかったため、私の課題が妨げられることもなかった。お互いに頑張らなきゃいけないことはある、お互いが頑張る姿に励まされる、ささやかな一緒の時間がご褒美になる……そんな距離感でいられることは、素直に嬉しかった。


 縁がないと思っていた割に。好きな男に褒められ、触れられることには、素直に心が躍った。なりたい自分がこうだと割り切っていたつもりでも、やはり強がりはあったのだ。肯定されるのは、愛されるのは、嬉しい。


 それは外側にも伝わっていたらしく、特に友人の咲貴さきにはすぐ指摘された。

「つむも変わるもんだね」

「んん、コンタクトにしたから?」


 小学校から眼鏡で通していたが、一条のリクエストでコンタクトに挑戦していたのだ……私自身は眼鏡の方が好きだし、そもそもレンズを入れるのが面倒で仕方ないのだが、オシャレは我慢である。

「それもだけど、前より笑顔が眩しいよ」

「……なんか、浮ついた感じする?」

「するねえ、それでも節度を失わないのがつむの良い所だけど」

 咲貴の顔を見れば、彼女なりに喜んでいるのは見て取れた。

「けど寂しいなあ、つむが独身同盟から抜けちゃうの」

「そんな同盟を作った覚えはない!」

「結婚してもズッ友だからね」

「ズッ友ってワードを皮肉ってたの咲貴だよね?」


 そんな風に、何もかも順調に始まった一条との交際だが。いくらか、少し気がかりなことがあった。



「――やっぱ鱒河ますかわ、ホモじゃねえか!」


 昼休みの教室に響く男子の太い声と、つられて巻き起こる笑い声に、思わず私は眉を顰める。

 鱒河という男子は、去年から知っていた。背が低くやや丸みを帯びた体型もあってか、男子たちの間では芸人のような立ち位置になっている……いわゆる、いじられキャラ、なのだろう。


 私にとって好ましいかはともかく、本人たちが楽しんでいるのなら、外から言う筋合いはない。私からは乱暴に見えても、男子はそれくらいの方が心地良いこともある、というのも察してはいる。


 とはいえ。

「ちげえよ、女しか好きじゃねえよ!」

「じゃあなんで着替えのとき、ほら、もっこりしてたんだっつの」

「そりゃ……ほら、昨日のオカズがそういうのだったんだって」

「で、男優に興奮してたんだろ」

「おま、ふざけんなって!」


 数日前、男子が教室で着替えているときのことをきっかけに、鱒河を「ホモ」と呼ぶのが男子の中で流行っているらしい。昨日もそんな会話が耳に入っていた。

 険しくなっていく私の表情を読んでか、咲貴が小声で訊ねる。

「下品だけど、つむが気にすることなくない?」

「下品っていうか……ああいうのは、ギャグでもよくないじゃん」

 別に、教室で性的な話をするな、とは言わない。好きではないが、自分が巻き込まれない限り、止める筋合いはないと思う。


 とはいえ。誰かが標的になっているなら話は違ってくる。まして、同性愛が絡んでいるなら尚更だ。本人のセクシュアリティが実際にどうであろうと、笑いものにするのはダメだろう……それを私が意識するようになったのも、少し前に聞いた海外での自殺未遂のニュースがきっかけなのだが。

 加えて。


「まあほっといてやれよ、鱒河が何で抜いてても大差ないっての」

「さすが優等生の一条先生……けど、鱒河がああなってたのお前の近くだったぜ?」

「……それは困るな、やっぱり」

「ほら一条も引いてんぞ?」

「だからちげえっての、いい加減に黙れよお前ら!」

 その輪の中に一条がいることが、さらなる気がかりの理由だった。


 欠点のない人であれ、とは言わない。ただでさえ一条は家族や教師から猛烈なプレッシャーをかけられているのだ、私は欠点も受け容れる側でいたい。

 とはいえ。人を嘲笑するような人になってほしくないのだ、好きな人には。普通の人には些細なことかもしれないが、私は容易く看過したくはなかった。遊びとイジメの区別もつかない教室で、学校に来られなくなってしまった人だって小学校にはいたのだ。軽いふざけ合いのようにも見える鱒河と男子たちの様子に、あの頃のクラスの空気が重なってしまうのだ。


 そんな暗雲はあったものの。直接交流のない男子よりも重要な問題が持ち上がってきたことも事実だった。文化祭運営委員の仕事が本格化し、厄介な相手と対峙することが増えたのだ。

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