イアル村の祭り 1


 低く響く音、高く遠くへ向かう音、リズミカルに降りては登っていく音の羅列。

 鳥のさえずる声に合わせるように、『始まりの歌』を通常の倍以上の速度で歌ってみる。


「うーん、まぁまぁか」


 ひと通りの『型』をなぞっていく。

 吸って右手と右足を上げ、ゆっくりと吐きながら手足を流していく。口を閉じて旋律だけを辿れば、自然と『型』どおりに手足が動いていく。

 小さな物音に、サクの頭にとまっていた鳥が慌てたように飛び立っていった。後ろを向けば薄茶色の前髪を一部はねさせたリリィが驚いた顔で立っている。


「おう。体は大丈夫か?」


「だ、だいじょうぶ。邪魔してごめんなさい」


「いや、ちょうど終わったところだ」


 眠たげな目をしたサクはヨレヨレの上着を羽織ると、なぜか頬を染めているリリィに持っている教本を渡す。


「ここに落ちてたぞ。ちょうどいい、歌ってみろよ」


「え? 今?」


「祭りは今日の夕方からだ。朝メシ前に一度歌っておいたほうがいい」


「そ、そうですか……」


 正直リリィは、先ほど見事な歌声だったサクの前で歌うのは恥ずかしいと感じていた。しかし冒険者として依頼を受けたからには歌わないわけにはいかない。できれば祭りの前に練習しておきたい。


 おずおずと歌い出すリリィ。

 寝起きにも関わらず思ったよりも声が出ることに驚きながら、彼女は『始まりの歌』を歌う。


「もう一度。もっと声、出るだろ?」


「うう……恥ずかしいです……」


「祭りじゃ大勢の前で歌うんだ。恥ずかしいとか言ってられないぞ」


「うう……」


 昨日の筋肉鍛錬に比べれば楽なものだと自分に言い聞かせながら、リリィは涙目で歌い出す。

 教本では平坦でつまらない歌だと思っていた『始まりの歌』は、サクが歌うと違うものに聞こえた。リリィは、なんとなくそれを真似するように歌ってみる。

 閉じていた目をゆっくりと開いたサクは、小さく息を吐く。


「……よし、朝メシ食いに行こうぜ」


「はぁ、疲れた……」


「何を言ってんだ。メシ食ったらもう一度走りこみからだぞ」


「え!? なんでそんな……」


「美しい歌声は良い筋肉からって言うだろ?」


「だからそれ!! 昨日も言ってたその謎の格言、聞いたことないんですけど!!」


「俺の尊敬する人の言葉だ」


「尊敬する人?」


「俺だ」


「そうですか。お疲れ様でした」


 くるりと踵を返すリリィだが、がしりと彼女の肩を掴んたまま離さないサク。


「メシ食ったら鍛錬だ。……わ か っ た な?」


「ひぃっ!?」


 有無を言わさぬような物言いのサクに、怯えたリリィは何度も首を縦に振っていた。







 村の中心には櫓(やぐら)が作られており、そこには沢山の農作物が置かれている。

 他の村から祭りを見に来た人たちや町からの観光客が、持ってきた酒などを奉納している姿が見える。小さな村であっても祀られているのが豊穣の神ということで、農業を営む者たちの多くは毎年ここで一年の豊作を祈りに来るようだった。


「すごい! あんなにたくさん野菜が置いてあります!」


「今年は俺たちが歌うんだ。あれでも足りないくらいだな」


「一体どこからその自信が……」


「俺が及第点を出したんだから、堂々と歌えばいい」


 たくさんの供物が置かれている櫓の上に、サクとリリィは祭りの衣装を身につけて座っている。歌の出番までここで待機することになるのだが、村人たちの興味津々の視線からは逃れられずリリィは落ち着かない。

 対して堂々としていると思いきや、リリィが話しかけるまでうたた寝をしていたサクは、眠たげな様子であくびをかみ殺している。


「うう、適当に歌うだけだと思っていたのに……」


「そんなわけないだろう。ところで、なんでさっきからこっちを見ないんだ?」


「な、何のこと、です?」


「とぼけるな。ずっと前を見るか下を見るかで、絶対にこっちを見ないじゃないか。そんなに俺の格好おかしいか?」


 サクの言葉にリリィはやはりまっすぐ前を見たまま、緊張しているだけだとくり返す。

 髪を整えて髭を剃ったサクは、別人のようになっていた。むさいオッサンだとばかり思っていた男が突然美丈夫となって目の前に現れたのだ。

 成人する前の少女とはいえ、彼の容姿はリリィにとって刺激の強すぎるものだった。


 自分の格好がおかしいのかとサクがいらぬ心配していると、大きな太鼓が何度か打ち鳴らされ、いよいよ祭りが最高潮に盛り上がる歌の奉納の時間となった。

 緊張してぎこちない動きで立ち上がるリリィと、ゆったりと立ち上がるサク。

 歌い出しは女性からだ。


  神は季節を 我らに与えたもうた

  見よ すべての水は 清らに流れ


 衣装の袖は長く作られていた。サクに教えられたとおりに歌の流れにのって腕を差し出し袖を振れば、柔らかな薄布がふわりと舞う。

 練習の時にやたらと腕を振る動きだったのはこのためかと、リリィは震える声で歌いながら理解していた。


  天より来たれり 沢巡る 神気は

  風を呼び 落雷より火をもたらす


 リリィの歌声に合わせるように同じトーンでゆっくりと入るサクの歌声は、混声とは思えないほど揺らぎがなかった。ただ太く豊かになった歌声に、村人たちは静かに聴き入っていく。

 舞うリリィと同じ動作で舞うサクの両手には、麦の穂と酒の入った平たい器を持っている。

 器の酒に麦の穂をひたし、リリィが袖を振れば同じようにサクも麦の穂を振るうと、酒の雫が松明(たいまつ)の火でキラキラと光った


  皆祝え 山よ 大地よ 人の子よ


 巡る季節の始まりを歌い、実りの感謝を神に捧げる。

 櫓(やぐら)の上で歌と舞を披露する二人を見ている村長は、いつもとは違う祭りの歌の奉納に驚いていた。二人には衣装を着て歌ってもらうと依頼しただけであり、毎年雇う歌師と同じようにするとばかり思っていたのだ。


 やがて、歌の終わりが近づいた時、櫓周辺の空気が変わる。ざわつく村人たちが多い中、異変に気づいた村長は声も出なくなっていた。


 松明(たいまつ)ではない別の光が、村の奥からホワホワと二つ現れたのだ。

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