第2話 目の前に推しがいる世界

「​───クリスちゃんのCD!!!」


そう叫びながら私は飛び起きた。

朧気ながら意識を失う前のことは覚えており、それでいて自身の身体よりも推しのCDを取りに行けなかった事への後悔が強かった。


「嘘でしょ…今日、聴けると思ったのに…! いや、まって…生きてる? 私、生きてるの?」


悔しさを滲ませた言葉が口から出るも、そこでふと我に返る。

恐らく車に轢かれたであろう自分は無事にこうして生きている…それは運が良かったと脳内で処理できた。

ただ、不思議なことに身体に痛みは全くなかった。


「あの衝撃で、怪我ひとつしてないなんて事あるわけ……え? あれ? 私ってこんなに筋肉質だったっけ?」


首を傾げながら自身の腕を軽く触る、と…妙に筋張っているというか、逞しいというか…。


「…え、…なにこれ…どうなってるの?」


何が起こっているのか解らず、キョロキョロと辺りを見回す。

ふと視界の端に鏡を捉えた。

自身の姿を確認する為に寝ていたベッドから降り、鏡の前へと歩み寄る。


「! こ、これは…!」


そこに写ったのはいつもの私ではなかった。

知らない男…いや、待て? 私はこの顔、知っているぞ…。


あ…そうだ!


「これ、あのゲームの主人公…!!」


そう、この顔は間違いなく先週新作が発売された美少女ゲームの主人公だ。デフォルトネームは確か…フォレス。王国の騎士団所属で、1、2を争う程の実力の持ち主…と言う設定だった。

このゲームは人気作の二作目で、私の最推しキャラであるクリスティーナちゃんもこのゲームのメインヒロインの一人なのだ。


え…何? これってもしかして、今流行りの異世界転生とか言うやつ?


それにしても…


「…推しの居るゲームの主人公に転生しちゃうとか、私強すぎでは??」


そんなことをぽつりと呟いた時だった。


ガチャリ、と音を立てながらドアが開く。そちらへ視線を向けると…。


「ぁ…あの、大丈夫…?」

「!!!」


……ここは天国なのだろうか。


推しが!!


私の推しが!!


目の前に!!!


いるではないか!!!


「食事中に突然倒れて…その、私…心配で…」


クリスちゃんがいた。腰まである銀色の髪、少しタレ目がちだけどパッチリとした、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳。間違いなく…私の推しだった。

クリスちゃんと主人公は幼馴染の間柄で、家同士も仲が良く二人で過ごす事が多い子。

どうやら、私が憑依する前のフォレスは彼女と食事をしていたらしい。


(…そこから代われよぉおぉ!フォレスぅうぅ!!)


「あの、フォレス…?」

「え…あ、…大丈夫…だ」


私はフォレスの口調を思い出しながら答えた。

それを聞いて尚、心配そうにこちらを見つめる私の推し。


「ぐふ…(何この可愛い生き物…)」

「フォ、フォレス…本当に大丈夫?」

「や、…本当に大丈夫、だ…」


…危ない。色んなものが漏れ出るところだった。

あー…もう、どうしよう。ダメだー。私、死ぬ…死ぬわぁ…。


「大丈夫だと言っているのだから、放っておいても良いのではないか?」


一人脳内悶絶していると、クリスちゃん以外の声が室内へと響いた。

声のした方へと視線を向けると……


「あ、エルフィ」

「フィー…なの、か?」


騎士甲冑に身を包んだ、女性が立っていた。

…エルフィーナ・ホーエンウルフ。綺麗な金色の髪を高めの位置で結んだ所謂ポニーテール。切れ長でラピスラズリの様な青色の瞳。

彼女は主人公と同じ騎士団に属する女性騎士だ。ゲームで彼女を攻略するには親友であるクリスちゃんと途中まで同時進行し、分岐点で彼女を選ぶことでルートが確定するという

…クリスちゃん推しの私にとっては辛い選択を強いられるストーリーだった。


「…倒れたと聞いて来てみれば…随分元気そうではないか。全く、クリスの手を煩わせるとは…」

「もう、エルフィったら…ごめんなさい、フォレス。これでも貴方を心配しているのよ」


…いや、本当に?

などとは思わない。ゲームを一通りクリアした私には分かっているのだ。

このエルフィーナは…こう言いつつ、ちゃんと主人公の身を案じてくれている。

…ゲームの中では、の話だけど。


「そ、そんな訳っ…ま、まあ良い。…フォレスに団長からの伝言だ。明朝、宿舎に来るようにと」

「分かった…が、…任務か?」

「…分からん。詳しい事は明日話すとだけ。分かったならいつまでもイチャついて居ないで、さっさと自宅へ戻れ。…もう身体は良いのだろう?」

「そ、そんなことしてないよ…っ」


フィーの言葉にクリスちゃんは真っ赤になって俯いてしまった。


(うわぁぁぁ…かわいいぃぃぃ!!)


思わず悶絶しそうになって、グッと堪える。

フィーの前でそんな事をしたら何を言われるか…。


「わかったわかった。…フォレス、明朝だぞ。遅れるなよ」


そう言葉を残し部屋を出るフィーを視線で見送った。


「団長さんの用事って、なんだろうね」

「さあ、な…」


…推しの可愛さですっかり忘れていた。

このゲームはカテゴリは美少女ゲームだけど本格的なRPGでもあるのだ。

つまり…戦うことがあると言うこと。


そしてこれから起こるであろうイベントを、私は把握している。


(推しと幸せに過ごす、なんて程遠い世界だったなぁ…)


そんな事を思いながら、小さく溜め息を吐くのだった。

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